なまえさんは一番上の兄貴の彼女やった。えらい綺麗な人で、優しゅうて、気配りのできる模範のような人間やったと思う。俺だけやのうて他の兄貴たちもお父もお母もみんな彼女のことを気に入っとって、結婚も近いんやないかなあと思っとった矢先のことやった。俺やってえらい泣いた。身内が亡うなったんやから当たり前といや当たり前なのかもしらへんけど。せやけど、だからこそなまえさんがなんで素直に泣かへんかったんかがわからへんかった。
それから何年が経ったやろうか、俺は中学三年生になった。坊のお供として正十字学園への入学を決めとったから気分はみんなより幾分楽やった。そんなある日、確か兄貴の命日の前日やったと思う。久しぶりになまえさんを見かけた。噂によれば彼女は東京で就職をしているらしい。…命日に合わせて帰省してきたんやろう。そう思いながら声をかけたら彼女は変わらん綺麗な笑顔で久しぶりと言うた。
東京暮らしが長いせいか彼女の口調はすっかり標準語やった。そのことが妙に引っ掛かってどぎまぎしとるのに気づいたんやろう。クスクスと笑ってからなまえさんは「気持ち悪いでしょう?」と言う。そんなことあらへんと否定したけど、どうやら先刻会うた同級生にそないなことを言われたらしい。数年振りに会うてソレってひどうないかと思たけど黙っとくことにした。
時間があるんやったらちょい話しませんかと俺が切り出したとき、彼女はちょっとだけ驚いとった。俺自身も驚いとった。兄貴がよう家に連れ込んどったから仲がよかった言うたらよかったんやけど、言うてもうたらそんなもんもう過去の話や。実際、なまえさんはあれ以来志摩の家には来てへん。まあ来はる理由あらへんから当たり前なんやろうけど。それでも命日の日には俺たち家族よりも先に毎年花が手向けられとって、身内の誰もがなまえさんやと理解しとった。
なまえさんはまだ兄貴のことが好きなんやろうと思う。それはたぶん誰が見たって思うことやった。彼女やって柔兄に負けず劣らずいい歳やのに、死んだ人間を思い続けとるばっかやったら阿呆にもほどがあるわ。そんでもって、そない一途な彼女にずうっと想われとる兄貴が羨ましい。どうも俺はいつからかなまえさんに漠然とした恋心を抱いとったらしい。気づいたんはもうえらい前の話で、気づかんかったらよかったなあと何回も思た。
俺となまえさんは一回りくらい離れとる。よほどの年下好みやなかったら好意は抱かんやろう。三十二歳が二十歳と付き合うたて言うたらまだ許容範囲やけど、十六歳が四歳と付き合うたて言うたらどうも聞こえが犯罪くさい。つまりは、もしなまえさんが兄貴の彼女やなかったとしても俺みたいな子供はおそらく眼中にあらへんやろうゆうことや。…なんか自分で言うとって悲しゅうなってきたわ、これ。
近くにあった喫茶店に入り、他愛もない話をした。おおかたはなまえさんが東京で経験しはった話ばっかで、彼女の話し方が上手いせいもあってかついつい聴き入ってしもうた。ふいに彼女が「そういえば、廉造くんは受験生じゃなかったっけ?」とさほど心配する風もなく訊いてきはった。兄貴たちがみんな正十字学園に通っとったと知っとるせいやろうか、俺のことも秀才やと思とるらしい。まあ、それなりに頭はええけど…。
そこからは攻守交代やと言うように俺の話になった。といっても、去年の学園祭はどうやったとか、最近あった金兄のライブはどうやったとかいう近況報告みたいなものばっかや。それでもなまえさんは楽しそうに相槌を打って聴いてくれて俺は嬉しかった。
「なまえさん、兄貴の墓参りですか?」
話題がのうなったとき、そない切り出したんは選択ミスやったなあと思う。せやけどなまえさんは何もあらへんように変わらん微笑みを浮かべて頷きはった。それから何を思うたんかポツリポツリと独り言のように、泣きそうな声で諦めがつかへんのやと話し出す。もしここが地元の喫茶店やなかったら、もし彼女が兄貴の彼女やなかったら、もし彼女が泣いとったら俺は抱きしめとったかもしらへん。そないなふうに諦めた小心者の俺のほうがなまえさんよりえらい阿呆やと気付いたんはしばらくしてからや。
話し終えたあと、照れたように笑ったなまえさんは「恥ずかしいとこ見せちゃったなあ。」と言うて烏龍茶を飲み干した。そろそろお別れの時間いうことかいな。何も言わへんようになった俺を気にしながらも彼女は笑っとった。やっぱり涙は流しとらん。鞄の中から財布を取り出して思い出したように口を開いたなまえさんはありがとうとお礼を言わはった。フワフワした感情が沈下して俺の心一帯を包み込む。
「私、やっぱり好きだから。」
主語はなく、そない言うて申し訳なさそうに笑ったなまえさんの顔はおそらく一生忘れられへんと思う。
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