おそらく、世界は平等だよ。ふいに後方から聞いたことのある声が言った。慌てて振り返るとそこには一つ上の先輩がいる。大きな瞳は少し伏せられて俺に焦点を合わせているのか否かよくわからなかった。例え伏せていなかったとしても彼女が捉えるのはいつだって俺じゃない。目の前にいる相手とは別のところに思いを馳せて話している。それに気がついたのはつい最近のことだった。チクリと待ち針で刺されたようなささいな痛みが走った気がする。よくは覚えていない。
来良の制服がいまいち似合っていない、そう教えたのはいつだっただろう。カッターシャツは第一ボタンまで止められ、スカートは膝下五センチ。黒のソックスに茶色いローファーはいつも綺麗である。一見するとそんな模範生のような風貌はまるで似合わない。それでも彼女は着脱することなくきちんと着ている。けなしても軽く流してしまうのが先輩だ。どうしたんですか、そう問い掛けようと口を開いたとき、先に彼女が口火を切った。

「時に正臣よ、沙樹ちゃんは元気かい?」

どこかで聞いた台詞だと感じた。それと同時に違和感が生じる。どうして先輩の口から沙樹の名前が出るのだろう。彼女がその名を知ってるはずがないんだ。先輩は少し変わってはいるけれど普通の学生で、黄巾賊にもブルースクウェアにも所属していなかった。だからあの事件のことも沙樹が俺の彼女だったということも知らないはずなのに。あたかも当たり前だというようにそう述べた彼女は風で靡いた髪を抑えながら病院のほうを見た。
どうして、そう訊ねることを躊躇する。先輩の視線の先にあるのは誰の病室なんだろうか。すぐにまた俺を見た彼女は返事を待っているのか何も言わなかった。俺が知るはずがない。臆病で面会すらしていない俺が、遠くから見ていることしかできない俺が、どうして沙樹の容態を知っているだろうか。沙樹の名前を知っていたんだ。俺が答えられないことくらいわかっているはずだろう。それでも何も言わなかった。返答にあぐねて地面を見つめていると、先輩が一歩だけ俺のほうに歩み寄ってきた。まるで新品のようなローファーは俺の足と少ししかサイズが違わない。そのくせ、身長は低いんだ。

彼女は再び呟いた。おそらく、世界は平等だ。意味がわからない。どうしてそんなことを俺に言うのだ。平等なはずあるもんか。平等だというのならどうして沙樹があんな目に合ったんだ。俺じゃなく、なんで沙樹が。アンタにはわかるはずない、この苦しみは。そう怒号したところで彼女は顔色ひとつ変えないだろう。先輩はそういう人間だ。飄々としていて、浮世だっているのに酷く人間味の帯びたことをする。憎みたくても憎めない、そんな人間だ。

「春は怖いな、正臣。」
「…?どういう、ことっスか?」
「春はすべてを奪っていくんだよ。悲しみも喜びも。そうして残るものは何もない。新しい自分になる、と言えば聞こえはいいが、所詮それはエゴでしかない。結局のところ無に還った人間は同じことしか繰り返せないんだよ。」

よくわからない。先輩の言いたいことが汲み取れず小首を傾げると、彼女は優しく笑ってから俺の頭を撫でた。ああ、この顔だ。こんなにふんわりとした表情をしてみせるから嫌いになれないんだ。例え後ろに折原臨也との繋がりをチラつかせていようとも。彼と同種であるように冷めた瞳で社会を楽しみ蔑んでいようとも。たったひとつの微笑みが境界線を遠ざけて、確固として俺を呼び止める。前進したい足は後ろに引かれるばかりだ。
やがて離れた先輩の小さな手の平はそのまま病院を指差した。どくんっと左胸が高鳴って変な汗が背中を伝う。どうしてだろう、彼女の口からは沙樹のことについて語ってほしくなかった。いいや、そのほかのことについても、全部。ただ笑っていてほしい、それ以外は望まない。口を開いてしまったらどんどん彼女が見えなくなってしまうような気がした。それこそ、春に奪われていかれるような。
先輩が口を開く前に今度は俺が喋る。妨げられたせいか、少しだけムッとしていた。早くここを立ち去りたい。そんな欲念が募るばかりで、俺はとっさに彼女の手を取ると喫茶店にでも行きましょうと歩きだす。抵抗はなかった。あるとは思わなかった。先輩はいつだって世界の理に従順に生きる人だ。娯楽感覚で意図して惨劇を招くこともあるが、他は目の前で起きることに対して何もしない。なされるがままに流されていくだけである。

チラリと後ろを伺えば先輩はどこか物憂げな表情をしていた。けれど言葉は発しない。どんどんと離れていく病院といよいよ見えなくなっていく先輩の心。俺はどちらを先に見失ってしまうんだろうか。繋いだ手をなくさないように強く握ったけれど、それが握り返されることはなかった。


きらきらと燦然に光る色に酔う //「曰はく、」様へ提出



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