何か気配を感じてシズちゃんじゃないよねえなんて悠長に思いながら振り返る。そこには黒いワンピースを身に纏った少女が佇んでいる。が、顔はよく見えない。わかるのは露出した白い肌が闇夜と真っ黒いワンピースのせいで際立って白くなまめかしいということくらいだ。背丈は中学生くらいか。何にせよシズちゃんじゃなくてよかった。まあシズちゃんだったら俺を見つけたら真っ先に何か投げつけてくるだろうけどね。それにひきかえ黒に同化した少女は幽霊よろしくぽつりぽつりと歩いてくる。本当に軽くホラーだ。
終電を逃すまいと急いていた足は何故か止まったまま動かない。顔の見えない彼女にそれほど人を引き付ける力があったというわけではないのに、やっぱり人間は面白いなあ。ポケットに手を突っ込んだ俺は街灯の近くまできた少女の顔を見て少しだけ落胆。まさか知り合いだなんて。いささか残念そうな声色で「なんだ、君か。」と言うと彼女は俯かせていた顔を上げて焦点を俺に合わせる。どうやら顔が伺えなかったのは暗がりのせいだけではなかったらしい。つくづく彼女は暗い人間だ。いい加減下を向いて歩くのはやめたらいいのに。
「探した、折原臨也。」
「そう。見つかってよかったね。で?今度は何の用かな?」
彼女と知り合ったのはずいぶんと前のことだ。ダラーズの心中願望者を募る掲示板を糸口に知り合った、はいいが彼女はいっこうに死のうとしない。いや、正確に言うならば死のうとはしているけれど死にきれないのだ。毎回心中しようと連れ出されるけれど全て未遂に終わっている。俺もそうなることをわかっていて何も言わずについて行ってるんだけど。呆れたため息をついてから大袈裟に肩を竦めた俺は街灯の真下まできた彼女を一瞥した。まるでスポットライトを浴びる悲劇のヒロインだ。
確か彼女の家系はそれなりに裕福で金には困っていない。ちゃんと大学には行ってたみたいだし就職だってしただろう。それなのに数ヶ月会わなかっただけでこれ程変貌を遂げるものか。今年の春、晴れて大学を出た彼女はその時だけは嬉しそうに俺のところにきて10にも満たない子供のようにはしゃいでいたのに、今は見兼ねるほどにやつれてしまっている。元より痩せ型だった四肢は軽い衝撃を与えたら簡単に折れてしまうんじゃないかというくらいに痩せこけて、艶のあった髪はふんわりとした手触りを残さずギシギシになってしまっている。俺の知っている彼女の面影はくすんだ目しかない。その事実は少し悲しいような気がした。
よたよたと拙い足取りだった彼女が急に走り出す。地を蹴る度に負荷に耐えられず崩れてしまいそうな足は俺に近づいた途端ふわっと浮いた。そうしてそのまま胸にダイブして細い腕はひ弱に俺を拘束する。カタカタと震える彼女にはやはり数ヶ月前まで死と向き合っていた人間と思わせる部分は皆無だ。いや、あの頃から彼女は死にたいと言いながらどこかで死に対して漠然な恐怖は抱いていたけれど。まあそれが人間というものだから仕方ない。彼女だってちょっと恵まれた家に生まれたこととかちょっと卑屈に育ってしまったことを抜きにすれば平凡な社会人である。例に漏れなくて結構。
泣いてはいないだろう。確証もなくそう思った俺はただ行き場を失った手を彼女の背中に回す。黒いワンピースの質感はやはり上等なものだった。お嬢様特有の感情なんて一般家庭に生まれてきた、ましてや男の俺が理解できるわけもない。それでも死にたいと笑いながら時々見せる寂しそうな表情はいつだって頭の中に張り付いて取れやしない。泣きそうな顔は一度だって見せないで俺と会うときは必ず笑って「さあ折原臨也よ。心中しようではないか。」と言っていた。それなのに、どうして急に。
「折原、臨也。…こわいんだ。」
「…………」
「置いて、いかないでくれ。」
俺は孤独は慣れている。といっても腐れ縁の新羅やドタチンなんかのかろうじて友達と呼べる友達はいる。この歪んだ性格のせいでまともに友達を作れなかったことに後悔はしていないし、孤独で生活することに恐怖も不安も抱いたことはない。だから俺には今抱き着いている彼女が抱える独りへの感情は知らない。置いていかないで、なんて本当は俺に向かって言った言葉じゃないくせに。胸中で舌打ちをしながら俺はそっと彼女の頭を撫でる。後方では電車の発車する音。今日は彼女に泊めてもらうことにしよう。
君の孤独は理解できないけれど、せめても俺が隣にいることで和らいだらいいと。
今年最後の夏雲に誓う //「ロンリネス」様へ提出