青葉くん、そう呼ぶとあどけない顔で振り返る彼はどこへいってしまったのか。その問い掛けに神様は答えてくれなくて私の体内で押し潰される。もしかしたら初めから、私と青葉くんが出会ったずうっと前から私の知る彼はどこにもいなかったのかもしれない、そう思うとどうしようもないくらいに悲しくなった。嘘をつかれたからじゃない。裏切られたからじゃない。信じてきたものを、私の人生の支えを失ったから思わず泣き叫びたくなった。結局私は自己中心的な人間である。だから周りの些細な変化すらも感じとれなかったのかもしれないと思うと自分を恨むほかなくなった。

折原臨也には関わるな。再三に渡って青葉くんから言われていたことだ。けれど実際に折原臨也という人物を見たことがない私は、折原臨也という人物が何をしたのか知らない私は少々無用心すぎた。気づいたときにはもう蜘蛛の巣の中。からめ捕られた四肢は自分の思うように動かなくて、それでも泣かずに堪えたのはどうしてだろうか。池袋でたまたま出会った黒いコートの青年、後に折原臨也だと知るのだけれど、彼の上辺の優しさに騙された私が聞かされたのは私の知らない黒沼青葉。可愛い笑顔の彼の記憶はたちまち黒に侵食されていく。ショックからなのか、それとも踏み入れたのなら細部まで知りたいという私の性なのか足は微塵も動く気配がなかった。
ふいに誰かが私を呼ぶ。眼前でほくそ笑んでいた折原臨也の顔が歪んだのは涙のせいか、そう考えるが早いか私は腕を誰かに掴まれて走り出していた。黒い奇妙な目だし帽は先程折原臨也から聞いたブルースクウェアが使用していたというものとイメージが合致した。なるほど、確かに日本では販売してなさそうな仕様である。そんなことを思ったのもつかのま私を引っ張っていたブルースクウェアのその人は人気のない公園まで来ると立ち止まる。その人が誰であるのか私にはわかっていたような気がするけれど名前を呼んでしまうと本当に私の知る彼が消えてしまう気がしてどうにもできなかった。
振り返りざまに目だし帽をからあらわになった顔はやはり青葉くんだった。少しだけ私の美しい記憶が崩れて新たな記憶が再構築される。汚れたんじゃない、初めから彼はそうであったんだ。私と再会したときもお兄さんが逮捕されたときも高校に進学したときも知らない双子にキスされたとき竜ヶ峰先輩と仲良くなり始めたときも彼は常に彼であった。私が見ようとしていなかっただけなのか、彼が見せようとしていなかっただけなのか、真意はわかりっこないけれどどちらでもあるような気がした。美化された彼を信じた愚かな私と裏世界を隠した優しい彼。どちらが正しいと言えようか。

「アイツと何してたんだ。」

アイツ、とは言わずもがな折原臨也だ。私は首を左右に振るだけで言葉にはしなかった、できなかった。それでも彼は自分のことを知ってしまった、と理解したのか顔を歪める。ああ、私の知らない顔。新たな一面を見れた嬉しさなんてこれっぽっちもなくて、ただ沸き上がるのは後悔か否か。「ごめんね。」ようやく絞り出した声は思いのほか震えながらそう言った。優しい彼に対しての謝罪は自然と自分への謝罪へ成り代わり少しだけ苦しい。戒めるべきは私のはずなんだけれど悲しくてどうにもできない。キレイな彼を手に入れたいと手を伸ばしても折原臨也に足蹴される気がして怖かった。
ふわっ。そんな効果音が相応しいくらい優しく私を抱きしめた青葉くんは何を思っていたんだろう。さほど背丈の変わらない小さな彼は優しくけれど強く固く抱きしめる。私を逃がさないようにカゴの中に閉じ込めてしまうように。抵抗はしなかった。私もそっと背中に手を回して抱きしめ返す。いつも見ていたはずの彼はいつの間にこんなに大きくなったんだろう。いつも見ていたはずの彼はいつの間に大人になってしまったんだろう。考えれば考えるほど私の左胸は甲高い悲鳴をあげる。うるさい。

「好きだから。」
「えっ?」
「お前が俺の全部知ったとしても俺は好きでいるから。」

肩に顔を埋めた青葉くんはくぐもった声で言う。私が返す言葉には迷っていると繋ぐように「だから好きでいて、お願い。」と言った。私の知らない弱い彼。彼だって人間なんだ、人間に裏があるのは当たり前。そう考えると今までのしかかっていたものが嘘のようになくなる。全部嘘だったんじゃない。私が知る彼も確かに存在したけれど一方で知らない彼がいただけで、半分しか知らなかっただけなんだ。ごちゃごちゃと悩んでいたのが馬鹿らしくなって少しだけ笑った後に今度は私が強く彼を抱きしめた。返事は決まっている。


彼の腕が優しいことは、私しか知らない真実である //「愛嘘」様へ提出



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