溺愛
4
「待ってて、私がまた岸に…」
「無理だ」
今にも崩れそうな、脆く醜い腕を抱えて彼女は岸が在るのであろう方へと泳ぎ出す。
それを私は引き止める。
「戻るつもりは無いんだ」
こんな身体の私にはもう王子として、否、人として生きる選択肢は残されていないい。先ず何よりも、彼女の居ない陸地に最早興味も執着も無いのだから。
「それに、時間切れなんだ」
彼女に逢う為だけに残されたこの身体の猶予はもうお終い。人間に水中で息をする事は出来ないのだから。
魔女に会い、彼女と同じ空気が吸えて、声が聞けて、話が出来て、触れる事すら叶って。
これから溺れ死ぬと言う割には恐れがない。充分上等な時間を過ごせた。
詰まる息。
水面に向かって浮上する身体。
今度は波に乗って、何処かの岸迄運ばれるのだろうか。
出来れば、彼女の棲む海にこのまま沈みたかった。
「いかせない…!」
彼女の声がして引き摺り込まれる身体。次いで吹き込まれる酸素。
「ん」
少しずつ呼吸が楽になり意識がはっきりすると、彼女が口付けていたと言う事に気が付いた。
「陸に帰りたくないのなら此処に居ればいい。息が出来ないのなら幾らでもこうしていましょう」
真っ直ぐな瞳で彼女が告げて、また酸素を送り込まれる。
「───。」
次第にさっきまでが嘘だったかの様に落ち着き、呼吸が安定する。だがそれは彼女のお陰だけじゃなく、水中にも関わらず自力での呼吸が可能になったから。
未だ遠い水面から射し込む光を反射している身体は、水気を排出し縮み、元の形を取り戻す。
「…え?」
突然の出来事に顔を離し、目を丸くする彼女。
───ソナタがアヤツと結ばれた暁には、
自分の変化に、頭の片隅で魔女の言葉が蘇る。
それはつまり、
「私は貴女の事を愛している」
「───、私もよ」
抱き締め合い、腕の中に在るその存在を確める。彼女と同じ世に棲む事を、共に生きる事を、私は許されたのだろう。
「どうして───」
「それは、そうだな。後でゆっくりと話そうか」
「っ…はい…!」
嬉しそうな笑顔で頷いてくれた彼女だが、未だ狼狽えている様だ。そんな彼女に触れるだけのキスを落とす。
「…もう呼吸に補助は要らないみたいね」
照れ臭そうにそう言ってそっぽを向いた彼女を、私は酷く愛しく思う。
「そうだな。だから好きな時に、幾らでも」
頬っぺたを何かが掠めた感触で彼女は勢い良く此方を振り向いた。唇だと思ったそれが指だと気付き慌てている。
「っ…帰りましょう!」
「ああ」
頬を真っ赤にした彼女に手を引かれ、棲み処が在るのであろう海底へと沈んで行く。
嗚呼、嬉しくて息が出来ない。
私はこれから先も、愛に溺れて行く様だ。
end
BLリメイク(同題)
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