知らなかった事

白澤が帰った後の鬼灯の私室では、ちょっとした攻防が行われていた。
寝台の上で未だ丸まったままのヒサナから布団を引き剥がそうと、鬼灯が手をかけていた。

「実力行使でもいいんですよヒサナ」
「変…態!わかってるくせに!」

ヒサナがグッと布団を身に引き寄せる力は全力だが、それに対する鬼灯の今の力は赤子を相手にしているようなものだろう。
遊ばれている。
本気でこられたら、布団なんてとうに剥ぎ取られている。

「私の着物どこやったんですか!」
「洗濯してますよ。ベタベタなの着たくないでしょう?また形成できないんですか」
「変化するとき自動的に着てますけど、別に選んであれにしてるわけじゃなくて無意識で…あれ?考えたことないですね。セルフサービス?」
「へぇ…」

鬼灯の腕に更に力が入る。
ヒサナの握力も大分限界だが、最後の一枚なので取られるわけには行かない。
腰は痛み、只でさえ熱でふらつくというのに、ヒサナは困ったように睨み付けながら必死で抵抗を続けた。

「ほらほら、そんな体でどうします。大人しく身を任せなさい」
「絶っ対嫌です!」
「先ほど貴女の裸体は余す所なく拝見しましたよ」
「ほんとそういうこと言うのやめてえええ」
「ですから、今更何を恥ずかしがると言うんですか」

仰け反って体重をかければ伸ばした首筋が痛む。
絶対鬼灯に噛まれた所がかさぶたになっている。
唯一噛み付かれた箇所。
そこの皮膚が引きつるような痛みだった。
熱の為か頭も痛い。
目を瞑り耐えていれば、ざっと布団を引き剥がされた。

「ぎゃー!」
「だから、色気」

布団が奪われ足元に放られたことにより、防衛手段として亀みたいに前屈みに丸まれば、ずぐりと腰が痛んだ。
顔をしかめて反射的に腰を庇い身を起こせば、ばさりと舞った朱色の襦袢が肩にかけられた。

「え?」
「貸しなさい」

ぐいとその襦袢の合わせを引かれ、大人しくされるがままに身を預ければ、足の長さに合わせて腰元で丈を詰められ、紐で縛られる。
あれよあれよという間に黒の道服にも手を通し、鬼灯はそれも同じように腰元でヒサナの丈に合わせて上から帯で抑えた。

「はい出来ました」
「これ、鬼灯様の道服じゃないですか」
「仕事柄何着かありますからね。無いよりマシでしょう」

ヒサナが手足を伸ばして己を見やれば、全身真っ黒でいつもとは異なる新鮮な視界。
裾は合わせても背丈が違うので袖がもたつき、しかも布の質や量なのかかなり重い。
ようやっと手をだし袖をつかんで広げてみていると、鬼灯が面白いものを見るように腕を組んだ。

「成程、彼シャツならぬ彼着物というのもいいものですね」
「…着られてる感しかないんですが」
「よくお似合いですよ」
「私汗かいたままで汚いですよ」
「気持ち悪いでしょうが我慢なさい。その熱で湯浴みして逆上せても困ります」

仕方がないかと、寝台に腰かけたまま、腕を広げて自身を見下ろす。
自分の体温なのだろうが、だんだんと暖かくなってきた上にこの黒い着物に包まれていれば、どうしても懐かしい錯覚を起こす。
そんなにたっていないのだが、もう随分と遠い昔のように感じる。
まるで鬼灯の中に居るようだとヒサナは頬を緩ませ、袖の海に顔を埋めた。

「暖かいー」
「熱いくらいですよ、貴女」

ほらと頬に添えられた鬼灯の手が冷たく、ひんやりとした感覚に珍しくヒサナが僅かに擦り寄る。
親指で頬をなぞると、鬼灯はその手を離した。

「体の具合はどうですか」
「あ、大丈夫です」
「ふらつき、目眩、眠気は」

細かく問われ、熱でボーッとすると答えて良いものか悩んだ。
まだダメなのではと、鬼灯に余計な心配をかけさせてしまうのではないかという疑念があったので、ヒサナは笑顔で首を振った。

「それも大丈夫です」
「嘘をつくと地獄ではどうなるか、ご存知ですよね?」

細められた目で睨まれ、暗につまらない嘘をつくなと釘を刺されて目を瞬かせる。
この鬼神に隠せる訳が無いのかと、ヒサナは眉を下げて肩を落とした。

「…熱でふらふらします」
「それから?」
「ちょっと頭が痛いのと…あと腰はすごく痛いです」
「そうですか。腰は仕方がありません」
「仕方がないで片付けないで下さいよ」
「ヒサナの抱き心地がいいのがいけません。…まぁそれもありますが、やはり量与えないと、不安でしたから」

鬼灯にとって前者の意も勿論あるが、後者の意味合いも強かった。
ヒサナは苦笑して腰をさするが、鈍痛は相変わらず。
あれだけ必要に抱き潰されれば、何か不安をぬぐい去るような行為にも感じたと、鬼灯の伏せ目がちな表情に思った。

「あ、でも眠くはないですね」

ふと、あれだけ常時纏り付いていた直ぐに襲いかかってくる眠気が微塵もない事に気付いた。
現化した初期の頃は無理矢理眠りを妨げられた事に順応できずにいた睡魔だとして、最近の眠気は本当に怨念不足による気絶なのだとしたら、効果覿面である。
そういえば鬼灯の纏う怨気も手に取るようにわかり、彼も落ち着いているのが伺えた。
本当に自分はそれすらもわからなかったほど衰弱していたのだと、ヒサナは自身でも気付かなかった異常を今更ながら実感し、己の手のひらを見つめた。

「私を、怨みますか」

不意に聞こえた鬼灯の声に、顔をあげる。
手のひらを見つめたまま黙りこくっていたからだろうか。
鬼灯は視線を逸らすでもなく、真っ直ぐにヒサナを見下ろしており、何をもってそう問われたのかわからずヒサナは首をかしげた。

「はい?」
「無理に、事を強要したのは事実ですから」


『どうぞ、怨むなら怨んで下さいよ』


事を成す前に、鬼灯が口にした言葉を思い出した。
そういえばそんな事を耳にしたと思いながら、ヒサナは恥ずかしそうに俯いた。

「ですから、それはもういいですってば」

一人よがりだったら話は別だが、鬼灯がヒサナの為を思っての強行だったのはヒサナもよくわかっている。
現に断行だったとしても、大分労り気遣ってくれた。
だからこそ承諾したし、結果こうして体調も快復したわけで、そこまで話のわからない奴ではないと鬼灯の言葉を否定した。

「本当ですか?」
「本当も何も…鬼灯様、だからですけど」
「ではまた致しても?」
「暫く大丈夫ですダメです!身が持ちません!」

直ぐに開き直った態度に、腕で思い切りバツ印を作って拒否を示す。
そうすれば鬼灯はヒサナの言動を肯定するように、ゆっくりと頷いた。

「だから抱き潰したんですよ。少なくて回数多いより、一度多量で摂取し済ませてしまった方が楽でしょう?」
「た…確かに?」

言われてみればそうなのか。
頻度が多くて毎度恥ずかしい思いをするくらいならば、一度で一気に終わらせてしまった方がいいのだろうか。
確かに回数が少ない方が羞恥は軽減されるかもしれないが、多量の場合はこの腰の痛みを毎回伴うとなると、結局どちらがいいのだろうか。
どう答えていいのかわからず、ヒサナは頭を抱えた。

「私はどちらでも構いませんよ」
「…とりあえず回数少な目の方でお願いします」
「私も貴女も体調次第ですが」
「無闇矢鱈と怨念増幅させないで下さいよ」
「善処を心掛けます」

とりあえず鱈腹分けてもらったので、暫く大丈夫だとは思うが。
しょっちゅうあれだけ臨界点突破されていては、それこそ身が持たないとヒサナは腹部をさすって顔をひきつらせた。

「まぁこうなってしまったのは、私がヒサナを想ってしまったのが根源ですからね。怨んで頂いても構いませんけど、それでもヒサナを手放す気はありません」
「なん…っ怨んでないですってば!」
「しかし貴女の性分でもあるでしょう。鬼火のヒサナさん」

鬼灯が首をかしげて問う。
鬼火はヒトの怨みが灯ったもの。
確かに怨みの念で自分は鬼火と化したのだろうが、怨み想うのが鬼火だとしても、鬼灯を怨むのはお門違いだとヒサナは顔をしかめた。

「別に常日頃何かを怨んでる訳ではありませんし、鬼灯様を怨んで鬼火になったわけでもないです。怨む動機もありません」
「まぁそうですけど。…そういえばヒサナはどうして鬼火になったんですか」

何を怨み、鬼火となって現世に留まっていたのか。
鬼火と化すならば生前相応の怨み辛みを抱いたことになる。
鬼灯の強く深い怨みの中でヒサナは鬼火同士溶け合わずに、鬼灯とも馴染まずに個を保てたのは年はなかい丁への強い想いもあったからだろうが、それだけでは説得力に欠ける。
鬼灯は興味があるのだ。
思えばヒサナには、気になる点がいくつかあると常々思っていた。

「さぁ?前にも言いましたけど鬼火の前は覚えてないんですよ。気付いたら独りでうろうろしてて、弱くて心細いから鬼火同士寄り添って生きてたんですって」

鬼火は強い怨みの念とはいえ、剥き出しの火は守る術なく妖怪達の食物連鎖の最下層。
連るんでいた仲間達とも、生前の話はしたことがない。
それこそ幼子の物心がつく頃と同じ様な物ではないだろうか。
知覚出来るようになった瞬間、既に自分は鬼火として存在していたのだから。

「なんでそんなこと聞くんですか」
「いえ、気になっただけですよ」

しかし当の本人がそれを覚えていないのでは知る術もない。
まぁ自分も気付いたら丁でみなしごだったと思えばわからない事もないと、設問を諦めた鬼灯はヒサナの背に手を伸ばし、そっとその身を寝台に横たえさせた。

「…なんです?」
「着替えも済ませました。少し横になりなさい。とりあえず元気は戻っても、その熱は健康とは言えませんよ」

先程の攻防の真意をヒサナはようやっと理解したが、ならば着物だけおいて自分で着替えさせればいいのではと思うのだがそこは鬼灯に遊ばれたのだろう。
複雑な気持ちを抱えたまま、足元に丸まっている布団を手繰り寄せ肩までかけた。

「元気は元気なんですけどね」
「油断していると倒れるパターンの奴です。ほら寝なさい」
「鬼灯様が優しい」
「失礼ですね。いつ意地悪したのか言ってごらんなさい」

本当に自覚が無いのか、からかわれているのか。
まるで本心から言っている様な口ぶりに、これは問答で敵わないとヒサナは布団を頭まですっぽりと被った。
視界は闇に包まれ、身に纏うのは鬼灯の道服。
彼の中を懐かしみながらそっと目を閉じた。
あまり眠くはないのだが、こうしていると刷り込みなのか、次第に微睡んでくる。
お言葉に甘えて一眠りと思った時に、布団の上からポンポンと背を擦る動きが感じられた。

「ゆっくり休んで下さいヒサナ」
「はい…」
「元気になったら、買い物に行きましょう」
「…買い物?」
「下着買いに行きましょう」

何の話かとヒサナは返答を止めてしまった。
布団の中で目を開け、鬼灯はいきなり何を言い出すのかと眉を寄せていた。

「貴女の下着ですよヒサナさん」
「はあああ?!嫌です嫌です!」

勢いよく布団を退けて起き上がるが、急に動いたことで腰も頭も悲鳴をあげる。
寝台に手をつき悶えていると、見兼ねた鬼灯がため息混じりに肩を支え再び横たえてくれた。
しかし、それと共に告げられた言葉はとんでもない内容だった。

「貴女の時代かもしれませんけどね、今時ノーブラノーパンの女性なんていませんよ」
「う…」

行為の際に発覚した事実。
だって着てなかったから着てないし、意識したこともなければ気にしたこともない。
そう言えば下着という概念は鬼灯の中にいたので知っている。
だからと言って自分がどうかなんて当てはめてみた事もなかった。

「ひ…必要なかったんだから仕方ないじゃないですか!鬼火には!今まで!」
「じゃあそのままでいいですね」
「いや自覚するとなんか…そういう訳じゃ」
「まぁ、私じゃなんですからね。お香さんか…マキさんにお願いしてみます」

そんな事を言いながら鬼灯は扉へ向かう。
そう言えば、まだ鬼灯は仕事の途中だった筈だ。

とりあえず早く元気になって下さいよ。

そう告げ部屋を後にする逆さ鬼灯の紋を背負った大きな背中を、どうする事もできず見送るしかなかった。

20150228

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