地固め

「ご協力感謝致しますにゃ」

小さな手帳をパタンと閉じた小判は、上機嫌で二本の尻尾をその背で揺らしていた。

ここは衆合地獄の完全個室制の老舗の和食屋。
団体での貸し切りに備え、襖でしか区切られていないが小声で話せば十分聞こえない。
それに店の格式もあるので、簡単に利用客を漏らすような低俗な真似も心配ない場所である。

鬼灯が指定した場所であるこの店での取材を終え、立ち上がった鬼灯に続きヒサナも座布団から立ち上がろうとしたが、ふらつく足によろめくと鬼灯が瞬時に手を差し伸べ支えてくれた。
腹部に回されたガッシリとした腕にしがみつき体勢を建て直そうとするが、足に上手く力が入らない。

「痺れたんですか?情けないですね。途中で足を崩してもよかったんですよ」
「正座なんて簡単ですよ。誰のせいだと…!」

真っ赤な顔で鬼灯を睨み付けるが、何の事ですと白を切る鬼灯は絶対に確信犯だ。
痺れた訳ではけしてない。
鬼灯の隣でヒサナも取材に付き合わされ、顔も手足も真っ赤になるほど鬼灯の惚気話を止めることも許されず聞かされ続けたのだから、恥ずかしさに体温は上がり手足は力が入らなくなり震える始末。
鬼灯の口に猿轡、いや、ガムテープでも構わない誰か持ってきてくれとヒサナが願うも、それは叶わずに終わった。

「免疫無いんですか?仕方ありませんねぇ。では毎日囁きましょうか?愛の言葉でも」
「要りません要りません」
「そうおっしゃらずに。愛してますよヒサナ」
「……!だっ…も!…いやでも今の棒読みでしたよね。大丈夫、落ち着いて私」
「ねっとり色濃く口にして宜しければご希望に応えて…」
「ぎゃー要りませんってばごめんなさいその言葉だけで十分伝わってます!」
「伝わってなかったじゃないですか」
「まぁまぁ、痴話喧嘩は猫も食わにゃオッフゥ!」

鬼灯の腕にヒサナが掴まっていると言うよりは、端から見れば捕まっているヒサナ。
そんな二人のやり取りを再度開いた手帳に事細かに記録していた小判だったが、他人が盛るのを見ても何も面白くないと開いた口は禍いの門。
鬼灯に頭部を鷲掴みにされると足が地を離れた。

「何処の造語ですか。善意で埋め合わせをしてやったんです。貴方はただ黙って記事を書きに帰ればいいんですよ」
「失言デシタ…」

小判は痛みに耐えるため、閉じた目を開けられない。
リンゴのように握りつぶせるのではないか、ミシミシと音が聞こえそうなほど鬼灯の腕には血管が浮き出ていた。

埋め合わせとは先日のヒサナ監禁事件の事。
記事を揉み消した謝罪とは建前で、変わりの情報をくれてやったのだからあの件は二度と首を突っ込むなと言う鬼灯の暗黙の威圧がある。
つまり口外すればネタももらっておいてお前の命は無いぞ、ということである。
それを知ってか知らずか、再び地に足をつけた小判は既にもう見出しを考えていた。

「『ついに年貢の納め時!閻魔大王第一補佐官ついに手綱を握られる』…ゴロが悪いかにゃ。『玉の輿になれる10の法則』…」
「それなんか色々違くないですか?」
「要は記事に食いついてもらえればいいのにゃ」

そして、監禁記事抹消の代わりに提示した情報とは、鬼灯とヒサナの婚約話。

鬼灯は世に知らしめることができ、小判も独占スクープとして本人からいの一番に情報を提供してもらえると言うことで利害は一致。
こうしてこの度、取材の席を設けることとなった。

「にゃーしかし婚約指輪御披露目が無いのは残念にゃ…定番じゃにゃーか。特注で作ってできてにゃいのは仕方にゃーけど…せめてメーカーだけでも」
「それではヒサナの楽しみが無くなってしまいますから絶対に言いませんよ」

よく顔色一つ変えずに口から出任せが出るものだとヒサナは感心する。
指輪どころか、実際婚約まではいってない上につい昨日ヒサナが返事をしたばかりの関係。
食堂の外で誰かに電話をかけていると思えば、これから出掛けますよと鬼灯につれ出された道中に初めて何をするのか知らされた。
ヒサナも驚いていたがそんなことは小判の前では言えない。
いや、返事をしたのは婚約なのだろうか?
お付き合いだと思っているのは自分だけだろうか。
わからない。ヒサナは人知れず僅かに首をかしげた。

「まぁ、できたらお願いしますにゃ」
「実際必要ないと思うんですけどね。目に見えて縛るのは」
「え、鬼灯様好きそうですのに」
「私の、何処の何を見てそう思ったのか伺った方が宜しいでしょうかヒサナ」

日々亡者の拷問方法を試行錯誤している立場からして好みそうだと思ったが、細められた彼の目から察するに自分も地雷畑に足を踏み入れたらしい。
腹部に回されていた腕が脇腹の肉を揉むというよりは掴んできたものだから、ヒサナはぎょっとして身を捻って抜け出そうとするが鬼の力には敵わない。

「や…ちょっ、鬼灯様っ!」
「柔らかい…細いですね。もう少し肉をつけた方がいいと思いますよ」
「くすぐった…っもう!」

なんとかもがき、僅かに開いた隙からくるりと鬼灯の束縛から抜け出てはぁはぁと息を吐き出せば、足元で小判がなんとも言えぬ目で見ていた。
そりゃ他人のいちゃつきなんて見せられて喜ぶ人なんて居ないだろうに。
しかし先の教訓を活かして、小判は無駄口は叩かなかった。

「今のセクハラですよね小判さん!」
「みゃ!同意を求めないでくれにゃ!こっちに火の粉を飛ばすにゃ!」
「ヒサナが鬼火だけに」
「誰がうまいこと言えと」
「確かにセクハラでしたね。セクシーなハラでしたよ」
「だから誰がうまいこと言えと!いや、さっきからつまらないですよ!」

お店の迷惑を考えてぎゃーぎゃーと騒ぐことは控えたが、そんなやり取りをしながらお会計を済ませて暖簾をくぐる。

挨拶を済ませ上機嫌で帰っていく小判を見送りながら、ヒサナは若干もたれている腹部をさすった。
朝食後に衆合地獄まで歩いてきたとはいえ連続で食事をとるのは重く、まだ食欲も戻ってはいないのでお茶菓子しか食べられなかったのも残念ではあった。
今は気分ではないが、いつかまた来る事ができたら。
灯籠の側面に書かれたお品書きを眺めながら、そんなことを考えていた。

「迷惑でしたか?婚約発表」

金魚草の風呂敷包みを下げた金棒を肩に担ぎ直し、鬼灯は人混みに紛れて見えなくなった小判からヒサナへと目線を移した。
真っ直ぐにヒサナを見据えてはいたが、その瞳は不安なのだろうか、少し揺らいでいるように見えた。

「いいえ。でも鬼灯様から情報提供するとは思いませんでした」
「いつまでも曖昧にしておいて、先日のような思いをするのは御免ですので、早急に手を打たせていただきました。すみません勝手に…」

先日、と聞いて一瞬だがヒサナの身が強張った。
鬼灯の伏し目がちに険しくなった顔付きに、相当先の監禁事件は鬼灯も応えていることが伺える。
つまり進展具合を明確にしておくことで、これ以上手出しできぬようにしておきたいという鬼灯の思いだろう。
はたして上手くいくだろうか。何せ構わずに手を出してきた連中だ。

「心配ですか?」

金棒片手に器用に腕を組む鬼灯の隣で、ヒサナは顎に手を添えて唸った。

「心配というか、怖いわけではないのですが…何て言うんでしょう」

鬼灯を怒らせる方が怖いので、今度同じ目に遭えば逃げる算段だ。
何をされようが怖くはない。その気になればいつでも逃げられるのだから。
しかし、逃げているだけで良いのかとも引っ掛かるものがあるのは確かだった。
逃げて終わりならば幾らでもその手をすり抜けて見せよう。
だが逃げを選ぶことによって、彼女等の火に油を注ぐ結果にならなければ良いが、という懸念がヒサナにはある。
その矛先がどうなるのか、何を仕掛けてくるのか。
女の色恋沙汰は大変だとお香も言っていた。逃げられると知ったら、一体何をしてくるだろう。

やはり自分は怖いのだろうか。
冷たくなった指先をきゅっと握りしめ、ヒサナは僅かに首をかしげた。

「まぁ、貴女にあのような思いをさせるつもりはありませんので、二度と私の側を離れないでください」
「あれは鬼灯様が提案してましたけど」
「まさかそんな低俗な輩が処内に居るとは思わないじゃないですか。あれは私の大誤算でしたよ。敵は身内にあり…」
「身内だったんですか」
「身内と呼びたくはありませんが、採用試験をきちんと通過した皆さん同じ部署の獄卒ですよ。まぁあの醜い妬みを仕事に活かして頂けるのなら何も言うことはなかったんですがね」
「へぇ…というか、鬼灯様。なんで犯人の事知ってるんですか」

手を出さないでほしいと、確かに願ったはずだ。
己にも非はあると。
なのになぜ、そんなに事細かに把握しているのか。
知っている鬼だったのか。それだったらあの時ヒサナに問いただす真似は必要なかっただろう。
眉根を寄せ訝しげに鬼灯を見上げるが、鬼灯はヒサナの手を掴むと自身の背後へと手を引いた。

「ですから貴女に、あのような思いをさせるつもりは二度とありませんので、私の側を離れないでください」

大きな背中越に鬼灯の声がする。
こちらを見ることなく告げられた言葉に、ヒサナは何事だろうかと彼の脇から顔を伺おうと覗き込み、言葉を失った。

「言ったでしょう。早急に手を打たせていただきました、と」

鬼灯の草履が砂利を踏みしめザラリと音をたてる。

向こう側の通りに立ち止まった、6人の女達と目があった。

20141103

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