燭光

鬼灯の中にいる間は滅多に目を覚まさないヒサナが、彼の中で飛び起きた。

しばらく夢現を理解できないでいたが、辺りを見回しても真っ暗で、本当に自分が目を覚ましているのか不安になる。
鬼灯の過労によりヒサナが目覚めたのではなく、今回はもっと稀な理由。
何故なら鬼灯はまだ夢の中。故に彼の視野は共有できていない。

未だ大きく震える手を見る。
呼吸も上手く整わずに息をあらげたまま、ヒサナは一先ず安堵の為の息をついた。

ヒサナは夢を見ていた。
文字通りであり別の意味でも。
彼の、宿主である鬼灯の見る夢を。
今でも鮮明にその内容を思い出せる。

冷たく見下ろす大人達。
身勝手な注文。
幾日も続く日照。
降らない雨。
枯れる作物。
生け贄の祭壇。
一人残される恐怖。
痩せこけてゆく身体。
恐ろしいほどの襲いくる飢え。

まるで、自分が体験しているような感覚だった。

それは生前の丁の記憶。
鬼灯の記憶の引き出しを探って垣間見た事はあったが、それは客観的に見ただけであり鬼灯が夢に見ているのを共有したのは今回が初めてだった。
彼が自分の視点で再度体感していたあの惨劇は、虚構ではなく紛れもない現実。
あまりの夢の生々しさに耐えきれずに、ヒサナは飛び起きてしまったのだ。

自分が、息絶えるのかと思った。

まだ心臓がバクバクとうるさい。
鬼灯に聞こえてしまうのではないかと思うほどだが、鬼灯はそのまま布団の中で眠り続けている。

「―――っ!」

未だあの夢の中の現実に居るのだろうか。
声をあげそうになるのを口を両手でふさぎ必死に堪えた。
起こした方がいいだろうか。しかし鬼灯は、自分に見られたと知ったらよく思わないかもしれない。
声を出したら、気づかれてしまう。
ヒサナはこっそりと現化して鬼灯から抜け出すと、ゆっくりと規則正しく上下する布団に手を添え彼を見下ろした。

とても世の人々が悪夢と呼ぶ部類の夢を見ているとは思えない安らかな寝顔。
なのに、夢を共有しただけのヒサナはあまりの恐怖に何度袖で拭っても涙が止まらない。
よくあの幼さで逃げ出さずに全てを受け入れ、憎めたものだと思う。
彼がどう感じているかはわからないが、普段鬼灯の怨念を目の当たりにし喰らうヒサナには、その怨みの強さがよくわかる。
ヒサナが喰らう為に、鬼灯の表面に現れる怨念は淡白だと言われるが、よく鬼火ごときが抑えられているものだとヒサナも思う。

「…ふっ」

漏れる嗚咽が鬼灯に届かないよう、ヒサナは部屋の隅に下がると小さくうずくまった。
泣くなと念じながら両手で何度も拭い続けるが、溢れる涙は止まらない。

怖かった。恐かった。

私だったら耐えられない。
ヒサナは腕に顔を埋めたまま、声を圧し殺して泣いていた。





「…ヒサナさん?」

しんと静まり返った室内に響いたのは、聞こえるはずのないこの部屋の主の声。
聞き馴染みのあるその声に、ヒサナの肩がビクリと跳ねた。

若干落ち着いた涙に鼻をすすり、俯き垂れた髪の隙間から寝台の上を伺うと、鬼灯が身を起こしてヒサナを見ていた。

「…泣いてるんですか?あぁ…共有、してしまいましたか」

こんな事も見られるんですねと、さして気にも止めてない装いで鬼灯は緋色の襦袢のまま素足を床につけた。

違う。
普段も夢は共有しているのかもしれない。
聞かれれば現化している際に内容を思い出せる事もあるのだろうが、聞かれることもないのでそのまま忘れてしまっているのかもしれない。
自身が見る夢もそういうものだろう。
だから全ての夢を見知っているわけではない、今回が異例なのだ。

あの光景があまりにも生々しく鮮明で衝撃的過ぎて、ヒサナが耐えきれずに鬼灯との繋がりを自ら切ってしまった。

時々、考えてしまう。

自分達が鬼灯を見つけなければ、中に入らなければ。
鬼灯は鬼となることもなく、この怨念を永久に抱き続けてしまうこともなかったのだと。
あのまま死なせてあげた方が、亡者として転生していた方が。
その方が、彼は幸せだったのではないかと。

「…馬鹿なことを考えているでしょヒサナさん」

部屋の隅でうずくまるヒサナの側まで来るとその場に正座をし、姿勢を正した鬼灯は未だ瞳に溜まりこぼれ落ちそうな涙を、頬に手を添え親指の腹で拭ってやりながら首をかしげる。

「馬鹿って…!」
「気になるなら聞いてくださってもいいんですよ?いくらでも答えましょう」
「何をですか」
「私がこの怨みを抱えて生きていることについてです」

どうしてこの人は、人の心を読んだかのように言い当てることができるのだろうかと、ヒサナも鬼灯に倣って首をかしげる。
鬼灯はどんとこいと構えるように腕を組んだ。

「あのまま放っておかれたら、怨みの強さに私は自我もなく悪鬼と化していたでしょう。神に捧げられながら人を強く恨み呪って死した穢れた魂です。それではどのみち亡者としては当時の黄泉まで清らかな魂ではたどり着けませんでしたよ。悪鬼と化し本懐を果たしていれば尚難しく、逆に当時ですら裁かれたと思いますよ」
「ですが、生前の記憶を抱いたままで辛くはないんですか」
「別に。生前も私であり、すべての出来事は今の私を構成しています。ですから生け贄にされなければ今の私もありませんし、ヒサナさん達鬼火が来てくださらなかったとしても同じなのです」
「この死後の生を得なかった未来を考えたことは無いんですか?」
「考えたこともない」

少し低さを増した声音にヒサナが唇を噛み締める。
その事に気付くと顔をしかめた鬼灯は、目を閉じてゆっくりと肩の力を抜くとヒサナに改めて向き直った。

「私の生き方を否定されているようで非常に不愉快です」
「ち…それは違…っ」
「わかっていますよ。願って、くださったではありませんか」
「はい…?」

慈しみを含んだ優しい声量で問われ、なんのことだと鬼灯を覗き込むが鬼灯はゆっくりと瞬きをしてヒサナを真っ直ぐに見つめている。
表情こそ変わりはしないが、熱のこもったような眼差しにヒサナは釘付けになり目がそらせなかった。

「初めて他者に幸せを願われました。幸せになってもよいのだと」

意識も魂も既に途絶え事切れていたというのに、骸に残された怨みの念だけが微かに覚えていた唯一の記憶。
身の内に響いた優しい声と、中枢の怨念に寄り添い灯った暖かな光。

「誰のものかと長年疑問に思っていましたが、今はもうわかっています」

それは彼女の口から数回、既に聞いて確証を得ている。

最初は何故ヒサナの事がこんなにも大切なのか、恋い焦がれ惹かれるまでに至ったのか鬼灯も気付いてはいなかった。
ただ気付けば仕事中にも関わらず、現化させたヒサナに目をやっている自分がいた。
手を出されると苛立ち、誰にも渡したくないと、その想いだけに正直にヒサナに好きだと告げた。

最初に確認したのは地獄門。
悪鬼と化した意識の中でぼんやりと聞き流していた時だったので、うろ覚えではあるが、あのヒサナからの語りかけは彼女を意識する理由の決定打になった。

確信したのは昨晩の飲みの席。
今度は確かに、しっかりと彼女自信から聞いた。

誰が幸を、願ってくれたのかを。

無意識の内に自覚をしていたとでもいうのか、今までの自分の不可解な行動の理由に説明がついた。誰かの手に、渡したい訳がない。

「ヒサナですよね、あの声の主は」

生前に覚えの無いことであり、鬼として起き上がったときは既に内に引っ掛かっていたのだから、その間に何かあったことは明白。
そしてその間に何があったかということもまた同様である。

「だから私は貴女が、ヒサナが好きなんです」

遠い昔々の、独りの幼子が命の灯を落とした日の話。

覚えがない、訳がない。

ヒサナは目の前の鬼灯を再び揺れる視界で見つめていた。
差し伸ばされた手はヒサナの肩を掴み、グッと引き寄せられれば腕のなかにすっぽりつつまれた。
抱き込まれた腕のなかで響く彼の心音に、鬼灯の中に居るような感覚を覚える。
その音は、あの日初めて彼の中へ入り、再び動き出した時と変わらずに鼓動を続けている。

届いていた。

自分で選んだ、彼を。
自ら願った、彼の幸多き生を。
鬼火の担う務め以上の事を望んだ、ヒサナの願い。

それを鬼灯は知っていた。
ずっと、覚えていてくれていた。

「貴女はすぐ不安になるのでちゃんと言っておかないといけませんよね。これが私のヒサナを想う動機ですよ」
「私じゃない…他の鬼火かもしれませんよ?」
「いいえ、違いません。全てを、私の恨み辛みを皆食してくださるのでしょう?」
「なんで知って…」
「私の怨念が恨み以外に大事に抱えていた記憶ですよ。ヒサナは倉庫で怨念以外知らないと宣っていましたが、私はそうは思いません。そんな人が他人の幸せを願えますかね」
「形だけで願うかもしれませんよ?」
「怨念だけだと言うなら同じ境遇の人を見つけたのなら共感し、むしろ背を押すんじゃないですかね。私なら喜んで応援してますよ」

若干楽しそうに言うので、ヒサナもつられて笑みを浮かべる。
確かに完全に彼の内に溶けた仲間達は、鬼灯の怨みのささやかなお手伝いをすると話していたような気がする。
仲間が気にかけるはずだ。異端だったのはヒサナであった。
そしてその瞳から零れた涙に、鬼灯が目を見開く。

「何で泣いてるんですか」
「…何ででしょう、わかりません」

先程までの恐怖など疾うに無いのに、溢れる涙はまた止まらない。
首をかしげる、目の前の大男の可愛らしい見慣れた仕草に目を細めて笑えば、瞳にたまった涙が更に溢れる。

「涙は心が大きく揺れ動くと出るそうですよ。哀しいのはもちろんですが哀しいから涙が出るのではなく、哀しみや驚き、怒りに嬉しさや喜び…喜怒哀楽全ての心の動揺次第です。まぁ…身を守るための辛味等でも出ますが、あれは別物です」
「心が動く…そっか」

私は驚いているのか。
届いていた事実に。
覚えてくれていた嬉しさに。

確かに幸せを願った。

悲惨な生を終えたこの幼子が、どんな形でも再び生を得られるのならば、経験しえなかった事を沢山感じられればと。

鬼灯は厳しく、ぼろ雑巾のようにこき使われているかと思えば、労り大事にしてくれる優しい面もある。
仕事でも趣味でも私生活でも生き生きとし、ヒサナは振り回されながらも生を謳歌している彼を見るのが大好きだ。
鬼火として彼に同化したままではなく、側でその様を見られることが、堪らなく嬉しいと感じる。

ヒサナは身動ぎ鬼灯の胸から顔を上げる。首をあげたすぐ真上には、ヒサナを見下ろす彼の顔。

そうか、歯車が全部揃えば組むのは簡単なことだった。
この気持ちを、そう呼ぶのであれば。

答えはもうずっと出ていた。

「鬼灯様」
「はい、なんでしょうヒサナさん」


「私も、あなたが大好きです」

20141022

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