恋煩い

「ダメだよヒサナさん!出てこないでねって白澤君も言ってたじゃん」
「でもあのままじゃ、白澤様にまで迷惑をかけてしまいます…!」

どうするか術もないが、自分が狙いならこちらに鬼灯の注意を引き付けられるはず。白澤が逃げる隙ぐらいは作れるのではないか。
そう思いヒサナは閻魔大王の制止を振り切って飛び出した。

いけない。白澤がそう判断したときには既に鬼灯が目的を思い出したようで、口を小さく開いたまま眉根を寄せ視界に彼女を捉えていた。
鬼灯が瞬時に駆け、金棒をヒサナ目掛けて振りかざす。

どんな術を使っても間に合わない。白澤はもうそれしか思い付かず、鬼灯は金棒を降り下ろした。

バキッと、鈍い音が響く。

ヒサナは目を大きく見開くが、その眼前で金棒が捉えたのは柔らかな白い毛並み。
グッと四肢で踏ん張り、倒れないようそれを受け止めたが金棒の棘をその身に受け、じっとりと白い毛並みは赤く赤く染まって行く。

「白澤様っ!」
「こう…するしか…!」

神獣化した白澤は、ぐらりと横たわりそうになる身をヒサナに押し付け壁際に無理矢理追いやると、ばたばたと流れ出る血を彼女に擦り寄りなすり付けた。
ヒサナが静止の手をかける。

「ダメです、なんで…!私が招いた事態ですから逃げてくださればよかったのに!」
「自己犠牲なんて…それこそ逃げだね。もっと自分を大事にしなよ。アイツを止められるのは、ヒサナちゃんしかいないんだから…」

ヒサナが白澤の体を押し退けようとするが、大型の獣は言うことを聞かない。
ヒサナにべったりと自身の血をつけた白澤は、そのままヒサナにもたれ掛かり守るように倒れた。
どんな印よりも祈りよりも、原始的で純粋な力。
抗議に揺れる着物も手も赤く濡れたヒサナの姿を満足そうに眺めた9つの瞳で鬼を見据えると、小さく鼻で笑った。

「これでお前には触れないぞ…ザマーミロ」

鬼灯が忌々しそうに白澤を金棒で押し退けてヒサナに手を伸ばすが、彼女の衣服に染み込んだ血に触れるとあまりの激痛にすぐに手を引っ込めた。
唸る鬼灯は触れられない苛立ちから金棒を壁に叩きつける。
血濡れのヒサナは、頭上で見下している鬼灯のあまりの豹変ぶりに、信じられないといった表情で彼を見上げていた。

「…丁?」
「……っ」

転がされた先でうっすらと目を開けていた白澤は、更に怪訝そうに目を細めた。
鬼灯が、ヒサナの声に反応して苦しそうに顔を歪めたからだ。
彼女を取って喰おうとする悪鬼がこんな顔をするだろうか。何かが白澤の中で引っ掛かった。

そういえば先程ヒサナが姿を表した際に眉根を寄せた奴の表情は、よく思い返してみれば分かりにくいが酷く安堵した顔だったようにも思える。
それは漸く想い人を見つけたような。その後は襲いかかっていたが。

そもそもおかしな話なのだと、白澤はぼんやりと考える。
僅かに耳にした話では、何らかの理由で生前鬼灯が抱いた怨念は村人へ向けられた物なのだから、本来なら悪鬼に堕ちた瞬間身の内に巣食う怨念に従い、拘束した村人の所へすぐ向かう筈。

何故、こいつは天国を目指したのか。
何故、牛頭と馬頭に止められ悪鬼の頭角を現したのか。
それは確信があったからだ。
ヒサナが天国へ向かったと。他人と面識の少ない彼女が、極楽満月を訪れていると。
そこで誰と会っているかも。

その際に、いや、最近憎悪を募らせる機会があるとすれば一体なんだろうか。村人へのそれもあるだろうが、何も抱く怨気は一種類ではない。

そこで、一つの可能性が浮かび上がる。

現在強い怨みを抱いているのは、ヒサナに手を出すもの、全てにだとしたら。

だから先の戦闘中にも、鬼灯の怨念が膨れ上がったのだ。
ヒサナと共にいた白澤に対する憎悪。そして行く手を阻んだ者達へと。奴は嫉妬の憎悪を募らせ、そしてヒサナの食欲不良も相まって身の内の制御がきかなくなっていったとしたら。
それなら納得がいく。
現在悪鬼としての奴を動かしているのは、村人への怨みではなくヒサナへの想いだ。ヒサナが食欲不良を起こした為に怨念と混ざりあい、悪い方向へ傾いている。

我を失っている理由も『怨念なんぞに』ではない。
鬼灯の自我を呑み込んだ怨念も、彼自身に違いないのだから。想いの強さに変わりはない。
だから盂蘭盆祭りの際も、彼らしからぬ行動をとったのだ。身を案じながらも自らの手でヒサナを傷つけていた。
彼女の事になるとどうも加減がおかしい。
本心と抑えられない怨念の狭間で、鬼灯の行動に矛盾が生じているのだ。

「不器用も不器用すぎ…だろ」

震える四肢を立たせ、白澤は残りの力を振り絞り鬼灯に向かって突進をかます。
正確には盛大に突っ込んで転んだ様なものだったが、奴を抑えられるのであれば問題なかった。

「後でヒサナちゃんを傷つけるのを防いでもらった事実に、咽び泣いてお礼参りにくればいいよ」

赤く染め上がった毛並みを鬼灯の上に横たえ、白澤は共に倒れる。
普段の鬼灯ならば鬼神の怪力をもってすれば神獣の一匹軽々と持ち上げただろうが、神獣の血に触れることが難しい今、下敷きにならなかった片腕を白澤にドンドンと叩きつけて抵抗し喚いていた。

「さぁ、大丈夫だよヒサナちゃん」

胸部が激しく上下しているのが一目でわかるが、爪を立てられようとも、白澤は赤子が駄々を捏ねているかのように軽くあしらっている。
ヒサナはふらりと立ち上がった。
白澤の血で見るに耐えないなりをしているが、目だけは自身の鬼火のようにまっすぐな強さを灯していた。

「すみません白澤様…こんなお手間を…」
「いいよ、お礼に今度美味しいものでも食べにいこうよ」
「…もう無理だってわかってて、意地悪言わないで下さいよ」

ここまで乗せてきてもらった時の柔らかな毛並みとは打って変わったべったりとしたその毛並み。流れに沿って優しく撫でながら、それでも行ってみたかったですと、ヒサナは力なく笑った。

「今回の件はヒサナちゃんを呼び覚ましてしまった僕のせいでもあるから、気に病むことはないよ」

同罪だからと白澤がヒサナの腹部に鼻を擦り寄せてくれたが、それは気休め程度にしかならない。
確かにおかしな日々は、あの日極楽満月から始まった。
忙しくとも楽しかった日々。

それでも、呼び出されようとも、頑なに内に戻り元の生き方を死守すればよかったのだ。方法はいくらでもあった筈だ。
どんなに変則的な事態だったとしても、抜け出ればどんな事態が起こり得るか考えるべきだった。
全責任は私にある。
それも、戻れば終いだ。

最後に毛並みを流した手をぐっと握りしめて一歩一歩白澤の背へ回り込むと、そこから覗く鬼灯の上半身の隣にぺたんと座り込んだ。
その間鬼灯が鋭い目でヒサナを凝視していたが、一度も唸り声は上げなかった。

「鬼灯様」

顔を覗き込むと、鬼灯はヒサナに触れられない代わりに自由の利く腕で自身の顔を覆った。
腕で口許を庇い、覆いきれない双眼は天井を睨んでいる。
ヒサナもつられて上を見上げれば、沢山の烏天狗が上空に旋回していた。

少し前に、祭りの後に告げられた事をヒサナは思い出す。
それはこの鬼灯の行動が、醜態を見られるのを防ぐためでも、ヒサナを見ない為の物でもない事を示していた。
他者が見てる中で、ヒサナの存在を知られないよう彼女を守ろうとする気持ちが、悪鬼でありながらも彼の中に生きている証。
人前で私が還ることを拒んでいるんだ。

「私のこの声は貴方に聞こえてるのでしょうか」
「……」
「鬼灯様は分かりにくいです」


こき使われていると思ったら好きだと告げられたり、
傷つけようとしてたのにこうして守られていたり。

「私のせいで、色々ごめんなさい。でも、やっぱり丁には私がいないとダメみたいですよ」

鬼灯の腕を両手で剥がそうとするがびくともしない。
それどころか、余計に力を込めて頑なに離そうとはしなかった。

「…丁が悪鬼になったら、私は必要ないって事じゃないですか。私も丁が居なかったら、消えちゃいますよ?」

昔、丁と共に生きると誓った身、今更他の眷属にはなれない。
鬼灯と共に生き、鬼灯と共に死すのだから。

「丁にいなくなってほしくないです。私が生きる為じゃないですよ。丁に幸せになってほしい、そう思って私、昔丁の中に入ったんです。今更悪鬼になったら意味無いじゃないですか」

どうか命在る間に触れることが叶わなかった楽しい事を、沢山経験できますようにと。
鬼灯の為には、私が在るべき場所は彼の隣ではない。
彼の内が、私の居場所だ。

「私ね、呼びだされる事はあまり好きではありませんでしたが、貴方に会えるのは楽しみでしたよ。抱き締められる温もりも…キスも、丁とだから平気なんです。他の人では違うんです、ダメなんです。貴方の鬼火だからと思ってたんですが、そうでもないみたいで…私は、丁が好きなのかもしれませんね」

その言葉に、鬼灯が僅かに腕をずらしてヒサナを見遣る。
その瞳にはもう一片の濁りもなく、黒曜石のように澄み渡っていた。
やっと見てくれた。ヒサナは、その一瞬を見逃さない。

「もう、必要ないですよ」

私を守らなくても。もう会うことも無いだろうから。
警戒する間もない程、ごく自然な流れでヒサナは鬼灯の手を取った。

話ながら整理して告げるのは、誰かさんもやっていた。彼の中に長く居たので似てしまったのだろうか。

あぁどうやら私も好きらしい。

そう思うが、鬼火には本来持ち合わせない感情。宿主に好意を寄せるなど聞いたこともない話。
そしてこれから彼の中に還る私には、尚更必要のない事だろう。



「さよなら」

もう色々なんでもいい。
投げやりなのではない。そう思えるほど、彼の中に還ることに何の迷いもない。

これが私の使命、私の誇り。

ヒサナは鬼灯の手をぎゅっと握ると、自分の体温よりもほんのり冷たい唇にそっと口付けた。
久方ぶりの、もう覚めることもない深い闇のなかに意識を溶かした。

20140820

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