二つに一つ

「ではまた来月どうぞ」
「はい、ありがとうございました先生」

月一で通う病院を出て、ヒサナはのんびりとした天国の空を見上げる。
清み渡った青空の気持ちのよいこと、地獄ではのぞめない清浄さにきっと胎教にも良いだろうと自然と小さく笑う。
今日はしっかり寄り道せずにまっすぐ必ず帰ろうと、葉を踏みしめながらゆっくりと歩き出した。
ふと思い立ち腕に下げた巾着袋から携帯電話を取り出し、背面の小さなディスプレイを見つめる。
たった一ヶ所にしか繋がらない携帯だが、これが現在ヒサナを自由に歩かせるための必需品でもある。
たった一つの登録先である鬼灯が、みかねて妻に持たせた連絡手段。
そんな携帯を握りしめて、ヒサナは嬉しそうに顔をしかめた。

診察が終わった連絡を、入れるべきか否か。

逸る気持ちから無意識に早くなる足運びに、転びかねないので落ち着けとため息を一つ。
今回はすぐ連絡するようにとは言われていないが、どうしたものか。
早く帰りながらも一報入れるか迷うヒサナは、その小さな機械を胸元で握り締めた。

「うーんどうしようかな…連絡いれなかったら怒るかな…でも忙しいかな…」

早く伝えたいような、もったいぶりたいような。
出立前に法廷に挨拶にいけば、今日は付き添えないと机に沈めた閻魔大王を背後に鬼灯が舌打ちをした。
何やら裁判が予定通り進まなかったので、昨日のものが今日に回してあるとの事。
かの鬼神の怨気がつのらなかったのは、閻魔大王相手だったからだろう。
表面上本気で怒りはすれど、そこはこの世界で一番鬼灯が信頼を寄せる人物だ。
内心本当に仕方がないと尻拭いを手伝う腹積もりなのは、鬼灯の経緯を知るヒサナには容易に想像できる。
だからこそ、そんなあの鬼の邪魔はしたくはないのだが。
ヒサナは浮き足だってしまう歩みをなんとか堪えながら、意を決して携帯を巾着に押し込んだ。

「ながら電話はよくないもの。うん。歩きながら話して転んだら大変」

きっと忙しい鬼灯の事、気にも留めずに没頭していることだろうし、帰っても一区切りついた頃にようやっと『おや、帰ってたんですか』等と言われそうだ。
声音も動作も容易に想像できる。
まっすぐ帰れば良いだけだと、決意新たに踏み出した瞬間。
けたたましい電子音が、のどかな環境に騒然と響き渡った。
何もしまってすぐ鳴ることはないじゃないかと、ヒサナは大慌てで巾着をあける。
焦るあまり手間取ってしまったが、この携帯を鳴らせる相手は一人しかいない。
通話ボタンを押すと、低い声が鼓膜に響いた。

『今どちらですか』

機械のせいであまりの低音に普段よりも振動が伝わる感覚。
間近で耳にする声に少しだけざわつくのを覚えながら、ヒサナは落ち着いて歩くよう気を付けながら答えた。

「お疲れ様です鬼灯様。今丁度終わったところです」
『いえこちらはまだ仕事中…いや休憩時間ですが、そうでしたか。大事無いようで何よりです』
「いいえ…あの、鬼灯様?」
『はい』
「何の用ですか」

自由行動の際の信用を欠いているのは知っているが、さてなんの用件か。
心当たりはあるが決めつける前に問う。
もし自分も逆の立場であったら、そわそわしてしまうことだろう。
連絡が来なければ尚更。
うずうずしながらも答えを待てば、電話口から小さなため息が聞こえた。

『はあ、あのですねえヒサナさん。そんなもの決まってるじゃないですか』
「ほら、自己判断はダメだって言われてますし、一応」
『ほー。まあ今は、そんなことに引っ掛かってる場合ではないのでいいですが、覚えていなさい。…今日でしたよね』

あくまで濁して物を言うか。
鬼灯の子どもっぽい反応に少しだけ笑いながら、ヒサナは腹に手を添え天をあおぐ。

「はい、ばっちり」
『…で?どちらでしたか』
「電話で言っちゃっていいんですか?」
『大変口惜しいですが、ヒサナに会えるのが今日中には叶わないかもしれないもので。この埋め合わせはきっちり閻魔大王にしていただきます』

どうやら相当立て込んでいるらしい。
そういえば先程休憩中だと言っていた。
終わらなさそうな裁判を見かねて、休憩をもぎ取ったのだろうか。
閻魔大王を休ませ、連絡を入れる時間を得る二つの意味で。
それならば今だ物珍しい電話に遊んでる場合ではないと、意味もないのに耳に当てた電話に視線を流す。
なんとなく相手を見ているような、そんな感覚があった。

「では、失礼ながら電話で…」
『焦らしますね』
「私だって本当は鬼灯様と喜びたかったですよ!う…まあ我慢しますけど…あのですね鬼灯様」
『はい』
「男の子でした」

嬉しさにどうしても歯が浮いてしまう。
性別など関係ないのだが、ちゃんと生きていることに、育っていることに。
なんとも表現しがたい幸福感ににやけながら、ヒサナは腹を撫でた。

『男の子でしたか…成程、とりあえず白澤さんを仕留める手筈は整えなくて良さそうですね』
「一番がそれですか」
『言ったでしょう。どちらでも母子共に無事に生まれてきてくれれば構わないんですよ。私はヒサナを支え、用意をするだけです』
「…ありがとうございます」
『いえ、命一つ十月程も抱えてる方が大変ですから。私にできることくらいは任せてください』

だからどんと構えていろと彼は言う。
鬼灯程頼もしいものもない。
ほんのり頬を染めて礼を言えば、電話の向こうが騒がしくなってきた。

「大丈夫ですか鬼灯様?」
『ええ、そろそろ戻らなければ…いいですか?例え火事があろうと脱獄者があろうと白澤さんが居ようと、しっかり寄り道せずにまっすぐ必ずきっちり部屋に帰るように』

ヒサナが考えていた帰路計画案より一つ多目に念を押され、まだ足りなかったかと苦笑する。
肝に命じておきますと、もうそろそろ終わりそうな電話での会話に決意新たに短く返事をした。

『では本当にそろそろ…先に寝ていて構いませんから。きちんと冷やさないように、布団で寝るように。何かあったらすぐ連絡を入れるように』
「はいはいお母さん」
『…私は夫の筈なのですが』
「すみませんごめんなさい鬼灯様」
『わかればいいです。愛してます』

電話からは通話の終了した短い電子音が鳴り続け、ヒサナはゆっくりと目の前に電話を下げ通話時間と表示された画面を見つめる。
否、表示された文面よりも、その画面に僅かに映る驚いた顔の自分を見ていた。

「な…なん、ばっ…なんてこと言って…!」

予期せぬ殺し文句の置き土産。
鬼灯の完全なる不意討ちに、ヒサナは真っ赤になった頬に手をあてて叫んだ。

20171128

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