陽炎

そういえばすっかり忘れていた。
今はこの体が、自分だけのものではないことを。

『あくまで健康優良児の場合は、だからね。妊娠初期は流産しやすいのは本当だから、体を冷やさないこと!胎児に血が行かなくなるからね。あと子宮の筋肉が収縮するような事もなるべく避けてね』

白澤の言葉が瞬時に脳裏によみがえる。
無理をするなと、言われていなかったか。
体が冷えただけで胎児が危険だというのに、白澤の言う通り自分が本当に死んでいたのだとしたら。
冷えるどころの話ではない。
この腹の子は、今、生きているのだろうか。

「は、はくた…」
「なぁにヒサナちゃん」
「赤ちゃん…大丈夫ですか…」

かなり無理をした、無理をさせた。
自分ですら生を保てなかったというのに、宿ったばかりの命に気を回す余裕なんてあったのだろうか。

「…残念だけど、今の状態のままだと大丈夫とは言えない」

白澤は眉根を寄せて口にする。
その言葉に、ヒサナは背筋が凍る思いであった。
人命救助と出張っておきながら、同じく気にかけなければならなかったものが、他にあったのに。
今さら後悔しても遅いが、本当に自分は自意識というか自己管理能力に欠ける。
私だ、私のせいだ。
鬼灯が肩を掴む手にも力が籠るのが伝わってきた。

「白澤様…お願い、です。お願い…この子を助けて下さ…私はどうなってもいいから…」
「どうなってもいいわけないでしょうヒサナ」
「でも、でも私のせいで…」
「まぁまぁ、落ち着いてヒサナちゃん」
「だって…危険、なのでしょう…?」
「うん、『今の状態のままは』ね」

白澤は先程口にした言葉を、再度強調して告げてくる。
今は、と言う事は、この状態を改善する手立てがあるような言い方だ。

「勿体振ってないでさっさと教えろ白豚」
「お前と話してないんだけど。うーん…まぁお前にも関係なくない話か」
「ヒサナの事ですから当たり前です。個人的には瀕死のヒサナを回復させたいのが先なのですが白澤さん、房中術で宜しいのですか」
「ま、待って鬼灯様…!」
「赤子も大事ですが、まずはヒサナです。言っておきますがまだ見ぬ命より、私は貴女を何よりも優先しますからね」
「そんな…っ」
「せっかく授かった命です、申し訳無いとは思いますよ。非情に聞こえるかもしれませんがね、それでも私はヒサナが一番大切なんですよ」

いつもの様に、胸に抱えるヒサナを見下ろしているだけなのだろう。
けれどもその鬼灯の鋭く光る細い目付きが、今はとても冷たく見える。
申し訳ないとは言うが、どちらか一方の二拓ならば迷わずヒサナをとると。
その難しい選択をさせる原因を作ったのは他でもない自分なのだが、ヒサナが息を飲んで戸惑っているとパンと乾いた音が室内に響いた。

「まぁまぁ落ち着いて、ゆっくりしてる時間もないんだから」

手のひらを合わせた白澤が、やれやれといった様子で肩を落とし二人を見る。
大きな音に二人で振り返れば、勝手に話を進めすぎたか、とにかく僕の話を聞きなよと柔らかい動作でその手を伸ばした白澤が二人を諭した。

「ここに駆けつけるまでの間に、色々考えてきたんだ。僕がだよ?ちょっとは頼りにしてほしいね」
「いいから早くしろ」
「煩いなぁもう…ここにたどり着いたとき既にヒサナちゃんは手遅れだった。だからあのときは無理だったけどさ、ヒサナちゃんが生きてるならいい方法がある」
「だから、」
「だーかーら、話にも順序って物があるんだよ黙れお前!…あのねぇ、胎児も危険だけど、目を覚ましたからってヒサナちゃんがまだ危険な状態にかわりない。まだ体、動かないでしょう?」
「…はい」

確かに。
多少は話せるようになってきたが、まだ流暢に言葉は紡げず、気だるさも抜けなければ手足なんかまだ思い通りに動かせそうにない。
鬼火を喰らわれたのだ、変化していて無傷に見えるが本体が欠損しているようなものなのだから無理もないか。

「鬼火を燃焼させてあげられればいいんだから、お前が言う通り怨気を供給してあげればいい。ただ、このまま房中術で怨気を満たしても満足に貯えられないかもしれない。それを受け止めるだけのヒサナちゃんの力が足りないんだから」
「ヒサナに残った鬼火は、怨念で火力を増さないんですか」
「普段はそうなるんだけどうーん何て言えばいいかな…焚き火をするのにさ、起こしたばかりのものすごく小さな種火に、大量に薪を重ねたとするじゃん?燃す筈が逆にその薪で火を消してしまうことって無い?」
「確かに、その為にある程度火種は大きくしてから投火しますが…成程、そう言うことですか」
「そ。今はその状況になりかねないからからさ、施術する前にやることがある」

白澤が人差し指を眼前にたてる。
その笑みは、とても心強いもののように思えた。

「ヒサナちゃんがこうなった原因だから幸いにもって言い方も変だけど、亡者のために灯した鬼火が刑場に散ってるだろう?あれはヒサナちゃんじゃないけど、分身みたいなものでヒサナちゃんの力にかわりない。彼女を食べちゃった野衾が火消しに緊急停止命令出したから、まだいくつか残ってるのも確認済み」
「つまり、それらを回収してからということですか…」
「鬼火をヒサナちゃんに戻して、再燃焼させればあとは自分でサイクルを戻せる筈だよ。彼女も、怨気を共有してる胎児もね。新たに何か別のものを形成したり取り込んだりするより、自身を戻すだけだから負荷も何もないよ」

おわかり?と首を横に傾げて笑って見せる白澤に、鬼灯は反動をつけてヒサナを抱え直す。
危険な状態にかわりないが、奴がこんな悠長に話しているということはそんなに急がなくとも大丈夫だということだろうか。
それでも鬼灯には、こうしてもたもたしている間も惜しい。
奴がヒサナを助ける算段を提案していたのでなければ、とっくに殴り飛ばしていた事だろう。
しかし幸いにも、この男が閻魔殿へ帰るための朧車を小屋につけてくれているらしい。
それを使えば闇火を避けて上空から鬼火を確認することも出来るので、走るよりも効率がいいか。

「朧車、借りますよ」
「はなからお前のために呼んだんだから、どうぞご自由に」
「…本当に、ありがとうございます」
「あ?なにか言った?」
「…耳が遠くなりましたか?なにも言ってませんよ」

双方を救う術を、見出だしてくれたことに。
踵を返しながらその思いを込めて鬼灯が口にした感謝の意は、届くべき相手には伝わらずにヒサナだけが聞いていた。

無茶するなよと、鬼灯の背中越しに鼻で笑ったような白澤の言葉を聞いたが、反応を返さない鬼灯を見て何に対して言ったのかとヒサナは首をかしげながら彼の歩調に揺られていた。

20160430

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