おやすみなさい
まるで某ランドの3D体感アトラクションの映像を見ているような感覚だ。
視界が歩けば揺れるし、下を向けば重力に沿って落ちそうになり、風が吹けば風を感じる。
ヒサナは今は机を見下ろしているその映像…鬼灯の視点を気づけばぼんやりと眺めていた。
「鬼灯様」
「おや、起きてしまいましたか」
普段は鬼火であるヒサナが鬼灯の中に共存している場合は彼女に意識はない。しかし今回のように意識が浮上することが稀にあった。
「すみません、もう少しで休めると思いますので少し我慢してください」
「もう少しって?」
「明日」
『まためいの明日ー?が始まった』と、トト□の五月の名を授かった姉のように返してやろうかと思ったくらい、瞬時に返答された。
あれは明日は早すぎると言う意味で笑われるが、鬼灯のそれは遅すぎると苦笑する。
「何故私を呼んで下さらなかったのですか」
「呼んでもよかったのですか?」
「…呼ばれないにこしたことはありませんが…」
そうでしょうねと鬼灯はふらりと立ち上がり、新しい資料を集め始める。
先日も呼び出されたばかり。気を使ってくれたのかと、ヒサナはそんな鬼灯を内から心配そうに見ていた。
ヒサナの意識があるということは、鬼火を制御できていないということ。それほどまでに鬼灯の疲労は酷い。
いつから休んでいないのだろうと記憶をたどると、4日目に突入しているような気がする。
普段は無意識だろうが鬼火を定着させるには力を使う。勝手に鬼火が抜け出て鬼灯が消滅、なんてこともなりえるのだ。
「休んでください」
「そうもいきません。明日には休めますので静かにしていなさい」
「それじゃ遅いんです」
不意に力が抜け、鬼灯はガクリと膝をつき、持っていた書物をばらまいた。急激な睡魔にまさかと思い背後を一瞥すると、そこには鬼火を纏ったヒサナが現化していた。
「勝手にそんなに引き連れて…返しなさい」
喋っても唇に当たる牙の感覚が無い。ヒサナが抜け出たことで鬼灯は人に近くなっていた。
「ダメです。私が自分で出られるくらい消耗なさっているのですよ?危険です」
ヒサナは労るように鬼灯の頬に手を添えたが、
それがいけなかった。
鬼灯がその手を捕らえると強引に引き寄せられ、ヒサナは鬼灯へと倒れ込んだ。続けて手荒く後ろ髪を引かれれば、必然的に首が伸び顔を上げる。
鬼灯の顔が近い。
「戻りなさい…っ」
「今回は絶対イヤです…!またすぐ出てきますよっ」
「力付くでねじ伏せてやります」
「それが出来てないからこうして私がここに居るんじゃないですか」
「聞き分けを―――」
「それは丁の方です!」
唇を奪われまいと必死に抵抗するが、鬼でなくとも男の力にはかなわない。
あと少しで口許を覆う手を剥ぎ取られると思い、いっそ負けてしまった方が仕切り直せて楽だろうかと諦めかけていると、急に鬼灯が体重をかけてきたので、たまらずヒサナは鬼灯と共に後ろへ倒れ込んだ。
「ほ…丁?」
返事はなく、代わりに耳元から寝息が聞こえてきた。肩を揺するもなんの反応も示さない。
限界を超えた睡魔に鬼の力で抗っていたが、人の身になったことで打ち勝てず、眠ってしまったようだ。
鬼灯の下から抜け出たヒサナは、安堵してその頭を撫でる。その手を遮ったであろう角は、今の鬼灯の額には無い。
「おやすみなさい丁…」
良い夢を。
ヒサナはそっと、いつも鬼灯が呼び出してくれるときより多く連れ出した鬼火を彼に戻す。
鬼灯が起きたときに困らないようにと、ヒサナは鬼灯の仕事をそのまま引き継ぐため、散らばった書物を拾い集めた。
「お陰さまで久しぶりによく眠れましたよ」
「そうですか…」
「ヒサナのお陰です」
「滅相も…ないです」
「何かお礼をしたいのですが…」
「いえいえそんなそんな…」
「遠慮なさらず。久しぶりの外でしょう?今日は休もうと思っていましたので丁度丸一日空いておりますので、何がしたいですか?」
「所望してもよろしいのでしたら早く還りたいですが…」
鬼灯の言った通り、翌日には代わりに仕事を片付けられた。
丸一日眠り続けた鬼灯は、俯くヒサナとはうってかわって酷い隈の無くなった顔で至極楽しそうにヒサナを見下ろしている。
「還してください」
「イヤです」
「仕事片付けたんですよ?」
「頼んでません」
寒いし眠いし、寝かしてあげたのだから寝かせてくれてもいいじゃないかと思うが、寝たくないのに眠らされたのだから、眠いなら寝かせてくれないのだろうそれが鬼灯だ。
「鬼!」
「鬼です」
「ああ言えばこういうー!助けて白澤様ー!」
うっかり呼んでしまったが、明らかに場の空気が変わったことを肌で感じた。
恐る恐る見上げると、普段でも背の高い鬼灯に見下ろされるだけでも威圧感を感じるが、顎をあげていると更に凄まれている様に見えた。
「ほぉ…ではこうしましょう。還りたいならご自由にどうぞ」
「それはどういう…」
「自分でやればいいじゃないですか。何も私がする必要はないのですから。鍵がかかっているわけでもありませんし、自分でもできるでしょう?どうぞ勝手に。」
我関せず。そう態度で表す鬼灯を泣きそうになりながら見上げるが、黙ってこちらを見るばかりで動く気配はない。
むしろしやすいようにか、膝を曲げて少しかがんでみせた。
思い出すだけで還るためとはいえ恥ずかしくて倒れそうになる。
唯一鬼灯の中に還る手段とは、白澤が考案したその方法。
そんなこと、死んでもできるわけがない。それはつまり…
「ヒサナがちゅーしてくれるんですよね?」
「そう言うこと言わないでください!!」
ヒサナが謝り倒してようやっと鬼灯に許してもらった時には、既に時計は一日の終わりを指していた。
20140717
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