たった一つ

鬼灯と別離を果たしてしばらくたったが、ヒサナは改めて鬼灯の多忙さを再確認した。
内に居るときは、鬼灯の手が回らなくなると引きずり出されたり、倒れそうになる頃合いに一人目覚めることはあった。
しかし常時外にいる今、それに至るまでの彼の姿を見る機会ができた。
部屋に戻る間もない彼を、こうして就寝前の暗い部屋で独り待ちながら時間をもて余すこともしばしば。
ヒサナは寝台に腰掛け、足をぶらぶらと遊ばせていた。

「そりゃ…猫の手でも借りたくなるわけだよね」

身内又は鬼火の手でも。
鬼灯の中で共有して知っていたことだが、当人の視点ではなく第三者的視点で見てみると、その時間はとても長く感じ、忙しさが見てとれた。
ヒサナも事務処理は手伝い、執務室や法廷で顔を会わせることはあったが、鬼灯は何日この私室に戻っていないだろうか。
背を後ろに傾け、重力にしたがい布団に身を預ける。
わずかに寝台が弾み、ヒサナはぼんやり高い天井を見上げた。
また独りで眠るのも、何回目だろうか。

「早く帰ってこないかな…」

ため息と共に体の力を抜けば、耳に届くのは自分の呼吸音だけ。
十王会議の準備による人手不足に亡者脱走が合わさり、どこもかしこもてんてこ舞いで宿舎も静かなものだった。
ヒサナも手伝いに出ようと思ったのだが、邪魔の一言で退けられてしまった。
うろ覚えにだが勝手を知っていても、身体を動かす職務は経験が無ければ足手まとい。
どうしようもないと、ヒサナは寝返りをうって俯せになり布団に顔を埋めた。
目を閉じて、訪れる睡魔に身を委ねる。
このまま眠りに落ちて、また明日出来ることを訪ねよう。
少しでも何か手伝えれば、そう思い思考を放棄しようとしたが、ふと布団の間で僅かに目を開けた。

鬼灯はまだ働いているのだろうか。

徹夜の日数に比例して機嫌を損ねるので恐ろしいものもあるが、それでも己の立場を全うせんとする鬼灯の姿は、とても心強く頼もしい。
かっこよかった、なんて本人には絶対に言えないような事を思いヒサナは口端を僅かに上げて笑った。

「寂しいなぁ…なんて」

初めの頃は独り気ままに寝れると喜んだものだが、こうも続いては流石に不安になる。
独りは寂しいと感じるほどに、自分の中で鬼灯の存在が大きいのだと実感した。
孤独。その思いを振り払うようにヒサナはゆるゆると頭を振る。
居ないものは仕方がない。
そう言い聞かせて、ヒサナは再び瞼を閉じた。

しかし不意に、ダンダンと廊下に荒々しい足音が響いてきた。
何事かと顔を上げるが、その音は急にピタリと止み再び静寂が訪れる。
寝ぼけただろうか。
そう思いまた微睡み始めるとキチリと室内に響いたドアの軋む音。
ゆっくりと開かれた扉に、首を動かしてヒサナは視線だけをそちらへ向けた。
向けるまでもなく気で誰かは分かったが、確信を得るためにヒサナは廊下の灯りに照らされる大きな影を見つめた。

「ヒサナ…起きてるんですか?」
「…まぁ」

寝そうだったところを起こされたというか。
ヒサナが腕をついて上半身を起こすのと同時に、鬼灯が後ろ手で扉を閉めた。
恐らく先程の騒音は機嫌の悪い彼の足音で、私室目前にして寝ていることを気遣いはしてくれたのだろう。
遅すぎた気遣いであっても、完全に寝入ってはいなかったので咎めるつもりもないが。

「仕事、終わったんですか」

鬼灯の方を振り返りながら問うが、返事はない。
闇に慣れた目であっても、明かりを落とした部屋では彼の顔色も伺えないので、疲れているのだろうかと首をかしげる。
鬼灯は無言のまま真っ直ぐに寝台へ近付くと、迷わず背後からヒサナに腕を回して寝台へと倒れこんだ。

「ちょっ…何重い…!」

突然の事に眠気など何処かへ逃げおおせる。
腕で支えていた上半身は背にのし掛かる彼の重みで寝台に押し付けられ、肩から抱きすくめられているものだから抵抗はおろか、背後の鬼灯を見ることも叶わない。
腕だけでも逃れ出ようと自身の体の下から引き出すが、首筋への突然の刺激にヒサナはびくりとその腕を縮めた。

「や…やだやだ何して…!」

鬼灯の短い髪の毛先が首筋をかすめてこそばゆさを感じたかと思うと、それと共に触れた生暖かい感触。
引きずり出した腕は、鬼灯が腕を回す位置を変た事で更に身動きがとれなくなってしまった。

「んっ…鬼灯…様、鬼灯様っ!」

答えてくれと名を呼び続けるが、一向に彼の動きが止まる気配はない。
何度か口付けられた後、はぁと妖艶に吐き出された吐息がヒサナの肩口にかかり、自分の体温とは違う熱にぞわぞわした。
終わったのかと恥ずかしさに上がった呼吸を繰り返していれば、腕に込められた彼の力が増し、今度は首に額を押し付けられた。

「鬼灯様?」
「充電させて下さい」
「は、い?」
「ヒサナ不足です」

唇を寄せられ耳元で囁かれた彼特有の低音は、疲労も合間ってか何時にも増して低い。
それが鼓膜を震わせる振動にもぞわぞわする。
どうするつもりだとヒサナが瞳を揺らしていると、鬼灯が片腕の拘束を解いて彼女のうなじ下の襟を引き下げると、背中に近いところに一つ口付けた。

「や…」
「…このまま抱いても宜しいですか」

口付けた箇所で話すものだから吐息がかかる。
覗いた背筋に指まで這わせるものだから、ヒサナはとんでもないとゆるゆると首を振った。
怨気が募っているのならば話は別だが、消耗もしていないヒサナには今の鬼灯の状態が感じられる。
疲労困憊はしているが、怨気とは無縁のようだ。
ならば、自分の出る幕ではないと首を回せるだけ回して背後を振り返った。

「む…ど、どうして」
「愛しい者を求めるのに理由が要りますか」

間近で顔を会わせたことで、ようやっと鬼灯の表情が伺えた。
目の下に隈を作り、眉間は険しくしかめられている。
機嫌の悪さと疲労感はよくわかった。

「疲れてるなら寝てくださいよ…っ」
「寝るのも大切ですが、ヒサナと寝るのも大切です」
「意味違いますよね…っ。添い寝でよろしければいくらでもしますから…!」
「…では、腕枕つきで」

ヒサナが疑問のために発しようとした間の抜けた声は、鬼灯がヒサナを転がして腕を取り、そこに頭を預けるまでの流れるような動作に出されることはなかった。
何ともすんなりと聞いてもらえたので呆けて間近にある彼の顔を見ていると、鬼灯が頭の位置を直しながら口を開いた。

「何ですか、期待してました?」
「!してませんっ」

腕を取られている為背を向けることも叶わないので、ヒサナはフイとそっぽを向く。
しかしそれは腰に回された腕に引き寄せられた事で、ヒサナの抵抗は呆気なく終わった。
腰を引かれ、顔を近づけさせられる。

「無理強いはしませんよ」
「…したくせに、この前」
「お望みとあらばしましょうか?」
「やですよ!やっと治ったのに…」

小さく唸りながら、ヒサナは自らの首筋に手を添える。
そこには今まで巻き付けていた包帯はなく、鬱血痕や噛み痕による赤みも綺麗に治ったヒサナ本来の肌の白さが際立っていた。
既にうなじには、新しい赤みが残されてしまっていたが。
鬼灯はヒサナの首もとを見て目を細めると、ぽつりと口を開いた。

「やはり一度味わってしまうと、欲求を抑えるのが大変ですね」
「頑張って下さい」
「…最初はね、想い人と言えど夫婦でもないヒサナを抱くのに抵抗がありました」

突然の告白にヒサナは首をかしげる。
聞くまでもなく鬼灯が話すのは、初めて抱かれた日の事だろう。
しかしあれはヒサナに有無を言わさず強行されたように思うが、突然どうしたのだろうか。

「房中術を行うしかヒサナに…私達に生きる術はありませんでしたから、流石に腹をくくりましたよ」
「私も、それしか鬼灯様を助けられないとなったら、するしかなかったと…思います」
「…仕方がなかったと言うつもりはありません。最終的に貴女を犯すと決めたのは私です。私自身が決断しました。誰に言われたからでもありません。あれは私の意思です」

誰のせいでもない。他でもない己の意思だと鬼灯は断言する。

房中術と告げた白澤とのやり取りをヒサナは知らない。
疑うのなら聞いてみてくれて構わない。
大事にしてやりたかったと、鬼灯は表情を歪めた。

「ですが、あんな形でヒサナを抱くことになるとは思ってもみませんでした。謝るような気持ちで望んだつもりはありませんが、すみませんでした」
「いえ、そのあとにもお話ししましたが、恨んでもないですし、あれは本当に仕方ないですよ」

誰のせいでもなく、また双方に非はある。
気にしていないと告げようとすれば、ヒサナの赤く色付いた下唇に鬼灯の人差し指が添えられた。

「あんなことになるのなら、さっさと言っておけばよかったのです」
「何をですか」
「言いましたよね。夫婦でもないのに関係を持つ事に抵抗があると」

伴っているであろう睡魔を封じ込めた、真っ直ぐな瞳で鬼灯は語る。
それは鬼灯がみなしごだからこそ、経緯を知らずとて思うところがあるのかもしれない。
不可抗力な子を成したくない故か、一方的に襲うような真似はしたくなかったのか。
聞くに聞けない話題に考えあぐねていると、鬼灯が僅かに首を傾げた。
ヒサナの言いたいことは察しているようだった。

「違いますよ。只単に婚前に無責任に抱くような真似だけはしたくなかったんです」
「はぁ」
「現世に比べれば古い考えかもしれませんが、夫婦となった初夜が初めてというのが理想でした」
「誠実な考えだと思いますけど」

現世では、未成年や婚前の男女が事を成すという。
昔は婚姻まで貞操を守るものだったそうだがと、ヒサナも鬼灯の意見に同意だった。

「ヒサナは、私から離れて暮らしたいと思いますか」

突然の質問に意図が読めないが、ヒサナは疑問を露にした表情で首を振る。
鬼灯と離れて暮らすなど、考えたことがない。

「ヒサナは私からの供給がないと消滅してしまいますから、それは私もですので離れるのは困難だと思います」
「そうですね」
「例えばの話ですが、私が他の方を射止めて家庭を築いたとしたら、どうしますか」
「…は?」
「私もそこまで鬼ではありませんので、私無しでは生きられないヒサナを追い出したりはしません」
「一緒に住むということですか」
「そうなりますね、いえ出ていかれても構いませんが。房中術ももちろん施します。私が誰か他の女性と仲睦まじく過ごす様を、側で見ていられますか」

鬼灯が告げた光景を、想像してみる。
生きるためとはいえ関係を持ちながらも、鬼灯には他の女性が居て、それを見ている自分。
つまりその自分は、もう鬼灯から想われてもいない。
きゅうと胸の辺りが収縮する感覚に、ヒサナは胸に手をあてた。

「なんか…もやもやします」
「つまり?」
「嫌、です」

見ていられる訳がない。
鬼灯がどういった理由でこの質問を口にしたのかはわからないが、考えただけで胸が痛み、酷く不快なものだった。
ヒサナの答えに、鬼灯も小さくうなずいた。

「私もです。ヒサナが他の男の物になるなど、見たくも考えたくもない」
「どうしてそんなこと聞くんですか」
「確認と、ヒサナの想いを知るために」

鬼灯はふと天井を見上げたので、ヒサナも鬼灯の視線を追うように見上げた。
普段でも高く感じる天井、さっきも思ったがこうして横たわっていると更に高さを増し、この部屋が広く見えた。

「こうして帰ってきても以前はすぐに寝るだけでしたが、今は貴女が必ず居てくれることがとても嬉しく思います。これからもそうであってほしいと…願わずにいられません」
「心配なさらなくても、ずっとお側に居ますよ」
「ヒサナが居ないのはもう考えられません。他の女性では無理です。…ねぇ、ヒサナ」

再びヒサナへ向き直った鬼灯が、彼女の頬に手を添えて優しい声音で問いかける。
その手はいつもよりずっと熱くて、ヒサナも驚くほどだった。
親指の腹でヒサナの頬を撫でながら、一息吐いた鬼灯がゆっくりと口を開いた。


「私と、家族になって頂けませんか」


結婚でも夫婦と言うのでもなく、妻と言うのでもなく。
確かにそうなって欲しい意味で言ったのだが、あえて家族と言ったその言葉は、鬼灯にとってはとても重要なものだった。
孤児だった鬼灯が、初めて手にした家族のような場所閻魔殿。
必要とされ、帰る場所があり、待ってくれている人が居る。
遠い昔に憧れたものであり、今でも大切な場所に変わりはない。
しかしそれは鬼灯が個人的に抱いているだけであり、強要するつもりもなければ、擬似的なものである事もわかっている。
だからこそ、今回は初めて自らそれを望む。
思い焦がれたその存在を、偽りではなく確かなものにするために。
その相手はこの人が、ヒサナが良いと、鬼灯は強く強く願った。

ヒサナは驚きに僅かに目を見開いて鬼灯を見つめる。
彼が纏う気は穏やかなもので、そこに少しの不安が混じっていた。
嘘偽りではないことは、鬼灯の目を見れば明らかだった。
真っ直ぐに見つめてくるものだから、ヒサナも視線を反らそうとは思わない。
鬼灯は急かす事もなく、只静かにヒサナの言葉を待っていた。

「…もっと素敵な、綺麗所は他に沢山居ますよ」
「ヒサナでなければイヤです」
「私が鬼灯様の中に入った事に恩を感じているだけなら、ここまでして頂かなくてもお側に居ますよ」
「違います。今のままでも良いのですが、揺るがないものにできるならしたいのです」

腰に手を回されている今、逃げ場もなければ鬼灯に逃がす気もないだろう。
今回は今、返事を求められている。
ヒサナも鬼灯に抱いている想いが確かにあるが、自分がそれを望んでいいのか、口にしていいのかと戸惑われた。
かといって、ここでその気持ちをひた隠したら、自分に嘘をついたら、きっと後悔するだろうとヒサナは意を決した。
何よりも、自分が鬼灯の願いを叶える事ができるのなら、答えは既に出ていた。

「…私で、いいんですか?」
「ヒサナが、いいんです」
「後悔、しませんか」
「モノにしない方が後悔します。貴女が欲しくてたまりません」
「それでしたら、不束者ですが、こ…こんなので宜しければ、よろしくお願い…いたします」

次第に頬を赤らめ、顔を真っ赤にさせたヒサナが言い切るが早いか、瞬時に伸びてきた鬼灯の腕に力強く抱き締められた。
加減なんてもう上手く出来ていなくて本音は痛いのだが、安堵したように力任せに行われるそれを咎めることが出来なくて、ヒサナもなんとか鬼灯の背に腕を回した。
そうすれば更に抱きすくめられ、骨が軋みそうだったがヒサナも負けじと鬼灯にしがみついた。

「ありがとうございます」

暫くヒサナを腕の中に閉じ込めていた鬼灯が、ヒサナの耳元で小さく呟いた。
密着させた胸から鬼灯の鼓動が早鐘を打っているのが伝わってきて、緊張していたことがわかる。
ヒサナもこちらこそと、鬼灯の肩に頬を刷り寄せた。

「でも、突然どうしたんですか鬼灯様」
「突然ではありません。前々から…というか最近はそればかり考えていましたよ。何処でどう何と言おうか、女性は雰囲気も大切にするものなのでしょう?」
「…告白された時の事を言ってるなら、別にもういいですよ」
「散々考えましたが、先程やっとここへ戻ってみたら貴女が居てくれた事にとても安心しました。そうしたらヒサナとの確かな関係が欲しくて堪らないのです。悩んでいたことが別にどうでもよくなりました。今言わなかったら、駄目な気がして」

今のこの気持ちのまま、ヒサナに伝えなくてはならないような気がした。
ヒサナから告白の返事をもらったのも、この部屋でありこんな夜更けであった。
そういうものなのかもしれないと、鬼灯が腕の力を僅かに緩めればヒサナが顔を覗かせる。
仕草一つ一つに目を惹かれ、愛おしくて仕方がないとはこのことと、鬼灯はヒサナに口付けた。

「必ず幸せにしますヒサナ」
「それは私の台詞ですよ、鬼灯様」

素直にヒサナが頷かなかった物だから、僅かに鬼灯が眉を寄せる。
ヒサナははにかんで笑って見せる。
それならばこちらの方が年期があると言わんばかりに、ヒサナは首を引いて鬼灯を見上げた。

「鬼灯様も、幸せになりましょう」

20150426

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