格子の向こう側 | ナノ


▼ 白石由竹

「水波海ちゃーん!」
「はーいよ、白石ちゃん」
「待ってたよ〜」

まるで親しい友人と街で会ったかのように声を掛け合う。
待ってましたとばかりにニマッと笑う白石の口に、ぽいっと飴を一粒放り込んでやった。

「これこれ、至福の時だ〜」
「そりゃ良かったっす。で、今日は何を話してくれるんすか?」
「誰かの情報にするか?俺の過去の話?あ、恋の話も出来るぜ!何がいい?」
「どーしよっかにゃ〜」

水波海が看守になったばかりの頃に『女の看守が入ってきた』と当然囚人達の間では騒ぎになり好奇の目を向けられていた。
その中でも一際声を掛けてくる者達が数人居て、その内の一人が白石だった。
当初は面倒臭いとしか思っていなかった水波海だったが、あまりにも熱心に声を掛けてくるから少し話をしてやったら案外と面白いことをたくさん聞けたので、それ以来白石とはよく話すようになった。
それから様々な情報を聞くことの対価として、こっそりと飴を差し入れるのがいつの間にか二人の間のルールとなっている。

「恋の話って、白石ちゃんの?」
「おうよ。俺が"脱獄王"と呼ばれるようになったのも、その恋をしたからだったんだぜ!」
「じゃ、試しにその話聞かせてよ」
「いいぜ。あれは俺が20歳を過ぎて初めて樺戸集治監に入れられた時だ……」

そうして暫く続く白石の恋物語を聞きながら、時々質問や相槌を入れる水波海。
他人に興味を持たずに生きてきた水波海は色恋など自分とは一生無縁のものと思っていた為、女学校時代に周りの女子がそういう話をしていても一切聞こうともしなかったのに、門倉と出会って"恋"を知った今では他人の恋愛話にも興味を示すようになっていた。
結局、白石の恋物語の結末はくだらないもので終わったが、それでも水波海は最後までしっかりとその話を聞き続けてたのだから珍しいものである。

「なるほどにゃ〜。やっぱり『人を好きになること』って劇的で、人生を変えるもんなんすね」
「そういうことだな」
「結果的に白石ちゃんは網走監獄に入ることになったし、そこで恋が破れたんだから悪い方に転んだとしか思えないっすけど」
「それ言っちゃう〜?」

と言いつつケロッとしている白石に、水波海は他の囚人や看守といった周りの人間の耳を気にすることなく言う。

「あたしはね、白石ちゃんがいつかここを脱獄するのを結構楽しみに待ってるんすよ」
「え、どうして?」
「その方が面白いから。可能性のある人間は興味があるっす」
「看守なのに脱獄を勧めるなんて、さっすが水波海ちゃん!無事に脱獄出来たらご褒美としてデェトでもしてくれない?」
「いやそれはしないっす」
「あは、きっぱり断るのね…」
「それと、あたしと門倉さんが当直じゃない日にしてほしいっす」
「減給されるから?」
「それもあるっすけど、殺さないように手加減して相手するのは無理だと思うから」
「肝に銘じておきます!」
「頑張ってね、"脱獄王"」

立ち上がって椅子を抱え上げ、格子の間から爛々とさせた目を向ける水波海に白石はビシッと敬礼して見せた。
『長いものには巻かれろ』精神の白石らしい態度である。

「さて、そろそろ戻るっす。また何か面白い話用意しといてね〜」
「任せとけって!ピュウ☆」

飛ばされた見えない星を弾き返すように、くるっと踵を返して中央見張り所へ戻る水波海。
そのまま椅子を定位置に置くと、白石の話に感化されたのか急激に門倉に会いたくなった水波海は、当然我慢出来ずに他の看守の制止も聞かず門倉の宿舎へそそくさと向かって行ったのだった。

/ 次

[ TOP ]