第3話


結局、昼食は一人で、屋上の貯水タンクの上で食べた。いつもならばかすがや市と食べるのだが、一人で食べるというのはなかなか寂しいものがある。弁当箱の入った手提げを片手に屋上を後にした偽名字は、飲み物を買いに行こうと下へ降りていく。どうやら階段の上は天窓になっているらしく、暖かい日差しが校舎内に降り注ぐ場所となっていた。そんな階段には、偽名字の足音しか聞こえていなかったのだが。
パシャリ
確かにカメラのシャッター音が。見られていると気配を感じ取っていた偽名字は小さく溜息をついて、物陰に隠れている人物に声をかけた。

『無断撮影とはいただけないな』
「す、すみません…」

隠れるくらいだから少しは抵抗されるかと思っていれば、写真を撮った張本人は意外にもあっさりと出てきた。深い青い髪に、赤縁の眼鏡。この高校は、学年ごとにリボンとネクタイの色が異なり、ネクタイとリボンは自由に選ぶことが出来る。彼女がつけているのは、偽名字自身のネクタイとは違う色のリボン。後は身長からして1年生だろうと判断できる。物陰に隠れるように立っていた彼女に苦笑を浮かべつつも声をかけた。

『そんな物陰に居ないでこっちにきたらどうだい?』
「いいいいいえ!そんな恐れ多い!」
『(恐れ多い…?)』

一体何が恐れ多いと言うのだろうか。確かに学園ではそういう立場にいたかもしれないが、この高校に来てからは目立った行動はしていない筈(第一、まだ一日すら経っていない)。なのに恐れ多いと言うのは何事か。微妙な表情を隠しきれない名前は、とりあえず目の前に出てきた少女の名を尋ねる。

『君、名前は』
「1年C組、サッカー部マネージャーの音無春奈です!」
『へぇ、音無さんね』

私は、と言いかけた偽名字だったが、その言葉は目の前の彼女に遮られてしまった。

「2年C組、偽名字偽名前先輩、ですよね!」
『あ、あぁ…』

ずずい、と迫ってくるように言った音無に、思わず一歩後ずさる。先程までのおしとやかさは一体何処へ行ったのか、目をキラキラさせて此方を見る彼女に、だんだん居心地が悪くなってくる。音無は、偽名字のそんな様子に気付いていないのか、依然楽しそうな表情を浮かべたまま口を開いた。

「偽名字先輩って婆娑羅学園からの転入生なんですよね!」
『よく知ってるね』

同じ学年ならまだしも、まさか1年生にまで知られているとは。目立たないようにとは努めてはいるので、彼女は特殊な類の人間なのかもしれない。例えば佐助みたいに、自分の学校の情報は網羅しておきたい、とか。

「当たり前です!雷門高校の情報通といえばこの私ですから!」
『情報通、か』

どうやら完璧に佐助と同じ畑の人間らしい。

「実は私、偽名字先輩に聞きたいことがあるんです」
『、なにかな』

素直に質問を促せば、漫画のようなキラキラが此方に飛んでくるのではないかと思わんばかりの輝きようで。歳相応の反応だと思えば可愛いものに見えてくる。

「私、婆娑羅学園の生徒会メンバーについて知りたいんです!」

心の中の名前の顔が凍ったような気がした。
今、彼女はなんと言った…?

「?ですから、生徒会メンバーのことを…」

…さて、これは困った。もしこの質問をされているのが生徒会メンバーで無かったなら、彼らは自分の目で見たものをそのまま口にすればいいのだが。生憎彼女はそんな都合の良い立場ではない。何せ生徒会副会長その人なのだから、生徒会メンバーのことなど知り尽くしているに等しい状態。此処で何か口を滑らせれば面倒なことになりかねない。情報通だと豪語している彼女にむやみに情報を流せば、それは学園に何かしらの影響を及ぼす可能性がある。此処は黙っている方が得策だろうという考えに至った偽名字は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

『ごめんね。私生徒会メンバーにあまり詳しくないんだ』
「そうなんですか?」
『うん。彼らは特別棟からは用事が無い限り出てこないし、普通棟にも滅多に顔出さないから』
「そうですか…」

残念、と言わんばかりにしゅんとする音無。嘘は言っていないし、仕方がないとは言えこんな反応をされては罪悪感に苛まれてしまう。困ったような笑顔を浮かべている偽名字に、気を取り直した音無が尋ねる。

「偽名字先輩は部活は何に入るか決めましたか?」
『いや、これから1週間は見学期間を貰ったよ。今のところはバスケ部にするつもりだけど』
「バスケ部ですか…あの、サッカー部に来ませんか?」
『サッカー部は今色々大変なんじゃないかい?今朝、夏未から聞いたよ』

彼女のその言葉に、音無の表情が固まる。その後の彼女の言葉は、何とも歯切れが悪かった。偽名字が腕時計に視線を落とせば、時刻は授業再開まで5分を切っている。仕方ないかと飲み物を買いに行くのは諦めた。音無にも時間のことを伝えた彼女は、音無に背を向けて階段を上り始める。

「偽名字先輩!」

背後から掛けられた声に振り返れば、そこには此方を真っ直ぐ見上げてくる音無。先程までの暗い表情はなく、にこやかな表情がそこにはあった。背中を向け続けるのはどうかと思った偽名字は、完全には体を向けはしなかったものの、横向きに彼女を見下ろした。

「偽名字先輩が、愛染先輩みたいな人じゃなくて良かったです。サッカー部は特設グラウンドで練習してるので、何時でも見に来てください!」

一方的に言い残していった音無は、ふわふわと髪を揺らしながら1年生フロアの廊下を走っていった。それを見届けた偽名字は、止めていた足を再び動かして階段を上り始める。そんな彼女の脳内を占めるのは、先程音無の言葉にも居た一人の人物。
フルネームは愛染梨子。愛染財閥の一人娘で、目立つ髪色に瞳の色をしている。状況判断が出来ず、自分の都合の良いほうにしか考えられないおめでたい頭の持ち主。成績は中の下。全く、財閥の一人娘なのだから、養子を取らない限りは彼女が後継者となるだろうに。成績が中の下なんてのは一体どういうことだ。この高校には鬼道財閥の鬼道有人がいるが、彼は鬼道財閥の名に恥じないくらいの文句なしのトップクラス。帝国学園の高等部でも十分通用する実力の持ち主だ。そんなことを頭の中で整理しながら教室の中に入れば、まだ数人は立ち歩いているものの、殆どは自分の席に座っていた。偽名字も自分の席に座り、次の授業の為のルーズリーフを準備する。木野の机の上には古典の教科書が。次は古典か…とぼんやり考えていると、木野が声を掛けてきた。

「偽名前ちゃん、見学でもいいから、良かったらサッカー部見ていかない?」
『、特設グラウンドで、だろう?』
「知ってたの?」

ぱちくりと、パッチリしている目を見開いて驚きを表す木野。まさか、転入してまもない偽名字が知っているとは思わなかったのだろう。そんな彼女に、先程会った後輩の話をした。

「へぇ、春奈ちゃんに会ったんだね」
『元気な後輩だったよ』
「ふふ、あぁ見えて彼女、パソコンとかすっごく得意なんだよ?」
『パソコン…』

成る程、それなら彼女が偽名字のことを知っていたことも説明がつく。情報には必ず裏のルートがある。あんな純粋そうな子がそのルートを使っていると俄かには考えにくいが、少なくとも名前や佐助といった人間は多用している。ルートが何処であろうとその情報が正確で、豊富ならなんら問題ない。情報は多く持っている者が有利になる、そういうものなのだ。ふむ、と考えを一段落させた偽名字はふと視線を感じ、そちらを見てみれば、

『…………』
「?どうしたの、偽名前ちゃん」
『…高校生でドレッドなんて初めて見た』
「あはは…鬼道くんのことだね」
『あぁ、鬼道財閥の…』

情報は見たことがある。が、面倒だといって写真を見るまでには至らなかったのだが。実際目の当たりにしてみるとなかなか衝撃的だ。木野の話によれば、中学生の頃はゴーグルとマントもしていたらしい。名言は「マントはセーフだ!」…らしいが。

『(果たしてそれは名言なのか…?)』

偽名字が言ったなら、確実に葬り去りたい黒歴史の一つになる。瞳の色は赤で、此れが原因でゴーグルをしていたらしいと言葉を濁された。カラーコンタクトという便利な物があるというのに…まぁ、目に優しい方といえば確かにゴーグルには違い無いだろう。結局彼らは、教科担当の教師が入ってくるまで、互いの顔をじっと見続けていた。号令を終え、席についたときに、鬼道の斜め前の豪炎寺が彼を振り返る。

「どうした、鬼道」

どうやら、先程までの2人の行動が気になったらしい。そんな彼の質問に、真顔で答えた鬼道。その答えは、

「さっき向こうの会話で春奈の名前が出てきたような気がしてな」

やはりシスコンの鬼道らしいものだった。

「……そうか」

自分も夕香の話が出てきたら同じような反応を取ってしまうのだろうか。傍からそんな状況を見ていると、微妙な心境になった豪炎寺であった。


シャッター音が切り取った世界
光に照らされた貴方が、あまりにも綺麗だったから


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