第5話


週が開けて月曜日。濃から届いたバスケに必要な一式と弁当、筆記用具を鞄に詰めて家を出た。因みに教科書などはすべて学校に置いてあるが、一人一人ロッカーが与えられているし、鍵も掛けられるから盗難の心配もない。それに、偽名字の場合は例え教科書を盗まれたとしてもなんら問題はない。それらは全て既習範囲だからだ。かしゃかしゃ、と軽い音を立てながら自転車のペダルをこいでいると、横から声が掛けられた。

「偽名前ちゃーん!」
『、秋』

席が隣で、教科書を見せてもらったりと世話になった友人だった。初日で随分と仲良くなれた2人は、互いにアドレスを交換するまでに至った。駆け足で此方へ向ってくる木野を待ちつつ、偽名字は自転車から降りる。

「おはよ!」
『おはよう』

木野の髪が、走ったことでほんの少しだけ乱れている。偽名字は一言声をかけてから、彼女の髪を整えた。其れに驚いたような木野だったが、すぐに「ありがとう」と礼を言った。

『どう致しまして』
「慣れてるね…前の学校でもやってたの?」
『いや?やってないよ?』

かすがは常に身だしなみは完璧だし、市は治す必要が無いくらいのサラサラストレートヘア。名前がわざわざ直してあげるという必要は無いのだ。行こうか、という偽名字の言葉で、2人は高校へと歩き始めた。

『早いね。いつもこの時間?』
「うん。サッカー部の朝練習があるんだ」
『へぇ、熱心だ』

聞けば、毎日毎日朝練習をして、部活終了時間ギリギリまで部活をしているとのこと。唯単に、その部活が好きと言うだけでは挫折してしまうだろう。最も、部活というものをまともにした事が無い偽名字にとって、それが一体どのような感覚であるかということは良く分からなかったが。

『好きなんだね、サッカー』
「うん!皆、サッカー大好きなんだよ」
『そっか…それってとても素敵なことだと思うよ』
「ありがとう!」

にこにこと、とても嬉しそうに話す木野。その笑顔は、見ているこちらまで嬉しくなってしまいそうなものであった。それを微笑ましげに眺めていた偽名字だったが、急に険しくなった木野の表情に、一瞬だけ戸惑ってしまった。

「でも、あの子が来てからは…」
『あの子…愛染さん、だっけか』
「そう…中学の頃から皆のサッカーを見てきたから、分かるの。明らかに士気が下がってるって…」
『士気、かぁ…』

確かに、集中、熱中したいものと向き合っているときに邪魔をされたなら、士気が下がるのは当たり前だ。辛そうな木野の表情を横目で見つた後、偽名字は空を見上げた。

『(早々に動き出したいのはやまやまだけれど…残念ながらまだ集めたい情報がある)』

もう少しだけ待ってて、とそう呟いた。
放課後。バスケ部の活動場所、体育館にいた偽名字。自販機で買ってきたスポーツドリンクで喉を潤していると、バスケ部員が興奮した様子で話しかけてきた。

「すっごい上手だね!」
『、ありがとうございます』
「このままうちの部に入ってくれるの?」
『その予定です』

皆さんがよろしければ、ですが
そう言って笑った偽名字。それを聞いたバスケ部部長は、嬉しさのあまりか、彼女へ迷い無く抱きついた。慌てて支えた偽名字と部長の姿を見て、部員達は不満げな声を上げる。

「部長ずるい!」
「私だって偽名字さんに抱きつきたい!」
「早く代わって下さい!」
『あ、あの…』
「ふっふーん!此れが部長の特権!」
「「「職権乱用断固反対!!」」」
『(ぅおーい…)』

偽名字の声が全く届いていないのか、バスケ部員は彼女を挟んだまま口論を始めてしまった。慣れ親しんだ間柄なら迷いなく止めることが出来るのだが、初対面の彼女らにそんなことをしては失礼かもしれない。ただ成り行きを見ていることしか出来なかった偽名字にとって、天使が現れた。

「おーいお前等、偽名字が困ってるだろう」
「「「監督!」」」
「悪いな偽名字、こいつらの相手は大変だったろ?」
『いえ、そんなことは…』

そうか?と苦笑した監督。どうやら、彼にもこのチームはなかなか扱いづらいらしい。監督がぱんぱん、と手を叩けば、偽名字に抱きついていた部長は離れ、他の部員達も監督を囲むように移動する。

「さて、偽名字は入部希望者ではあるが、理事長から他の部活も回るようにとの指示が入った。部活には参加しないで眺めるだけでもいいらしいから、とりあえず行って来い。他は練習に入るから配置につけ!」
「「「はい!」」」
『じゃあ監督、今日はこれで』
「あぁ。楽しみに待ってるぞ」

体育館内に散っていった部員を一瞥した名前は、監督に一言告げてから体育館を後にした。監督はにこにこと笑い、彼女を見送った。因みに今の服装は、短パンは指定ジャージのものだが、Tシャツは通気性のいい運動部用のものを着用していた。濃が揃えてくれた道具の中に入っていたものだ。スポーツドリンクとミニタオルを持って、校舎内をふらふらとする。ふと窓から外の景色を見てみれば、サッカーボールが天高く飛んでいくのが見えた。

「サッカー部は特設グラウンドで練習してるので、いつでも見に来てください!」

『見にだけ、行ってみようか』

入る気はさらさら無いが、笑顔であんなことを言われてしまっては無碍にすることも出来ない。グラウンドでやる体育の為に置いておいたシューズを履き、外へ出た。道の途中にある他の運動部を視界に入れつつ、特設グランドへ向けて歩を進める。にしても、サッカー部の特設グラウンドだなんて…FFIで優勝した中心メンバーが通っているから、と言われれば納得できるが。他部活の実力もなかなかだが、特にサッカー部には力を入れているように見える。徐々に近付いていくにつれ、彼らの練習の声が聞こえてきた。

「よし!」

オレンジ色のバンダナをつけたGK。それと対峙するように立っているのは、色素の薄い髪がツンツンと立っている青年。恐らくシュート練習をしているのだろう。その後ろには、

『(うげ)』

明るすぎる茶色を高い位置で一括りにしている愛染の姿が。心なしか、彼女の後ろにいる鬼道の顔が歪んでいる様に見える。最早それは日常的になってしまったのか、誰もどうしたのだと聞いたりする様子は見られなかった。

「行くぞ、円堂!」
「来い!豪炎寺!」

どうやらGKの名字は円堂というらしい。ツンツン髪のほうは豪炎寺。豪炎寺が、自分でボールを高く打ち上げた直後、自身も大きくジャンプする。

『えぇぇ…』

小さな頃から訓練を受けてきた名前や佐助にとって造作ない動作とはいえ、相手は一般人(の筈…)。あんなに高くジャンプできるのか…と、思っていたら。

「爆熱ストーム!!」

なるほど、故に超次元サッカーか。常人を逸脱したあの動きを始めて見る訳ではないが、自分達と違って一般人である彼らがあのような動きをしているのはやはり疑問が隠せない。炎を纏ったボールはそのまま一直線に円堂の元へ飛んでいき、円堂は其れを迎え撃つ。ギリギリの競り合いの末に勝利を収めたのは豪炎寺で、サッカーボールは後ろのゴールネットを大きく揺らした。そんな光景を近くの木に背を預けるようにして立って眺めていれば、豪炎寺が下がって、今度は愛染。彼女はどや顔でそこにいるが…まだ何もしていないだろ。ついでに言えば、目の前に立っている円堂が、凄まじく面倒くさそうな表情を浮かべている。確かに、今朝木野が言っていた様に士気は下がっていた。

「いっくよー!」
「あぁ」

返事もやる気なさ気。そんな返事をされている本人は全く気付いていないのか、わくわくとした表情のまま、足元のボールに触れる。そして、豪炎寺と同じように高々とボールを蹴り上げ、自身も天高く空中へ。彼らをぼんやりと眺めていた偽名字だったが、ふと耳に、2人組みの女子生徒の声が聞こえた。

「それでさぁ、」
「なにそれ!」

どうやら通りすがりのようだ。特設グラウンド脇の、少し高くなっている道をゆっくり歩いている。空中に浮遊中の愛染は、一瞬そちらに気を取られてしまい、僅かばかりバランスを崩した。直感的に嫌な予感がした偽名字は、小さく舌打ちをして、2人の女子生徒のほうへと駆け出す。直後、愛染はバランスを立て直せぬまま、必殺技を放った。

「きゃあっ!」

そのまま必殺技を放ったのが不味かったようで、彼女は僅かだったバランスの崩れを大きなものにした。可愛らしい悲鳴を上げたつもりなのだろうが、サッカー部員は誰一人としてそちらを見ようとはしなかった。代わりに、彼らは焦ったような声を上げている。

「お前等!早く逃げろ!!」

円堂が必死に言うが、彼女らは自分に言われているとは気付いていないようで、相変わらずのペースで歩き続けていた。このまま行けば衝突は免れられない。必殺技としての威力はないとは言え、普通のシュートよりもずっと威力はある。怪我だけですめば幸い、だが。檜皮色の光を纏ったまま進んでいくそのボールが、彼女らに接触する直前。

『ちょっと止まってー』
「え?」
「あ、危ないっ!」

彼女らの目の前から、声が。其れに立ち止まった彼女らの視界に、漸く凄まじい勢いで迫ってくるサッカーボールが入った。恐怖故、本能的に立ち止まることしか出来なかった彼女らは、きつく目を瞑った。


緊急事態発生
思わぬ事態が発生しました


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