五月雨 | ナノ








第十七章

泡沫(うたかた)




元治元年十一月。
伊東道場は新選組に加盟した。
上洛の年(甲子)にちなみ、伊東大蔵は名を甲子太郎と改める。
北辰一刀流の遣い手である彼は武士とは思えぬほど物腰柔らかで品があり、容姿端麗であった。
近藤は伊東の加盟を大層歓迎し、参謀という破格の待遇で迎い入れる。
弁舌巧みな伊東は俄かに隊士達の心を掴んでいった。


加盟から数日。
土方は自室に試衛館派の隊士と山崎を呼んだ。
個室とはいえ何人も押しかければ狭い。
呼ばれた者の一人である綾は、原田と沖田の間に縮こまるように座っていた。


「今後、伊東道場の奴らと交流試合を行うことになった」
「試合、だって?」
「伊東参謀が、是非とも隊士の腕前を見たいんだと」


吐き捨てるような言葉に、皆眉を寄せる。
伊東にどういう思惑があるのか解らないが、正直言葉のままだとは思えない。
お人よしの近藤は親善試合という名目を本気で信じている。
だがいってみればそれ以外で、平隊士達ですら近藤派と伊東派の力比べだと見る。


だからこそ負ける訳にはいかない。
ここで力関係をはっきりしておかなければ、ただでさえ伊東のせいで隊士の心は離れ気味である。
試衛館派は武勇に自信のある者ばかりだ。
皆が皆、いきり立っていた。


「五対五で御前試合をする。無論近藤さんと伊東さんは見学だ」
「それで、誰が出るんですか?」


微かに目を光らせた沖田を一瞥し、土方は面々を見渡した。


「総司、新八、源さん、原田。後は、雪之丞」
「…え?」
「綾、お前だ」


目を丸くした綾に土方は念を押すが、耳には正常には入らなかった。
名を呼ばれた他の面々は皆、近藤派きっての遣い手である。
この話を聞いた時に綾は自分が数に入る可能性を、全く想像しなかった。


「私、ですか?」
「お前以外に誰がいる」
「けれど…」


綾は躊躇いながら部屋の隅にいる斎藤を見遣った。
静かに目を閉じ斎藤は沈黙を貫いている。


近藤派の剣術の腕前は、近藤と土方を除けばおのずと見える。
近藤四天王と呼ばれるのは、沖田、永倉、平助、そして斎藤の四人である。
沖田は若くして天然理心流の師範代を務めた剣の天才。永倉は神道無念流の免許皆伝だ。斎藤の居合には誰も敵わないだろう。
それに加え、井上は近藤の兄弟子に当たる、歴とした天然理心流の門人である。彼の腕前もまた抜きんでている。
原田の専門は槍だが、それでも剣術の腕前は並みの浪士より上である。
近藤派から五人といえば、この面子になるだろうと思っていた。


「私で良いのですか?」


戸惑う綾に、土方は眉を吊り上げる。
彼は盛大に溜め息をついた後、その紫色の瞳で睨むように見据えた。


「自信ねぇのか?」
「…っ、まさか!」
「そんなら有り難く受けるんだな」
「でも、私よりも、」
「斎藤は出さねぇ」
「え?」
「斎藤は腹痛だ」


きっぱり断言した土方に、綾は困惑した。
斎藤が腹痛でないことは明白であり、そんなことは土方も解っているはずだった。
不意に場に似合わない笑い声が上がる。
腹を抱えて笑っているのは沖田だった。


「一くんが腹痛、なん、て、似合わない、です、ねぇ」
「総司、それを伊東さんの前じゃ、」
「はいはい、言いま、せんよ」


笑いを堪えながら途切れ途切れに言う沖田を、土方と斎藤は睨みつけた。
やはり斎藤の腹痛は嘘らしい。
では一体何故斎藤を試合に出さないのだろうかと顔を顰めると、ちょうどそれを見ていた原田がぽん、と綾の頭を軽く叩いた。


「こちらの手の内をすべて見せるには及ばず、なんだろ」
「手の内…、あっ!」
「全部披露してやる必要はないってことさ」


丁寧に付け加えられた言葉で、ようやく合点がいった。
土方は心底伊東に警戒心を抱いているらしい。
つまりは近藤派の腕前を全て晒すつもりはないのだ。
戦う際には己の出方を相手に知られぬ方が有利である。
味方の手の内を知るのは良い。それに合わせて動くことが出来る。
伊東はそういう名目も兼ねて親善試合を提案したのだろう。
それでも土方は伊東に心を許すつもりはあくまで無いのだ。


「残念だったね、一くん」


相変わらず沖田は楽しそうに、斎藤の肩を叩く。
斎藤は一瞥し、無表情のまま再び瞼を閉じた。


「腹痛なのだから仕方あるまい」
「腹痛、ねぇ」
「総司」
「貝に当たったのかな?それとも食べ過ぎたの?」
「……」
「拾い食いなんてヤダなぁ、一くん」
「拾い食いなどしておらん!」


からかい始めた沖田に、斎藤はむきになって律儀に返事をしている。
皆はそれに苦笑し、和んでいた。
選ばれた以上は精一杯努めねばならないだろう。
そう意気込んで拳に力を入れた綾の頭を、今度は原田は優しく撫でた。





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