五月雨 | ナノ









第一章

恩人




「綾姫様は、双子の姉君だそうよ」


偶々井戸の近くを通りかかった綾は、耳にした言葉に足を止めた。
言葉の主は井戸場におり背を向けているため、綾の存在には気づいていないらしい。
胸にすっと冷たいものが流れ込む。
この場を離れる方が良いと解っているのに、綾の足は凍りついて動かなかった。


「双子?それは本当なの?」
「ええ、確かだと思う。なんせご家老様が仰ってたもの」
「まぁ…」


話しているのは若い侍女のようである。
女というのはいつの時代も噂好きだ。
人の噂に戸を立てられないというが、まさしくこれが良い例だと綾は思った。
家老の身辺の世話をしている侍女であろうか。
まさか侍女に双子の件を言い聞かすとは考えがたいから、きっと偶然通りかかって耳にしたのだろう。
そんな風に推測しつつ、己の感情から目を逸らす。
幼少の頃から何度も言われ続けていたが、痛みに慣れることはない。


「なんでも姫様には双子の弟君がいらっしゃるそうよ」
「弟君、そうなると男女の…」
「男女の双子!」
「なんと!」


侍女の驚きの声に、目を伏せた。
胸を抉られるようだった。
会津領内で綾の事情を知るのは、容保とその側近のみだ。
だから久しぶりすぎて、余計に傷ついてしまった。
紀州にいる頃は影でこそこそ言われていたのだが。
耐性があると思っていたのに。
綾は浅く呼吸を繰り返して、ゆっくり目を閉じた。


冷静になろう。石のように心を殺さねば。
幼い頃からそうして感情の波を宥めてきた。
あまり深く傷つきたくはなかった。


「これで納得できるわね。おかしいじゃない、紀州からわざわざ会津にって」
「確かに。ではあの姫様は久松松平のどなたかの?」
「そうなんじゃないの。きっと紀州にはいられなくて会津に出されたんじゃない?紀州にいたままでは嫁にいけないだろうし」
「会津だと事情を知らない者ばかりで、しかも容保様は姫君が欲しいからね」


そんな綾をおざなりに、侍女たちは勝手なことを言っている。
他藩のお家事情までには通じていないらしく、言っていることは的を得ていないが。
唯一の救いは慶福の秘密が守られたことだろうか。


もし聡い者であれば、綾が誰の双子であったか勘付いたかも知れない。
そうなるとその者は生きていられないだろう。
将軍家の秘密を知って、のうのうと命を繋ぐ訳がない。
綾とて人の命を奪うのを、良としているはずがないから、その点は良かったということか。
後で侍女頭で側近の染に、彼女たちの口止めを頼まねばならない。
ようやく動いた足を進め、綾は場を離れた。









[] []
[栞をはさむ]


back