五月雨 | ナノ









第八章

理由




文久四年一月。
正月も明け、屯所には日常が戻ってきた。


トントントン、と軽い音が勝手場に響き渡る。
水でかじかんだ手をそのままに、綾は切り終えた具を鍋に入れた。
小松菜の味噌汁と鯵の干物、酢の物。
本日の朝食である。


「雪之丞、出来たか?」


隣で酢の物を作っていた原田が声をかける。当番の相方である。
大雑把に味付けしてあるが、男所帯の新選組の中では原田はまだまともな方だ。
これが永倉や沖田の時は一苦労である。信じられない味付けをする二人組だ。
尤も育ちが災いして新選組に入隊するまで料理をしたことがなかった綾も、あまり人のことを言えないのだが。


「俺の方は味噌を溶くだけです。原田さんは?」
「終わり。もう作るモンはないな?」
「片付けを先に始めて欲しいです」
「だな。そうするか」


鍋を一瞥した後、原田は使っていた道具を洗い始めた。
味噌を溶き入れて小皿を用意する。味見をして出さねば、後々面倒なことになる。
まだ入隊間もない頃に一度失敗し、沖田に辛らつなことを言われて以来、綾は殊更慎重になっていた。


恐る恐る皿を口に運び、舌で舐める。
熱さで味が鈍っているが、不味くはないように思えた。
しかし自信を持てない綾は別の小皿に汁を入れ、原田に差し出した。


「すみません、原田さん。少し味見してもらえませんか」
「味見?おお、いいぜ」


訝しげな表情を浮かべた原田だったが、すぐに快く了承した。
軽く手を拭き、原田は味噌汁を口に運ぶ。
怖々と見守る綾に、笑顔を浮かべてみせた。


「うん、旨い。これならみんな喜ぶだろうよ」
「本当ですか?」
「ああ、俺を信じろって」


不安げな眼差しで見上げる綾の頭を撫でた原田は、目を細めた。
本当に入隊当初より料理の腕が上がった。最早目の前の彼女が“姫様”だと云っても、誰も信じないだろう。


原田自身気持ちが随分変わったものだ。迷惑だと思っていたが、最近では綾を信用出来るようになった。既に仲間だと認めている。
沖田は相変わらずであるが、他の皆は徐々に彼女に対する態度を和らげていると原田は感じていた。
新選組に馴染んできている。それが良いことか悪いことかは別として。


「雪之丞」
「はい」
「先に膳を一つ用意してくれないか」
「え?」


驚く綾に、原田は苦笑した。


「例のヤツの分」


付け足された一言で、綾はようやく合点した。雪村千鶴の分である。


綾はまだ彼女に会ったことがなかった。
土方の言いつけで部屋に近寄ることすら許されなかったし、幹部は幹部できつく言い含めてあった。雪村千鶴自身部屋から一歩も出ないので、偶然の遭遇は有り得なかった。
今まで彼女の食事の準備を綾がしたことはない。だからこそ驚いた。


原田は木具膳を一台差し出し、綾を柔らかい眼差しで見つめた。


「鬼の居ぬ間に何とやら。お前が持って行け」
「原田さん…」


綾は原田の意図がようやく解った。
土方と山南は大阪に出張して不在だ。言葉にしたことはないが、日頃から綾が不憫な捕虜を気にしていると、原田は勘付いていた。故に申し出てくれたのだ。


膳を受け取り、綾は顔を上げる。表情は明るかった。


「ありがとうございます」
「おう、気にすんな」


頷いた後、原田は再び道具を洗い始めた。







[] []
[栞をはさむ]


back