第五章
浅葱色
文久三年十一月。 隊編成発表の前夜、綾は土方の自室に呼ばれた。
土方に呼び出しを食らうのは、芹沢一派との接触を禁止されて以来である。 緊張した面持ちで部屋に入れば、土方は文机に向かい筆を取っていた。 口を開く様子はない。
「土方さん、何の御用でしょうか」
綾が尋ねると、土方はようやく彼女と向き合った。 相変わらず険しい表情を浮かべている。 元々愛想が良い訳ではないが、芹沢の一件以来土方は凄みを増していた。 最近では“鬼の副長”との評判である。 新入隊士たちは怖がって近寄らない。
土方は黙って綾を見据えた。 何かを探るような視線を投げ、重い口を開く。
「お前に一つ聞きたいことがある」
唐突な言葉に、綾の身体に一気に緊張が駆け巡る。 強張った顔のまま何でしょう、と問うと、土方は腕を組んだ。
「まだ新選組に残っていたいか」 「え?」 「姫身分に戻りたくないかと聞いている」
姫身分、つまり会津藩主の娘に戻りたくはないか。 土方の質問に綾は目を見開いたが、すぐに細め半ば睨みつけるような瞳になる。 まさか今さら出て行けと言っているのか。 確かに自分は役立たずだが、追い出されるような真似はしていない。
「それはどういう意味ですか」 「そのままの意味だが」
怒りを露わにした綾に、土方は全く怯まない。 彼は先ほどから微動だにしていなかった。
「容保様から書状がきた。もし戻りたいなら、桑名の松平定敬様のところに養女として入り、桑名松平から嫁に行くことも可能だそうだ」 「お言葉ですが、私の本意ではありません」 「これから新選組はますます血生臭くなる。京が不安定なのは知っているだろ」
事も無げに言い放った土方の言葉は間違いないことだった。 昨今は浪士の往来が増え、新選組は日夜駆けまわっている。 隊務で命を落とす者も出た。 人斬りは日常茶飯事、未だ斬ったことがないのは綾くらいなものだ。 確かに身分を戻すのならば今のうちだ。 今ならば平穏なお姫様に戻ることも出来るだろう。
しかしそんな簡単な想いで会津藩を飛び出した訳ではない。 綾は土方に訴えかけるよう、真っすぐ見据える。 嫁に行って平穏無事に暮らすことなど望んでいない。 自分は近藤の傍で近藤の役に立ちたい。 想いを全て視線に託した。
暫し睨みあっていたが、先に視線を外したのは土方だった。 何度か頷きながら、彼は体勢変えて文机に戻る。 そして筆を取った。
「雪之丞」 「はい」 「お前を八番組に配属する」
えっ、と綾は思わず声を上げた。 仕方のないことだった。 これまで土方は綾を隊はおろか、巡察にすら同行させなかった。 新選組の主要な仕事に一切触れさせないようにしたのである。 なのに突然隊に入れてくれるなど、思いもよらなかった。
「八番組の組長は平助」 「平助、が…」
平助が組長なのは納得だった。 綾も何度か手合わせしたことがあるから、平助の実力を知っている。 江戸三大流派の一つ、北辰一刀流の遣い手である。 負けん気の強い勇ましい威勢のよい剣だった。 彼の実力は新選組内でもお墨付きだ。
土方は筆を置くと、書を広げたまま視線だけ綾に向けた。
「お前は伍長だ」 「ごちょう?」 「組長の補佐役。つまり二番手だな」 「えっ!」 「平助が出張で離れていたり体調不良でも起こしたら、お前が隊を預かることになる」
驚愕で目を見開く綾の目の前に、土方は先ほどまで書いていた書を見せる。 そこには隊編成が記されていた。 確かに八番組の部分は、藤堂平助の次に“近藤雪之丞”の名が連ねてあった。
「お前の実力はどう考えても伍長程度だ。それに平助が組長ならお前もやり易いだろ」 「それは、そうですけど…」 「なんだ、不満か」 「いえ!」
眉を顰めた土方に、綾は慌てて首を振る。 だがすぐに思い直し、恐る恐る口を開いた。
「でも良いのですか」 「何が」 「土方さんは…、私が隊に入るのを快く思っていないとばかり」
土方は顔を歪めたまま綾を観察するかのごとく、じっと見つめている。
「確かに俺はお前が重役に就くのは反対だ」 「……」 「しかしそうとばかり言ってられねぇだろ。ただでさえ人手不足だというのに」
自分から言い出したというのに、いざ否定されると辛い。 綾はぐっと袴の裾を握り締めた。 だが土方はそんな綾をふと一瞥し、口角を釣り上げた。
「ま、それにお前はそこんじょそこらのヤツらよりも、覚悟があるみたいだからな」 「……え?」
意外な言葉に綾は鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべる。 土方は小さく笑い、それから文机の下に置いていた風呂敷包みを取りだした。
藍色の風呂敷に何かがくるまれている。 開けてみろ、と言われ綾は手を伸ばした。
そして息を呑んだ。 だんだら模様は忠臣蔵由来のまさしく忠義の意、浅葱色は武士の覚悟を表す切腹峠の色。 新選組の羽織が一着、綺麗な状態で畳まれていた。
「伍長が羽織なしだと恰好がつかねぇからな。巡察の時は必ず羽織れ」 「土方さん…」 「浅葱色を着るからには、武士として恥じぬ戦いをするんだな。敵に背を向けて逃げてみろ。近藤さんや容保様の顔に泥を塗る」
覚悟はあるな、と土方は再度問いかけた。 間髪いれずに綾は力いっぱい頷く。 それを見て、土方は満足げに笑った。
「もう平助には話を通してあるから、明日にでも挨拶しとけ」 「…それって」 「用事は済んだ。下がれ」
これ以上語ることはないとばかり、土方は綾に背を向け仕事に取りかかった。 呆気に取られたが、綾は大事に風呂敷を抱えて部屋を出た。
廊下に出た途端笑みが漏れた。 八番組伍長として仲間入り出来ること。 仲の良い平助と共に隊務に励むことが出来ること。 浅葱色の羽織を許されたこと。 そして土方に認められたこと。
平助に既に話を通してあるということは、綾が姫に戻るのを拒絶すると、土方自身も思っていたということだ。 まだ自分の存在を苦々しいとは感じているのだろうが、それでも嬉しい。
綾は胸の風呂敷を強く抱え、自室へと戻った。
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