第三章
気紛れ
文久三年八月。 綾は壬生浪士組に入った。
本来ならもう少し早く入隊したかったが、身辺整理で遅れてしまった。 七月、京にある会津の縁寺で形だけの儀式を行い、松平容保の養女綾姫は蓮尚院(れんしょういん)と戒名し出家したことになった。 これで紀州には二度と帰ることは出来ず、会津松平家から嫁にいくことも叶わなくなったが綾は一向に気にしなかった。 そんなことよりも早く浪士組に入って近藤の役に立ちたいと、そればかりだった。
入隊までの合間を縫い、染は綾に家事を叩き込んだ。 綾は裁縫はまだしも料理や洗濯をしたことがない。 浪士組が自分たちで家事を行っていると聞き、慌てて教えたのだ。 猛特訓の成果もあり、入隊までに上手とは言えないが、恥をかかない程度に形にはなった。
会津邸で容保や染と別れ、綾は一人屯所に現れた。 本日からいよいよ壬生浪士組である。 胸は期待で膨らんでいた。
「雪之丞」
門前に立ち尽くしていると、突如斎藤が現れた。 どうやら案内をするため待っていたようだ。 事前の打ち合わせで近藤や土方辺りは顔を合わせていたが、斎藤とは試合以来である。 綾は頬をゆるませた。
「お久しぶりです」 「久方ぶりだな」
斎藤は軽く頷き、こちらだと言って先導した。 素っ気なくはないが、無口な質らしい。 表情も変えずに彼は綾を誘導した。
八木邸の長い廊下を一言も口を利かずに進む。 庭先の木は青々と生い茂り、時折蝉の鳴き声がする。 綾は汗ばんだ額を手拭いで拭い、斎藤の背中を追った。
たどり着いたのは奥の部屋、近藤派幹部の会議場だ。 斎藤は中に綾の到着を告げ、入るよう促した。
部屋の中には斎藤を含め九人の男が座っている。 近藤派の副長助勤達である。 様々な成りをしているが、共通して隙はない。 相応の剣術遣いなのだと綾は睨んだ。
「おお、よく来た!」 「ご無沙汰しております、近藤先生」
朗らかに迎入れてくれたのは近藤だった。 片手を挙げ、明るく笑う。 綾も釣られて笑顔を浮かべた。 ぐるりと幹部たちが囲む中央に綾は腰を下ろした。 既に綾“姫”ではなく、ただの浪士雪之丞だ。 下座に座ることに抵抗はなかった。 元より近藤を差し置くつもりもない。
「土方さん、山南さんもお久しぶりです」 「ああ」 「七月の打ち合わせ以来でしょうか。変わりはありませんか」 「はい、お陰様で」
仏頂面の土方と穏やかな山南。 鬼の副長と仏の副長。 対称的な近藤派の頭脳を担う二人だ。 綾は目の前の上役三人と斎藤を知っていたが、後は解らない。 とにかく立場が下の自分から挨拶せねば始まらないと、素早く頭を下げた。
「本日より入隊いたしました、近藤雪之丞です。よろしくお願い致します!」
これには上役を除く初対面の幹部たちは驚いた。姫育ちの人間が、あっさり礼を尽くすとは思わなかった。
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