第二十二章 鬼
慶応元年閏五月。 将軍徳川家茂は大坂城に入った。 池田屋事件、禁門の変と活躍を認められていた新選組は、家茂上洛に際して二条城の警備を申しつけられた。 近藤は広間に隊士を集め、概要を説明した。 心なしか普段冷静な土方の表情も明るい。 今まで散々ないがしろにされてきた。それがようやく浮かばれるのだ。 綾も表情を緩めるが、不意に隣にいる平助を見て硬直する。 平助は喜ぶ面々を尻目に浮かばれない顔をしていた。 朗報に伊東も緩やかに微笑むが、ふと山南が生きていればと零した。 近藤派の空気が僅かに固まる。伊東には山南は切腹したのだと伝えられている。 罪悪感が湧いたのだろう、顔を歪め軽く咳をすると近藤は隊士を見渡した。 「ともあれ、今後は忙しくなる。隊編成を考えねばなるまい。俺と歳、総司…」 「と、悪い、近藤さん。今回は総司は外してやってくれねぇか。風邪気味みてぇだからな」 土方の発言に、綾は僅かに目を開いた。 沖田の体調不良に気づいていたとは。沖田は近藤と土方には特に気づかれないようにしていたはずだ。 しかし隠すのも限界だった、ということだ。 彼の体調はとても芳しいとは言えなかった。 沖田は大丈夫だと反論したが、軽く説得されると引き下がった。 すると、今度は真横の平助が挙手をした。 綾は驚いて凝視する。 そんな綾に見向きもせず、平助は真っすぐ近藤を見据えた。 「近藤さん、実は俺もちょっと調子が…」 その申し出に、綾は顔を顰めた。 平助の体調が悪い、ということに思い当たるところはなかった。 本日も朝から共に巡察したし、この後餡蜜でも食べに行こうと話した。昨晩は酒を飲んだ。 思い当たる節は、と考えを巡らせ、綾は気落ちした。 恐らく平助が尊王攘夷ということに起因しているのだろう。 人の良い近藤はあっさり平助の言い分を飲んだが、土方の表情は硬い。それでいて深く追及しないのは諦めているからだろう。 思想ばかりはどうしようもないし、強要出来るものでもなかった。 「雪之丞」 落胆した綾に、突然声がかかる。 肩を揺らせて顔を上げれば近藤が真っすぐ見ていた。 「残念だが、お前も今回は外さなくてはならない」 「……え?」 言われた意味が解らず、綾は目を見開いた。 外さなくてはならない? いまいち事態を呑みこみきれていない綾に、土方が言葉を紡ぐ。 「お前は別件で出張だ。大坂に向かって貰う」 「大坂、ですか…」 「その件で話があるから後で俺の部屋に来てくれんか」 近藤と土方に言われ、綾は解りましたと了承した。 内心では、今回は会津藩からの要請なので仕方ないのだろうと思った。 どこで綾の正体が知れるとも解らない。だから念のため外しておくのだろう。 「この後、近藤先生の部屋にお伺いします」 「うむ、頼む」 頷いた近藤は視線を外し、再び隊士を見渡す。 綾は嬉しそうな近藤に、笑みを零した。
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