ゆらゆら揺れる行燈の明かりが部屋中を照らしている。 一人の遊女が三味線をかき鳴らす中、山南と原田は各々遊女と会話を楽しんでいた。 特に山南は日頃のような憂いを含む顔ではなく、以前のように穏やかな表情を浮かべていた。 明里と一緒にいることで、何か癒されたのかも知れない。 新選組という日常から離れたことが、彼にとって良かったのだろう。 それは何だか寂しいが、今は山南を元気づけるのが先である。 綾は軽く首を振って、空いている席に腰掛けた。
「雪之丞くん」
綾が座るのを待っていたかのように、沖田が隣にやって来た。 彼は同じように着座すると、手に持っていた銚子を傾ける。 橙色の光が杯の中で反射する。 辺りに酒の匂いが立ちこめた。
「暫く僕との剣術の稽古、お休みにしてもいいかな?」 「休み、ですか?」 「代わりに島原に付き合ってよ」
沖田は酒を煽りつつも、視線は山南と明里に向けている。 やはり怪我以来元気のない兄貴分を気にかけているようだ。 軽く瞼を閉じた後、綾は深く頷いた。
「解りました。お付き合いします」 「そっか、良かった。あまり気軽に頼めるものではないからね」
緩く笑って、沖田は銚子を手にする。 それを綾は軽く取ると、沖田の杯に注ぎ入れた。
「私でよければいつでも誘って下さい。給料は相変わらず箪笥の肥やしにしていますし…」
しどろもどろな綾の言葉に沖田は瞠目したが、直ぐに微笑んで頷いた。
「ありがとう」
穏やかな声でそう言った。
沈黙が訪れる。 山南と明里は静かに何かを話しつつ、時折小さな笑い声を上げる。 新選組にいたのでは腕のことを思い出してならないのだろう。 山南の怪我は思う以上に、隊全体に影を落としている。 気にしてはならないと解っているのに、それでも以前の彼を知る者は、山南が失ってしまったものに嘆く。 その重圧に山南は圧し潰されかけていた。
明里は山南が優れた剣客であったことなど知らない。 もし知っていたところで、彼女は剣術に明るくはないし、それよりももっと別の所で山南の人となりを知ろうとする。 それが山南にとって、綾が考えている以上に心地よかったのだ。
不意にこほっ、と小さな咳が隣から聴こえ、綾は山南から視線を逸らした。 咳をしたのは沖田だった。
「大丈夫ですか?」 「あ、うん。ちょっと風邪ひいたみたいだ」
気遣わしげな声音に、沖田は苦笑する。ここ数日体調を崩しているのだという。 綾は顔を顰めた。
「ちゃんと療養なさって下さい。沖田さんに倒れられては困ります」 「そうだね」
返事はしたものの、本当に解っているのか怪しい口調だった。 綾が眉を寄せると、沖田はゆっくりと首を振る。
「近藤さんが帰ってくる前には何とかするから」 「絶対ですよ」 「はいはい」
沖田は杯に残った酒を一気に流し込んだ。 島原にやってきて随分時間が経ってしまった。そろそろ戻らねば門限を越してしまうだろう。
「雪之丞くん」 「はい」 「僕の体調が悪いこと、内緒にしておいてくれるかな」
えっ、と綾は目を見開く。 すると沖田は、内緒だよと繰り返した。
「近藤さんも土方さんも必要以上に心配するから」
沖田の表情はいつもよりも数段大人びている。 確かに近藤も土方も、沖田のことに関しては少々過保護な部分がある。恐らくそれを懸念したのだろう。 特に今は伊東道場の加入前で、幹部は皆多忙な時である。 余計なことで心労をかけたくない気持ちは、容易に想像できた。
解りました、と頷いた綾に沖田は微笑み、席を立つ。 帰宅する旨を原田に告げるその横顔に不穏な空気を感じた気がして、綾は強く手を握り締めた。
続
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