五月雨 | ナノ










珍しく非番で手持無沙汰な綾は、暇つぶしに道場に向かっていた。
するとちょうど廊下の向こう側から、浅葱の羽織を着た斎藤がやってきた。
どうやら今から三番組は巡察らしい。
斎藤の方が先にこちらに気付いていたらしく、相変わらず無表情のままであるが、口元だけ軽く緩められていた。


「今から稽古か?」
「はい。非番で何分暇なもので」
「そうか」


感心だと斎藤が頷くので、綾は首を振って否定した。
いつもであれば非番の日は平助と共に過ごすことが多い。
しかし現在平助は江戸におり、他に親しいといえば原田辺りだろうが、彼もまた幹部数人が抜けた穴を埋めるため多忙な日々を送っている。
平隊士と不仲な訳でないといっても、上司の身としては隊士達が気楽に休んでいるだろうところに押しかけるのも臆してしまう。
そもそも女の身が露見しないよう、綾は自分の事情を知る者以外に深く接触しないようにしていた。
そういった訳で進退窮まり、結局道場に向かうことにしたのだ。


「完全な暇つぶしですよ。そういう斎藤さんは巡察ですか?」
「ああ、市中見回りだ。…綾、ならば頼まれ事をしてくれないか」
「構いませんよ。私でよければ」


瞬きを繰り返し綾が了承すると、斎藤は真っすぐ彼女を見据えた。


「副長にお茶を出してほしい」
「土方さんに、ですか」
「左様」


すっ、と斎藤は視線を外す。
その眼差しの先には、固く閉じられた土方の自室があった。


「局長を見送った後、副長はずっと休みなく働き詰めだ。茶を出して休憩を促して欲しい」
「それは良いですが…」


綾は意図が解らず困惑した。
確かに近藤の小姓をしていた時期があるので茶の淹れ方は解るが、現在綾は伍長である。
新選組には小姓と呼ばれる役職は多く存在するし、土方にはお付きの千鶴がいる。
それなのに綾に頼む訳が解らなかったのだが、斎藤は当惑を見越していたらしく、淡々としていた。


「雪村は今から三番組と巡察に出る。他の小姓たちは基本的に副長室の出入りは禁じられているからな」
「なるほど、それならば喜んで向かいましょう」


そういった訳か。
ようやく合点がいき綾が頷けば、斎藤は急ぐからと通り過ぎていった。


綾は台所で茶の支度を済ませると、言いつけ通り土方の自室に向かった。
自身の隣の部屋とはいえ、特に用がないため数えるほどしか入ったことがなく、故に緊張していた。


「誰だ」


部屋の前に座った途端、中から土方の声がした。
恐らく気配を察したのだろう。
綾は作法通り軽く一礼した。


「雪之丞です。お茶をお持ち致しました」
「雪之丞、…綾だと?」
「はい。失礼致します」


困惑を滲ませる土方を尻目に、綾は襖を開けて中に入った。
相変わらず文机の上に書きかけの書状を広げた土方は、眉を歪めて綾を凝視している。
恐らく茶を運んできたのが千鶴ではないので驚いたのだろう。
苦笑しつつ、綾は茶と大福を差し出した。


「斎藤さんに申し付けられて参じました。千鶴は三番組と巡察ですので」
「斎藤、か。そうか、ご苦労だったな」
「いえ」


斎藤の名を出しただけで、土方はだいたいの事情が呑み込めたらしい。
余程斎藤を信頼しているのだろうと、綾は微笑んだ。
土方と斎藤の主従関係は憧れるところである。
いつか近藤と斯様に信頼しあう仲になりたいと綾は心底思っている。


土方は書状を脇に置くと、茶を口に運んだ。
堅かった表情が少しだけ和らいだ。


「上手くなったな」
「え?」
「茶」


瞬きを繰り返した綾は、言葉の意味を理解すると頬を赤らめた。
入隊当初、淹れ方自体は染に叩きこまれていたので知っていたとはいえ、それはあくまで拙くない淹れ方、であった。
だが近藤に出すうちに徐々に慣れ、更に千鶴がやってきたことにより、千鶴から淹れ方を教わるようになった。
土方に茶を淹れる機会はそうないので、想像が欠落していたのである。


土方は口元を緩め、一端湯呑みを下げた。


「頑張ったな」
「…いえ」


嬉しくて綾ははにかんだまま笑った。


開いた窓から淡い夏風が吹く。
二人の遅れ毛を揺らして、風は頬を撫でた。


「あ、土方さん、ついに雪之丞くんにまで手を出したんですか」


背後の襖が突如開いて、沖田が顔を覗かせる。
相変わらずの神出鬼没に、綾は言葉を無くすほど驚いた。
一方土方は流石の長年の付き合いで慣れているのか、盛大な溜め息で驚愕を吐きだす。


「総司。勝手に入るな」
「何かいかがわしいことでもしていたんですか?嫌だなぁ、土方さんは手が早いんだから」
「そんなわけねぇだろ」


軽口を土方はあっさりと流す。
こういったものに慣れない綾には、どう反応していいのか解らないから有り難かった。
沖田は口角を上げて土方を見ていたが、不意に視線を綾に移した。


「雪之丞くん、暇そうだね。土方さんじゃなくて、僕に付き合ってくれない?」
「はぁ、何でしょうか」
「島原に行くんだ」


それだけしか告げられなかったが、綾は直ぐに真意を察した。
山南は未だ部屋に閉じこもっている。
頷くと、綾は土方に暇を請おうとした。


しかし土方の方が先に口を開いた。


「門限破るなよ。まぁ、総司はともかくお前に限ってそんなことないだろうがな」


紫色の瞳は真っすぐだった。
そんな中、沖田はわざとらしく溜め息をつく。


「僕はともかくって酷い言われようだなぁ」
「お前が一番信用ならねぇんだよ」
「そうですか?おかしいな、真面目にやっているのに」


沖田は早口でそう言うと、じゃあ行ってきますね、と部屋を出ていく。
慌てて後を追う綾の腕を、土方は軽く掴んだ。


「山南さんを、頼む」


短く告げられた言葉に、綾の胸は熱くなった。
土方は、解っているのだ。
だから綾が島原に向かうことに対して、何も言わない。
了解です、と頷いた綾は口元を引き締め、今度こそ沖田の背を追いかけた。






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