シャンシャンシャン、と三味線の軽やかな音がする。 格子越しに見る景色は賑やかで、祭りでもないのに人が大勢行きかっていた。 沖田は桟に腰掛けて何気なく外を見やっている。 その横顔は月明かりに照らされて薄白くなっていた。
綾が隣に座ると、沖田は視線を閉じられた襖に向けた。
「山南さん、笑っていたね」 「はい。すごく楽しそうでした」 「そうだよね」
沖田は嬉しそうに頷いた。
淡白に見えるが、沖田は殊更山南のことを気にかけていたのだろう。 山南は兄のような存在だという。 綾は沖田の心中を察して微笑んだ。 本日こうして和やかな姿を見ることが出来、きっと安心したのだ。
「明里さんという方、山南さんに雰囲気似ていますね」
綾は素直な感想を口にした。 明里が遊女で聞き上手なことを抜きにしても、二人の空気が似ているような気がした。 まだそれは直感で明確な理由をつけることは出来ないが、だからこそ合っているだろうと綾は思う。 人の勘は侮りがたきものだ。殊に人同士の空気に関してはそうである。
沖田も同じように思ったのか、彼にしては珍しくあっさりと同意した。
「確かにね。左之さんの見立ては伊達じゃないってことかな」 「今日の天神さんは原田さんのお知り合いなのですか?」 「知り合いっていうか、まぁ単純に色んな情報網駆使して選別したんだと思うよ」
沖田の意地悪な口調に綾は噴き出した。 原田と本日は巡察で不在の永倉は、よく二人で島原に訪れている。 黙っていても女性の方から寄ってくる程の色男である原田は専ら酒が目当てらしいが、永倉は必死に女遊びをしていた。 その伝手で原田は遊女に関して詳しかったのだろう。 何だか憎めない永倉の所業に、思わず笑みがこぼれた。
「全くどこで何が役に立つのか解らないよね。まさか新八さんの女好きがここで生きるなんて」
呆れ口調ながら、沖田は親しみを籠めていた。 良い兄貴分で頼り甲斐があるのに、永倉は何故だか女性関係が上手くいかない。 ここぞという時にいまいち決まらないのだ。 それでも山南のために自分のお気に入りの遊女を紹介するのは、江戸っ子らしい永倉の気前の良さである。 本日は姿のない彼を思い、いつか報われると良いと綾は思った。
ひとしきり笑った後で沈黙が包み込む。 それは心地の良い静けさだった。 格子から入り込む風が、目の前の沖田の遅れ毛を揺らした。 襖の向こうからは原田と平助が騒ぐ声がする。 山南も恐らく明里との会話を楽しんでいるだろう。 綾は静かに微笑んだ。
不意に沖田は黙って綾を見つめた。 翡翠色の美しい瞳は、真っすぐに彼女を捉える。 途端に綾の心臓は跳ね上がり、心拍数が上がった。 逸る胸を抑えるように胸の前で手を組む。 暫く綾を見ていた沖田は、ようやく口を開いた。
「君もあんな風に着飾っていたの?」 「…え?」 「お姫様だった頃、雪之丞くんも明里さんのように綺麗にしていたの?」
唐突に問われ、綾は虚を突かれた。 それでも何とか黙って頷く。 すると沖田は、そうかと事も無げに呟いた。
「僕は男装をしている君しか見たことが無いから」 「あ、そうですよね」
確かに、沖田は姫時代の綾を知らない。というより新選組の隊士のほとんどが綾の娘姿を見たことが無い。 かろうじて近藤が目にしたことがあるくらいか、と考えていた綾は、何度も小刻みに頷いた。
ふいに沖田の手が伸びる。 その手のひらは綾の頬に触れるか触れないかの距離で止まった。 綾は目を見開いて硬直する。 息が出来ない。心臓の音がうるさくて仕方ない。 言葉を失った綾に、沖田は笑みを落とす。
「姫姿の君、見たかった」 「…え?」 「なんてね」
軽く言うと、沖田は手のひらを離して再び格子の外を見る。 早鐘を打つ胸をそのままに、綾は暫し固まったままだった。
続
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