翌日の夕刻、綾と平助は、皆がいつ戻ってきてもいいようにと握り飯の準備を始めた。 味噌汁などは皆が帰って作った方が良いが、握り飯なら構わないだろう。 寝込んでいる病人用を先に出すと、戦場に出ていった人の為に握り始めた。
平助は額を割る大けがをしたが、起き上がれるところまで回復を遂げた。 頭に巻いた包帯が痛々しいものの、本人は至って元気である。
「しかしまぁ、土方さんもよくぞこんなに買い込んだよな」
平助が覗きこんでいるのは、梅干しが入った壷だ。 梅は殺菌効果があり、体調不良に効く。 土方は薬問屋に奉公したり、自身が薬売りをしていたため、妙にそういった方向の知識が豊富であった。 なので夏場に差し掛かり腹を壊す隊士が増えると、土方は大量の梅干しを買い付けた。
基本的にいつも作る握り飯は塩結びだが、本日は豪華に梅を中に入れた。 皆疲れているだろうし、屯所待機組は体調が悪いからだ。
釜いっぱいの米を使って握り飯を作り終えると、ちょうど玄関から足音が聴こえて来た。 平助と二人顔を見合わせる。随分表が騒がしくなってきた。
ドスドスと床を鳴らす音がしたと思うと、永倉と原田が現れた。 どうやら二人は一目散に来たらしい。 永倉は握り飯を発見するなり目を輝かせた。
「おおっ、お前ら気が利くじゃねぇか!」 「新八っつあん、まだ手をつけんなよ!」 「いいじゃねぇかよ、平助。どうせ俺らに配るんだろ!」
反論した平助を軽く無視し、永倉は握り飯を頬張った。 綾はあまりの早業に呆気にとられるが、すぐに笑みが零れる。 あっけらかんとした永倉は見ていて気持ちが良い。
「握り飯の準備、ありがとな」
いつの間にか隣に立っていた原田が言った。 綾はいいえ、と首を振って笑う。 原田も永倉の食べっぷりに呆れているようだった。
「それよりもどうでしたか?新選組の晴れ舞台は」
綾が問うと、平助も興味深げに原田を見遣る。 しかし原田は笑みを凍らせて、そして困ったように顔を顰めた。 尋ねてはいけなかったのだろうか。 平助と思わず顔を見合わせた綾の耳に、永倉の不貞腐れた声が聞こえた。
「どうもこうもねぇよ。会津藩の奴、新選組を予備兵扱いしてやがった」 「え、予備兵…?」 「ああ。それも新選組など招集してねぇってよ」
投げやりな永倉の言葉に、綾の顔から血の気が引いた。 会津藩がようやく認めてくれたと、皆が喜んでいたのを知っている。 自分は今まで会津の人間として、肩身の狭い思いもしていた。だから今回は嬉しかったのだ。 それだけに永倉の言葉は信じたくないことばかりだった。
永倉の話を聞けば聞くほど気持ちは沈んだ。 嬉しそうだった皆の表情が思い出される。 最後に浮かんだ近藤の笑顔に、ますます心には鉛が落ちていった。
暗くなっていく綾の顔を見て、原田は目を見開いた。 皆綾が会津の関係者だということをすっかり忘れていたのである。 慌てて原田は永倉の頭を叩いた。
「いってぇ!左之!何しやが、」 「新八!」
原田が目で合図すれば、永倉もようやく気付いたらしい、 あからさまに拙い、という表情をした後、罰の悪い顔をした。
だが綾は気を遣って貰うのが一番悪いと思った。 笑顔を作り、大丈夫ですと言う。
「本当に酷い扱いですね。新選組を予備兵になんて」 「あ、ああ…」 「第一線で活躍すべきでしょう。新選組は猛者ばかりなのだから」
気丈に言い放った綾に、永倉もホッとした顔になりそうだそうだと言った。 平助と原田も安堵の表情を浮かべた。
それでも綾の内心には渦巻くものがあった。 自分には何も出来ない、役立たずだと、その想いは心を巡っていた。
続
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