五月雨 | ナノ










「それにしても、さっき山南さんと話していたみたいだけど、何話していたの?」


沖田が突然言うので、綾は言葉を失った。
山南は試衛館派で新選組創設時どころか、江戸にいた頃から一緒だったのだという。
流石に辛らつなことを言われたとは口に出来ず、綾は口を噤んだが、沖田は綾の態度で全てを察したらしく苦笑した。


「嫌み、言われた?」
「……」
「何について言われたの?…まぁ、君は皮肉には事欠かないし」


沖田が言うと、妙に信憑性がある。
それは彼自身解っているらしく、苦笑の中には今までの自分に向けたものも含まれているようであった。


綾は空を見上げた。
風が頬を撫で静かに通り過ぎていく。微かに緑の爽やかな匂いがした。


「肩の怪我について言われました」
「肩、か。君の怪我、完治出来るって聞いたけど…」
「変な言い方ですけど、斬られ方が良かったんです」


神経や腱を外し、骨にかすらず斬られていた。
そのため重症であったものの、腕が動かせないということはない。
刀傷なので時間がかかるのは仕方ないことではあるが。
沖田は誰かから綾の怪我について聞いていたらしく、確認するようにただ相槌を打った。


「君が相手したあの侍、随分腕が立ったからね」
「そうですね…」
「無茶するものだと思ったよ」


やれやれ、と沖田は肩を竦める。
あの時のことを思い出しているらしい。
綾は恥ずかしくなって顔を伏せた。
沖田は意地悪そうに口元を緩めたが、不意に遠くを見るように目を細めた。


「山南さんは、本当に優秀な剣客だよ」


思い出を手繰るような、懐かしさをはらませた口調。
綾は黙って沖田を見遣る。
沖田は静かに微笑んだ。


「僕がいくつの時だっけ…、まだ師範代になる前かな。彼は試衛館にやってきた。近藤さんの噂を聞きつけて」
「近藤さんの噂?」
「近藤さんが凄い人だって噂。試衛館派はみんな、近藤さんの人柄に寄せられて集まったようなものだからね」


近藤がどれほどの人物なのかは、綾は誰に聞かずとも知っている。
昔からあの人は変わらないのだ。
それが綾には嬉しかった。


懐かしそうに沖田は話す。


「当時の僕は山南さんにコテンパンにやられたし、剣術一つでも全く敵わなかったよ」
「沖田さんが…」
「そう。それから悔しくって、随分稽古したっけ。山南さんに技を習ったりもした。山南さんは嫌がらずに丁寧に教えてくれたよ」


沖田は天然理心流の師範代だが、天然理心流だけにこだわりを持たなかった。
近藤以外で自分より強い人間は、山南が初めてだった。だから山南から色んなものを吸収しようとした。
山南も幼くも才能を持った沖田に、丁寧に教えを授けた。
そして何もそれは剣術に限ったことではなかった。


「世の中に動きや古いしきたり、民話なんかも全て僕は山南さんから教えて貰った。だから山南さんは事実上僕の二人目の師匠になるのかも知れない」


柔らかい口調で話す沖田の顔には、優しさが浮かんでいた。
それ以上何も言わずとも、こちらが察してしまうほど。
沖田は山南の変化を、恐らく誰よりも悲しんでいるのではないか。


沖田にとって近藤は師匠であり、唯一無二の存在だ。
崇めて尊敬し慕う対象である。
対して山南はもっと身近なところで、例えば兄のように慕うべき存在なのであろう。
それだけにいくら飄々としていようとも、内心沖田は心を痛めていた。
綾は目を伏せた後、沖田を真っすぐ見据えた。


「私はこれしきのことで、無闇に山南さんの悪口を言ったりしませんから、ご安心下さい」


綾が笑んで言えば、沖田は真実を探るようにじっと見つめていたが、暫くして頬を緩めて頷いた。


穏やかな風が通り過ぎていく。
すぐ近くで聞こえる子供の声は、わらべ歌であった。
綾はぼんやりと塀の向こうを見透かすように、空を見ていた。


「君さ、もしかしてよく鍔迫り合いで負けない?」
「…え?」
「僕と試合した時もそうだけど、性別的に力負けはあり得る話かなと思って」


唐突に沖田は話題を変えた。
少し前から用意していた話題を、静かに取り出したような口ぶりだ。
綾は面食らったが、すぐに思い返して頷いた。


確かに綾が剣術で負ける際、大抵が鍔迫り合いの後に押し負けている。
力ではどうしようもなく、綾の場合素早さと技術で勝負するしかない。
今までは全て技で補っていたが、新選組に入った後では技ではどうしようもないことも多い。
現に肩の傷を負った時も、鍔迫り合いの末である。


沖田は何かを思慮するように顎に手を当てて、暫く黙りこんだ。
そして記憶を呼び起こした。


「雪之丞くんは斎藤くんに剣を習っているんだよね?」
「え?あ、はい」
「そうか、斎藤くんか。なるほど…」


沖田は軽く頷いた。


「斎藤くんは柔術も出来るから、そちらも教えて貰ったらどうかな?」
「柔術も、ですか」
「僕みたいな体格だったら力押しでいいけど、君は体術も技を身につけて対処した方がいい」


師範代とだけあって、沖田の指摘は的を得ていた。
今まで柔術をしなかった訳ではないが、力を入れて取り組んだ訳でもない。
特に柔術は相手と身体を組んでするため、綾は道場稽古に入らず一人で鍛錬していた。
道場稽古では万が一の場合に女だと露見する恐れがあり、そもそも高貴な身分の綾の身体に男の手を触れさせぬよう、近藤と山南が厳しく言っていた。


だがそれがどうやら仇となってしまったらしい。
綾は考えを巡らせた。
確かに沖田の言うとおり、斎藤ならば自分が女だと知っているし、それなりに配慮して稽古をつけてくれるだろう。
思わぬ盲点だったと、目から鱗が落ちた。


「あと、雪之丞くん。僕も剣術の指南をしてあげるよ」
「…え?」


考え込んでいたところ不意を突かれ、綾は思わず気の抜けた声を上げた。
沖田は冗談を言っている風もなく、笑顔は崩さないが嘘のない眼差しをしていた。


「田宮流も立派な流派だから、全てそれなりに対処出来るよう叩きこまれたと思う。でも君は幼くして道場を離れているから、自己流の域を出ていない」
「……」
「だから斎藤くんに教えて貰っているんだろうけど、僕の天然理心流には鍔迫り合いに強い技がいくつかあるんだ」


綾は信じられないものを見るように、沖田を凝視した。
言葉の続きを想像するが、俄かには信じ難かった。
なんせそれは、昨日までの関係では思いもよらなかったからだ。
しかし沖田はそれをあっさりと跳ね除けた。


「君が特に他流派に抵抗がないなら、僕から鍔迫り合いへの対処法を教えるよ。僕は山南さんに北辰一刀流も習っているから、そちらの技も教えられるしね」


確かに斎藤との練習では限界がある。組長と伍長という関係のため、互いに予定を合わせて集まらねばならない。
限られた時間の中で柔術も教えを請うというならば、斎藤一人ではどうにも手が回らない。
故に沖田の申し出は有り難かった。


「いいのですか?」


綾は恐る恐る問いかける。
生真面目な斎藤と違い、沖田は暇を見つけては屯所を飛び出して自由に振る舞っている。
子供たちと遊ぶ様をよく目撃した。
それなのに自分の練習などに付き合ってもいいのかと、綾は不安になった。


沖田は緩く笑うと、勿論と言った。


「僕は斎藤くんじゃないから、遊びの片手間に君の面倒をみるだけだよ。それに暫くは屯所を抜け出して子供と遊んでいる場合じゃないしね。そんなことしたら土方さんに怒られるし」


何とも沖田らしい軽い口調だった。
そのことに安心し、綾はよろしくお願いしますと一礼した。







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