服を着替え、外で人払いをしていた斎藤に頼むと土方だけが戻ってきた。 近藤は池田屋の後処理で忙しいらしく、容保の書状に記載されている命をこなしているとのことだった。
土方から南紀重国を受け取ると、染は硬い表情のまま土方を見据えた。
「新選組に入りたいと言いだしたのは綾様ご自身であり、そこもとに落ち度は御座いません。それは私も重々承知です。その上で申し上げたいのですが」 「何ですか」 「女子の肩に刀傷を残さねばならないとは、如何なことですか」
染の厳しい言葉に、綾は驚いて染を凝視した。 であるのに染は綾に見向きもせず、土方を真っすぐ見据えている。
刀傷は普通の傷とは違い、後々まで痕が残る。 男子であれば勲章だが綾は女。当然歓迎される訳がない。 染の指摘は尤もだった。しかし土方を追及するのは当てが違う。 綾は肝を冷やしたが、土方は特に動揺しなかった。
「確かに雪之丞の肩に傷が残るのは心苦しいことです。申し訳ない」 「謝って済む問題ではありません。これ以上嫁の貰い手がなくなっては困ります」
土方の謝罪に、染は眉を顰める。 刀傷があるということは、すなわち斬り合いを演じたことがある証になる。 そんな女子を嫁に欲しいなど、奇特な男だ。しかも綾は大名の娘。嫁ぎ先は勿論高家になる。 斬り合ったことが露見すれば嫁になどいけるはずもないと、染は強く言った。
「嫁にいかぬ、新選組にいると綾様は仰いますが、もし気が変わられて嫁にいきたいと仰った際には直ぐにでもどこぞへ嫁ぐことが出来るよう、容保様は用意されているのです。それを刀傷など出来れば叶わぬことになりましょう」 「染!」
綾が声を荒げて窘めるが、染は頑なに土方を睨みつけている。 今まで黙っていた土方がようやく口を開いた。
「本当にすまない。嫁にいけなくなったのはこちらの不手際だ」 「土方さん!それは、」 「行かず後家になったらどうするおつもりですか」
染が厳しく追及すると、土方は紫色の瞳で真っすぐ彼女を見据えた。
「せめて行かず後家だけは防げるようにする」 「いかようになさるおつもりで」 「俺が責任を取る」
当然のように言うので、綾ばかりか染も言葉を失った。 土方が責任を取る。すなわち綾を嫁に貰うということだ。 あまりに突然のことで何も言えずにいる二人に、土方は静かに告げる。
「綾姫は俺が貰う。これで勘弁してくれないか」
今度は曖昧ではなかった。綾はようやく正気に戻る。 染と土方を交互に見遣った。
「土方さん、お気遣い痛み入ります。されどそこまで面倒を見ていただかなくても構いません。私は肩の傷を恥とは思っておりませんので」
瞳に心を宿し綾は語気を強める。
「むしろ刀傷は果敢に戦った証。剣客としては勲章にございますれば、これは武士の誉れです。よって恥じ入る謂われはありません」
何も言えずにいる染に、綾は微笑んだ。
「養父上と染の気持ちは嬉しいけれど、私は剣客として生きる道を選んだのです。その覚悟に偽りはなく、嫁にいくという選択を退路にしたくない。剣客である以上、背中傷だけはつけたくありません」 「綾様…」 「会津から嫁に行く気は一切持ち合わせておりません。養父上にそうお伝えして」
綾の眼差しに、染は深く礼をして承諾した。 見守る土方の瞳はどこか穏やかだった。
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