綾が目覚めたことを聞くと、原田と永倉が見舞いに来てくれた。 丸一日眠り続けた為か随分心配させたらしい。 体調はどうだと尋ねられ、大丈夫だと答えると二人は笑った。
それでも綾は肩の調子を深く突っ込まれなかったことに安堵し、そんな自分に背筋が凍るようだった。 考えないようにしているが、自覚している以上に肩のことが気になっている。 もし刀を持つことが出来なくなるのならば。 妄想が肥大化して襲いかかってくる。綾はなるべく頭から追い払おうと決意した。
部屋に一人でいると嫌なことばかりを考える。 廊下に出れば祭りの為か、屯所はいつもよりも静まり返っていた。 かくいう原田と永倉も、千鶴を連れ巡察ついでに祇園祭の見物に行くと言っていた。 池田屋で伝令をこなし、怪我人の介抱に奮闘した千鶴への計らい。 実に不器用ながら気の回る土方らしいと、綾は苦笑した。
幹部の部屋が並ぶ棟の廊下を静かに進む。 二人の話によれば、沖田と平助は綾より先に目覚めたとのことだ。 体力の差だろうか、と綾は自分が情けなくなった。 日頃鍛えているつもりでも、思わぬ所で男女の差が出てしまう。しかも二人より軽傷のはずなのに、だ。 もっと鍛えねばと意気込むが、そこで再び肩のことを思い出して気落ちするのだった。
平助の部屋は永倉や原田の部屋の近くにある。 春先に重要機密を扱うことの多い幹部は、正式に個室になったので今は平助が一人で寝ているはずだ。 綾も何度も訪れているから知った部屋ではあるが、本日は勝手が違う。 やや緊張ししながら襖の前に立った。
「誰だ?」
こちらが何か言う前に、部屋の中から声がした。紛れもなく平助の声である。 その声音が少し元気そうなので、綾は胸を撫で下ろした。
「綾です。入ってもいい?」 「おう」
間髪入れずに返ってきた返事に笑みを零しながら、綾は襖を開けた。 平助は寝ておらず、布団の上に胡坐をかいている。 額に包帯を巻いているものの、その表情はいつもと変わらず明るかった。
「なんか久しぶりだな」 「本当だね。平助には毎日会っているからなぁ。額はどう?」
綾が尋ねれば、平助は苦い顔をした。
「パックリやられちまったけど支障はないらしい。見かけほど大した怪我じゃねぇって」 「そっか、良かったね」 「おう。そんで、…綾は?」
平助は気遣わしげに綾の左肩を見た。原田や永倉と違い、平助は遠慮がない。 無論綾との関係が格別であるからこそであった。 綾は笑う。自分でも解るほどだらしのない笑みだ。
「まだ医者の話は聞いていない。肩は動かしたら激痛が走るかな」 「そうか…」
眉間に皺を寄せ、平助は項垂れる。 肩を怪我するということがどのような意味を持つか。同じ剣客である平助には解りすぎる程解った。 しかも山南のことが記憶に新しい時期であるので余計に、である。 それでも当人を前にして口にするような無粋さは流石に持ち合わせておらず、平助は用心しろよと言うだけにとどめた。
「平助」 「ん?」 「もし、もしも、もしもなんだけどさ」 「うん」 「私が刀を遣えなくなっても、友達でいてくれる?」
しかし平助の思惑とは裏腹に、綾は内心を吐露した。耐えられなかった。 かろうじて千鶴や原田達に漏らさずに済んだが、いくらなんでも一人で抱え込んでいられるほどの悩みではなかった。 恐怖で身体が震えている。
山南が怪我した時、確かに綾は心底心配した。だがそれが所詮他人事だという前提にあったことを、今更思い知る。 人は自分の身に降りかからねば真意には到達出来ない。 それを今回の件で嫌というほど実感してしまった。 剣術を失うということは、自分の半身を奪われるよりも苦しいのだと。
目を見開き仰天していた平助は、やっと正気に戻る。 困惑を打ち消し、真っすぐ綾を見据えた。
「当然だろ」
普段の軽い口ぶりではなく、重くきっぱりとした口調だった。 まるで何を今さら尋ねているのだ、とでもいうような。 その事実に綾の目頭は熱くなる。 上手く微笑むことすら出来ず、代わりのように何度も頷いた。
「ありがとう」
綾の声は少し震えて、枯れたようにおぼろげだった。 それでも平助は気にした様子はなく、いつものように歯を見せて笑う。 底抜けの明るさに救われた気がして、綾の胸はすっと軽くなった。
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