綾は躊躇いながらも自分の気持ちを正直に話した。 今夜死番であること、それを恐れる感情があって戸惑うこと、情けなく感じるのに恐怖は治まらないこと。 原田は時折相槌を打ちながらも、口を挟むことなく聞いていた。 ひとしきり話し終えて口を閉じた綾を見て、ようやく静かに原田は目を向けた。
「それって、当たり前の感情だと思うけどな」
弾けるように綾は顔を上げた。視界に映った原田は柔らかく微笑んでいる。 予想外の反応に困惑する。 馬鹿にされ罵倒されるとまでは思っていなかったが、呆れられることは少し覚悟をしていた。 新選組に身を寄せておきながら死ぬのが怖いなど、本当に今更の話だからだ。 原田はあまりきつい物言いをしない。それでもやはりいい気はしないだろうと思った。
しかし予想に反し、原田の瞳にはそれらの感情は一切見受けられなかった。 ただ穏やかな眼差しを向けるばかりだから、綾は戸惑ったのだった。
「なぁ、雪之丞。俺も死ぬのは怖いぜ」 「…え?原田さんが?」 「ああ、怖い」
嘘を言っている口ぶりではないから、平時に輪をかけて驚いた。 原田が、あの原田が死を恐れるという。 豪胆で戦いに積極的に身を投じると、平助は言っていた。 若い頃は本当に無茶をしたものとも聞いたし、彼の腹に切腹の名残があることは何度も酒を呑み交わすうちに知った事実である。 その原田の発言とだけあって、綾は呆気にとられてしまった。
綾の反応は大方予想済みだったのか、原田は苦笑した。
「確かに昔、腹を詰めたことがある。あの頃は死ぬのは怖くなかった。というより、死ぬこと自体を解っていなかった」 「解って、いなかった?」 「そうだ。知らねぇから怖くなかったんだな。つまりは大馬鹿者ってこった」
真意を図りかね、黙って続きを促した。 すっ、と原田は目を細める。
「斬り合いを演じるうちに、徐々に死の感覚を知った。他人の命を奪うことで実感していったんだろうな。人間はこんなにも簡単に終わっちまうってことを」 「…それで、怖くなったんですか?」 「そうだな。一歩間違えば俺もこんな風に呆気なく死ぬんだろうな、って考えるようになったのは経験が物を言ってる」
雨の匂いを僅かに含んだ風が、原田の赤毛を弄ぶ。遠くで聴こえる子供の声は明るくて、この場に似つかわしくなかった。 一つ一つ言葉を選ぶように、原田は慎重に話す。
「死ぬのが怖いって思うのは、何も悪いことじゃねぇさ。それだけお前が場数を踏んだ証じゃねぇのかな」 「そうでしょうか…」 「死を恐れないやつは確かに斬り合いに抵抗は無い。だけどな、それはただの無鉄砲なだけであって、本当の剣客とはいえないな」 「本当の、剣客…」
そうだ、と原田は頷いた。
「死を恐れるってことは引き際が解るから無駄死にしねぇし、死にたくねぇって思うことで火事場の馬鹿力も発揮される。ここぞという時に死の恐怖を知っているやつは強い」
目から鱗が落ちるようであった。引き際を知り、死を回避する力。そんなことを考えていなかった。 確かに引き際を知らぬのであっては、無鉄砲なまでに戦い間違えた場所で死んでしまう。特に綾は伍長である。一歩誤れば自分だけでなく部下までを殺すことになる。 死への恐怖は必要なのだろうか。息を呑む綾に、原田は優しく笑いかけた。
「本当の剣客ってやつは、死の恐怖を知りその上で受け入れるやつだと思うぜ」 「その上で、受け入れる…?」 「ああ。死ぬのは怖いが、それを乗り越えて立ち向かっていくやつだ。知らねぇのと、知った上で受け入れるのとは訳が違う」 「原田さんは、じゃあ…」 「俺も何となく解り始めたところだ。だから雪之丞、お前は後退したのではなく前進したんじゃねぇか」 「前進、ですか」 「受け入れられるようになった時、人は最強になるんだろうな」
ぽん、とまるで幼子にするように原田は綾の頭を軽く叩いた。 綾の胸に言葉が沁み込んでいく。 今まで悩んでいたことが嘘のように晴れ渡った。 後退したのではなく前進した証。原田は下手な励ましをしない男だ。だからきっと本心からの言葉なのだろう。 自分が理想とする剣客に、自分は近づいているのだろうか。もしそうだとしたら嬉しいと、綾は思った。
原田は綾の表情が明るくなるのを見て、小さく笑った。 最初の頃は姫だ、娘だと思ったが、今では心の底から仲間だと思えるようになった。 剣術の腕前以上に、綾は新選組にとってなくてはならぬ存在になりつつある。 年若いが故に悩むことも多いが、原田自身は微笑ましく思っていた。それだけ真面目に隊務について考えている証だからだ。 今でも綾が殺伐とした新選組にいるのを幸せだと云えるのかは解らないが、もう娘だからと不用意にくくるつもりはなかった。
「夜巡察の後、平助や新八も誘って呑もうぜ」 「…はい!場所はどうしますか?」 「場所はお前の、綾の部屋だ」 「解り、まし…」
あまりにも自然だから聴き逃すところだった。綾は目を見開き、原田を凝視する。 原田は優しく笑い、そのまま軽く手を振って去っていった。 その背を綾は暖かい気持ちで見送った。
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