五月雨 | ナノ









猫は斎藤の予想通り、縁側で呑気に寝ていた。
肩をすくめ呆れ顔を浮かべた沖田が、そのまま不用意に近づこうとするので、綾は慌てて袖を引いて遮った。
邪魔されたのが不服だった沖田は顔を顰めて振り返る。相変わらず冷たい目をしていた。
緊張が身体中を纏う。慎重に言葉を選びながら綾は口を開いた。


「猫は警戒心が強い動物です。足音を立てながら近寄れば敵だと勘違いされ、逃げてしまう恐れがあります」
「それならどうすればいいの?」
「とりあえず見下してはなりません。目線を合わせ、なおかつ見つめ続けるのは避けるようにします」


こちらが友好的なのだと示さなくてはならない。綾は一つ一つ記憶を掘り返しながら言った。昔教わったことを、そのまま伝える。
眉を吊り上げた沖田を余所に、猫に近寄った。ピクリと猫の身体が動く。
綾は動向を窺いながら忍び足で歩み寄った。


猫は警戒心が強い動物である。見つめ合うことは、猫にとって威嚇と同意だ。
故に目を逸らすことで、こちらは敵意を抱いていないと証明しなくてはならない。


屈みながら少しずつ猫に近寄り、ついに傍に寄った。恐る恐る手を伸ばせば、猫の柔らかい毛並みが馴染む。
綾は猫を優しく抱えて背を撫でた。気持ち良いのか、猫は目を瞑って喉を鳴らした。


「あっさり捕まったね」


拍子抜けしたのか沖田が息を吐く。隣で斎藤も頷いていた。


「初めから綾を呼べば良かったな」
「本当だね。人間、何が特技なのか解らないものだね」


僅かに棘はあるが、沖田は称賛しているつもりらしい。いつもよりも表情が柔らかかった。
綾は視線を猫に落とす。騒動を起こした張本人のくせに、猫は呑気に手のひらに頬を寄せた。


仕事を残しているという斎藤は、綾に任せると早足で立ち去った。
沖田がまだ場にいるので気遣わしげにしていたのを、綾が促したのだ。
土方の腹心である斎藤は、組長達の中でも更に重要な仕事を担うことが多い。
本当は傍にいてくれた方が心強いが、隊務を差し置いてまでとは流石にさせられなかった。そのツケが全て斎藤の睡眠時間を削るのは、想像に難くなかったからだ。


斎藤がいなくなった後も沖田は立ち尽くしていたが、何を思ったのか綾の隣に座った。これには驚いて瞠目する。てっきり沖田も部屋に帰るなりなんなり、場から去ると予想していたからだ。


沈黙が流れる。綾は気にしないふりをして猫を撫で続けた。間が持たない。
沖田と何を話せば良いのか解らないし、そもそも自分と話したいと思っているのか謎だ。
綾はあまり人見知りをする性質ではない。だからこそ今この時の沈黙は慣れないもので、耐えがたかった。


「近藤さんに平助くん、斎藤くんに左之さんと新八さん」


不意に口を開いたのは沖田だった。人名を並べている。意味を図りかねる綾は口を挟まず、黙ったままだ。
そんな彼女を尻目に沖田は相変わらずの軽い調子だ。


「後は千鶴ちゃん。まぁ、この子は新選組ではないけど。雪之丞くんが親しくしている人だね」
「はい…」
「君、案外人を味方につけるのが得意なんだね」


綾は肩を震わせた。一体何を言われるのだろう。
黙っていたのは受け入れたからではなく、嵐を通り過ぎるのを待つためだった。
無論無意識の行動である。


沖田は静かに視線を寄越した。


「平助や左之さんはともかく、あの生真面目で冷静な斎藤くんまで味方につけるとは恐れ入ったよ」


言葉こそ冷たいが、違和感を覚え綾は眉を動かした。僅かに声音が柔らかく聴こえたからだ。
顔を上げれば翡翠色の瞳が真っすぐ見つめていた。


「君はよくやっているんだろうね。伍長として任務を果たしているし、隊士たちも頼っているしさ」
「…え」
「だからこそ訳解らないんだよね」


思いがけない言葉に驚いた綾を尻目に、沖田は呟いた。
独り言のように小さく早口だった。


「性別にしろ身分にしろ、君が新選組に入る訳が全く理解出来ないよ」


以前平助にも、斎藤にも尋ねられた疑問だった。
それほど自分が新選組にいるのは異様なのだと、綾は改めて思った。
大名家の娘が刀を持つことも、新選組のように浪士の集まりに参加することも、そして人を斬ることも。何もかも異端である。


「近藤さんに心酔しているって話だけど、それもいつまで続くのかな」
「…え?」


どれほどの覚悟の上で自分がこの場にいるのか説明しようとした綾は、先手を打たれ硬直した。
沖田は軽い冗談のような口調ではあるが、目は笑っていなかった。
何かを探るようで、理解の姿勢もない冷たい瞳だった。


「君が新選組にいることで利益になっているなら、僕は何も言わないよ。少なくとも役立たずではないし。だけどさ」


沖田は含ませながら一端言葉を切る。その声は這うように低かった。


「だけどもし近藤さんを悲しませるようなことになれば、黙っていないって覚えておいてね」


吐き捨てるように言うと、返事を聞くことなく沖田は立ちあがった。
そのままふらりといなくなった沖田の背を、綾は呆然と見送った。







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