五月雨 | ナノ










縁側に座り込み綾は刀の手入れをしていた。直射日光が刀に反射して眩しいので、目を細める。冬は下手に籠るよりも、日向ぼっこする方が余程暖かいと綾は思っていた。だからこうして縁側で手入れをするのだ。
拭い紙で刃を拭った後、打ち粉を叩く。一定の拍子で叩いていたが、誰かの気配を感じて綾は顔を上げた。


向こう側からやってきたのは斎藤だった。巡察帰りなのか浅葱の羽織を着ている。斎藤は瞬きを繰り返した後、綾の手元に視線を落とした。


「刀の手入れか」
「あ、はい」


暫し佇んだ斎藤は、そのまま綾の目の前に腰を下ろす。興味深げに刀を見ていた。
その瞳が輝いているように思えて、綾は呆気にとられた。いつも冷静で淡々としている斎藤の、初めての顔である。


「斎藤さん、」
「この刀はもしや南紀重国か」
「え?」
「初代や二代目ではなさそうだが…。業物だな」


心なしか斎藤の声音は上ずっている。一目で刀の銘を当てたところや、何よりこの表情を見るに刀が好きらしいと綾は思った。


「少し見ますか?」


綾が申し出ると、斎藤は驚いたように目を見開く。刀は武士の命だ。故にあまり他人に貸したりしない。特に綾程の剣客になれば貸すのを渋っても仕方ない。斎藤自身他人に刀を貸したいとは思わないものだ。


躊躇する斎藤に綾は刀を差し出した。斎藤は眉を寄せたが、目の前の誘惑には勝てなかったらしい。刀を受け取り、しげしげと眺める。柄、刃、峰…。眺めているうちに、斎藤は刃紋を見て驚いた。


「これを打たせたのは…」
「はい、弟です」


綾の刀の刃紋は特殊である。なんせ葵紋が打たれている。葵の家紋は武家の棟梁、幕府最高権力者である徳川家の印だ。当然徳川家以外の者には許されない。
血はどうであれ綾は物心ついた頃には久松松平家の子であった。よって葵紋を鋳れる資格はなく、必然的に徳川関係者の誰かが贈ったことになる。斎藤は一目で勘付いたのだ。


当時藩主であった家茂が打たせたとだけあって、南紀重国の中で名高い初代や二代目の作品ではないが、良い品だと斎藤は思った。これは藩主程度でなければ手に入れられぬ代物である。
隅々まで舐めるように見渡した後、斎藤は綾に刀を返した。


「良い刀だ。それに手入れが行き届いている」
「あ、ありがとうございます」


顔を僅かに赤くし、綾は斎藤から刀を受け取ると手入れを再開した。斎藤は真っすぐ言葉を飾らずに話すので、他の誰かに褒められるよりも照れ臭く感じる。
斎藤は暫く手入れを眺めていたが、不意に眉を寄せる。


「その刀だけか」
「え?」
「持っている刀だ。それだけか?」
「はい、そうですが…」


綾は訝しげな表情のまま頷いた。斎藤が言わんとする意味が解らない。
斎藤は静かに瞳を閉じると、息を吐いた。少し表情に呆れが浮かんでいる。


「巡察は天候関係なく行う。当然雨の中斬りあうこともある。そんな時も、お前はその刀を使うのか」


ハッ、と綾は息を呑んだ。ようやく意図を理解したのだ。


刀は金属である。当然雨に晒せば錆ついてしまう。だから斎藤は予備の刀はないのかと問うたのだ。雨天や野ざらしにしても構わない程度の刀を、持っておけと。


武士であろうと普通何本も刀を持つ物ではない。しかし綾の南紀重国には予備刀を控えさせるだけの価値がある。綾は家茂から貰った刀を、それは大事にしている。
雨に晒して錆つかせ駄目にするには惜しい刀だ。きっと悔やんでも悔やみきれない。


綾はそんなことにも気付かなかった自分を情けなく感じた。確かにこれまで雨天の中巡察に出かけたことはある。最近では毎日雪に見舞われる。特に夜の巡察となれば尚更だ。
今までは運よく斬り合いになっていないので刀を抜かなかった。が、これからもそうとは限らない。むしろ刀を抜かずに済む方が稀である。


「雪之丞」


黙って綾を見ていた斎藤は、事も無げに呼びかけた。顔を上げた彼女を、じっと斎藤は見据えた。


「お前は確か、今日は夜の巡察だったな」
「はい、そうですが」
「ならば夜までは空いているな?」
「ええ、まぁ…」
「そうか」


斎藤は軽く頷くと、微かに口元を緩めた。


「今から出かけぬか」
「……え?」


意表を突かれ綾は瞠目した。斎藤と綾は決して親しい間柄ではない。二人きりで話すことすら稀である。故に誘いに戸惑った。
困惑を隠せない綾を一瞥し、斎藤は視線を未だむき出しの刀に向けた。


「俺が刀を目利きしよう。新選組の中では詳しい方だ」
「…いいんですか?」
「構わん」


事も無げに言い放った斎藤は、未だ澄んだ眼差しで綾を見ている。綾は半ば自然に頷いた。良い刀を持っているものの、自身はさほど刀に通じている訳ではない。買いに行くとなれば誰かに付き合ってもらわねばならないが、残念なことに平助もあまり頓着していない。槍が専門の原田は問題外であり、永倉は誘うにはまだ少し躊躇われた。


そういった意味では斎藤の申し出は棚から牡丹餅であった。いずれ買わねばならない物だし、綾は入隊以来給金をほとんど使わずに貯め込んでいた。
女の身体では島原で使う訳にはいかないし、何か格別の趣味を持っている訳でもない。自然と金は貯まった。最近では平助に貸してくれと頼まれる始末である。


「斎藤さん、お付き合い願えますか?」


綾が頼むと、斎藤は深く頷いた。


「今着替えてくる故、道具を片付けておけ」
「はい、解りました。では玄関にてお待ちしております」
「了解した」


斎藤は素早く立ち上がると、足音を立てずに去って行った。
動作に無駄がない斎藤である、恐らく着替えるのも早いだろう。
綾は急いで道具を仕舞うと、支度をするため部屋へと戻った。


支度が済むと、二人は早速町に出た。
足早な斎藤から遅れを取るまいと、半ば大股気味に綾は歩いた。
一切のよそ見をせず斎藤は目的地に向かっている。
恐らく何度も足を運んでいるのだろうと、綾は思った。


良く晴れているためか今日は暖かい。
町の人通りが多く活気づいている。心なしか人々の表情も明るくなっているようで、綾自身も笑みを浮かべた。


大通りを通りぬけ小道に入り、別の大通りに出ると斎藤は真向かいの店の暖簾を潜った。
綾は慌てて後を追う。この店は京一番の刀商である。


「あ、斎藤先生!いらっしゃいませ」


店に入るなり、番頭が声を掛けた。どうやら斎藤は常連らしい。挨拶もそこそこに、番頭は店の奥から主人を呼んできた。
店主も斎藤に軽く挨拶をした後で、手もみをしている。


「本日は何をお探しで?この間は脇差しでしたが…」
「いや、今日は俺の用ではない。こいつだ」


斎藤が視線で示すと、店主はようやく隣にいた綾に目を向けた。綾は小柄の部類に入る斎藤よりも更に背丈が低い。女なので当然ではあるが、男装しているために酷く幼く見えてしまう。月代を剃らない男も浪人では珍しくないとはいえ、総髪は綾の場合余計に幼さを増してしまうのだ。


だから店主は綾を斎藤の小姓と思っていた。綾の左腰には打刀、脇差し両方揃っている。戦闘員だとは思っていないので、店主にしてみればこれだけでも十分すぎるほどであった。


綾は店主の不躾な眼差しに一瞬ムッとしたが表情には出さず、丁寧に一礼した。


「今日は俺の予備刀を探しに来たのです。それで斎藤さんにこちらを紹介していただきました」
「予備刀…、ですか」


案の定店主は眉をひそめる。小姓は主人の大事に身を挺して守る役目ではあるが、はっきり言ってそんな事態は滅多に訪れない。世間でもどちらかといえばお茶汲みなど雑用係として認知される方が多いのだ。


綾は何となく店主の思惑を察したが、追求せずに笑顔を浮かべた。自身の見かけを考えれば誤解も仕方ないと思い直した。


「天候不良の巡察や今の刀が駄目になった時の予備が欲しいのです」
「巡察…、と申しますと、もしや隊士の方で?」
「この者は八番組の伍長を預かっています」


横から口を挟んだのは斎藤である。店主は綾が隊士であったばかりか、伍長であることに驚き目を見開いた。そして大げさなまでに慌てる。随分と失礼な態度を取ってしまったと青くなった。
伍長といえば新選組でも上の方に立つ。剣術一つにしろ抜きんでているはずだ。斎藤はたまたま大人しい部類だが、京において新選組の評判は未だ良い物ではなかった。それだけに無礼を働いたと斬り捨てられるのではないかと、店主は焦ったのだ。


「これは本当に申し訳ない…!まさかこんなにお若い方が」
「いえ、若輩者なのは解っています。お気になさらず」
「しかし」
「では良い刀を売って下さい。それでお手打ちということで」


綾が微笑みを浮かべると、店主は鳩が豆鉄砲食らったような表情を浮かべた。が、すぐに彼もまた笑顔になりお任せ下さいと頷いた。


静かに成り行きを見ていた斎藤は目を細める。まさか綾がこのようなことで腹を立てるとは思っていなかったが、予想以上だった。


店主に続いて座敷に上がり、手頃な刀を見せて貰う。あまり詳しくない綾は斎藤に助言を貰う為、振り返った。






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