五月雨 | ナノ









翌日。
巡察を終えた綾が廊下を歩いていると、正面から近藤が歩いてきた。
伍長に就任して以来、綾は近藤と会う機会が格段に減った。
芹沢の死で筆頭局長になり近藤は多忙を極めているし、綾も巡察を始め伍長の仕事、更に雑務に追われ小姓時代が嘘のような生活を送っている。
幹部であれば会議で会うだろうが、綾は幹部会の参加を許されていない。お陰で最初あれ程不満そうだった沖田以上に近藤とは顔を合せなかった。


「雪之丞!」


満面の笑みを浮かべ、手を振りながら近藤は綾に近寄る。久しぶりに会う尊敬する男に、綾も自然と破顔していた。


「近藤先生。ご無沙汰しております」
「はは、久方ぶりだな。今まで巡察だったのだろう?寒いのに御苦労だったな」


気さくに綾を労い、近藤は笑う。その手には竹の皮の包みが握られている。
それをおもむろに彼女の目の前に差し出した。綾が訝しげな表情を浮かべると、近藤は明るい声で受け取りなさいと言った。


「島原で会合があったのだが、近くに評判の団子屋があると聞いてね。食べなさい」
「え、良いのですか?」
「お前に買ってきたのだ。甘い物は好きだろう?」


目を丸くしたが、綾は恐る恐る包みを受け取った。近藤が自分に土産を買ってくれた。団子は好きだが、それ以上にその事実が心を温める。


嬉しそうな綾を見て、近藤は目を細める。こういうところはやはり十八の娘だと好ましく思った。
女子だと存じているからか、それとも自身が江戸に娘を置いてきたからか…。近藤は気付かないうちに綾のことを胸に留めている。無論苦痛ではなく、嬉しいことだった。


「勝手場の棚に宇治茶があったはずだ。貰い物で良い品らしい。合わせて飲めば尚うまいだろう」
「近藤先生はご一緒しないのですか?」
「俺は今から会津の藩邸に向かわねば…」


近藤は眉を下げる。残念なのは綾も同じだったが、困らせたくないと微笑んでみせた。


「そうですか。藩邸ならば…、彼の方によろしくお伝え下さい」
「ああ、お伝えしておこう」


朗らかに笑って頷き、ではと近藤は踵を返す。その背中を綾は口元を緩ませたまま見送った。本当に人が良い方だと思う。会えて良かったと、綾は目を細めた。


「雪之丞!」


近藤の姿が見えなくなって自室に帰ろうとした矢先、再び誰かが名を呼んだ。
綾が振り返ると、浅葱の羽織を脱いだ平助が駆け寄って来た。
平助は綾が普段着でないことに驚き、訝しげな眼差しを送る。


「あれ?お前、まだ部屋に帰ってないの?」
「近藤先生にちょうどお会いして話していたんだよ」
「近藤さん?へぇ、珍しいな」


平助は素っ頓狂な声を出し、数回瞬きを繰り返した。幹部の平助もほとんど会わないらしい。こういうところで近藤の外出の多さを実感する。勿論遊びではなく、多くがお偉い方との会合だとは知っている。
綾は苦笑し、それから手の中の包みを掲げてみせた。


「団子をいただいたんだ。一緒に食べない?」
「お、良いな!食おう食おう!」


パッと平助の目が輝く。平助も甘味が好きである。巡察が終わったところで、この後の時間は互いに自由である。団子を味わいながら他愛もない話をするのも良いだろう。
綾も笑って、平助と共に部屋へ急いだ。


「そういえば、斎藤さんってどういう人?」


ふと綾が尋ねると、平助は目を丸くした。
何か言おうとするが口に団子を含んでいるため言葉にならない。もごもごと咀嚼した後、彼は茶で流し込んだ。


「突然どうしたんだよ」
「いや、昨日斎藤さんに居合を見せたんだけど…」


綾はその時を思い出しながら言う。
斎藤のことは優れた剣客であり、珍しい右差しだということしか知らないと今更気付いたのだ。親しくないのだから知らなくて当然だが、昨日彼に興味を持った。


一通り話を聞いた平助は、そっかと笑う。何とも斎藤らしいと思った。


「一くんに認められたって、すげぇ話だぜ。軽々しく人を褒めないからな」
「やっぱり?すごく嬉しかった」


平助の言葉に綾は顔を綻ばせる。昨日も嬉しかったが、こうして改めて聞くとこみ上げるものがある。
竹の皮の包みの上には、竹串が数本転がっている。最後の団子を口にし、綾は串を置いた。


「でも、もったいないことしてしまって」
「もったいない?」
「斎藤さんに居合を見せてもらえば良かったって、後で思った」


のぼせていたから思いつかなかった、と綾は溜め息をつく。達人と謳われる斎藤の居合を見ておかなかったのは悔やまれる。大して親しくないし自分は目下なので頼みづらい。あんな絶好の機会はなかっただろう。
平助は苦笑しつつ、湯呑みを床に置いた。既に空になっている。


「また頼めばいいじゃん。一くんは出し惜しみしないって」
「機会がないよ。私は斎藤さんと懇意にしていないし」
「頼んでみたら?」
「頼む?」
「うん。褒めるってことは、少なくともお前のこと好意的に見てるだろうしさ」


平助は笑った。


「言ってないっけ?一くんは人見知りが激しいんだ」
「え?」
「だからお前ともそんなに話してないんだと思う」


キッパリと断言する平助に、綾は困惑の表情を浮かべる。斎藤の人見知りは初耳であった。長年の付き合いである平助が言うのだから、間違いではないだろう。


頼んでみようかな。
綾は心の中でそっと思った。以前だったら考えなかっただろうが、最近彼女は少し思考が変わってきていた。ひとえに、平助を始め原田や永倉のお陰だった。
今までは境遇のため諦めることが多かったが、新選組入隊して仲間と呼べる存在が出来たことで、芽生えるものがあった。
他人に踏み込もうと昔は思わなかった。無駄だったからだ。
しかし、今は無駄かどうかは解らない。無駄でないこともあると解った。


「今度、斎藤さんに話しかけてみるよ」
「おう、そうしなよ」


平助は大きく頷く。綾が前向きになるのは良いことだ。
誤解されたままというのは不憫だし、斎藤ならば間違えた評価を下すことはないだろう。
互いに居合が好きで、不遇な境遇に見舞われた者同士である。二人は意気投合するだろうと思った。






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