五月雨 | ナノ









姉の言葉に眉尻を下げた慶福は、顔を曇らせた。
慶福は昔から他の姉たちよりも、他家に出された双子の姉を慕っていた。
同腹で顔立ちがそれとなく似ていたこともあるが、それ以上に綾の性格が好きだった。
豪胆で大雑把で強気ながら、どこか繊細。武家の娘を地でいく人。
女でありながら慶福よりも丈夫で剣術に秀でていた。


だからこそ慶福の為に放浪しなくてはならない姉が、不憫であった。
自分が紀州藩主だから。自分が将軍になるから。
気にしなくていいと、それどころか慶福は誇りだと姉は笑った。


南紀重国を贈りたいと思ったのは、罪滅ぼしでもある。
双子に生まれたのは自分の意図したところではない。それでも申し訳なかった。
戦前まで日本では、双子、それも男女の双子というのは忌み嫌われていた。
畜生腹といい、多数の子を一度に妊娠するのは、犬猫と同等であるとされていた。
また中でも男女の双子は心中した男女の生まれ変わりとされ、輪をかけて軽蔑された。
ゆえに戦前までは皇族、大名家など高位の家柄では、双子が生まれるとどちらかを引き離すのが慣例であり、その事実はお家の機密として墓まで持っていかれた。


例に漏れず、綾と慶福もそうだったのだ。
生まれながらに家督相続を約束された男子の慶福が紀州徳川の子として扱われ、姉の綾は側室であった母の実家に預けられた。


一つでも歳が違えば、綾も紀州徳川の姫として生きていけたはずなのに。
御三家である紀州徳川家と、一介の家臣筋の久松松平家では身分が大きく違う。
その上もし綾が剣術に秀でなければ、縁の尼寺に送られたはずだったのだ。
自分と双子に生まれてしまったばかりに紀州徳川を追い出された。
更に、今度は久松松平すらも追い出される。
次期将軍が双子の出生だとばれるのはまずい。ただでさえ、慶福が将軍に就く時ひと悶着あっている。
政権を争った一橋派が事実を知れば、黙ってはいないだろう。
それゆえ綾は生まれ故郷である紀州を離れることになったのだ。


慶福は、自分と姉のあまりに違う待遇が悲しかった。
せめて刀を、姉の傍にある刀を、自分が贈りたかった。
いつか姉を救うであろう武士の魂である刀、それが自分の代わりに、姉を守ってくれると信じて。



綾はようやく冷静になって、目の前の弟の瞳を覗き込んでいた。
慶福が綾の境遇を嘆いていることは、当の昔に知っていた。
口には出さないが、双子のことや養女のことを話すとき、慶福は暗い闇のような表情をする。
普段が明るく温厚だから、そのような顔はひどく目立つ。


綾自身、双子で生まれたため幾度となく理不尽な目に遭った。遭ってきた。正直紀州徳川家でも、久松松平家でも厄介者を見る目に晒されてきた。
馬鹿馬鹿しいと思ってる。どうしようもないことで人を差別するなど、愚かだとも思っている。当主である慶福には悪いが、紀州藩は好きではない。徳川家に親愛の情などない。


だけど一方で、慶福のことは好きだった。
それがせめてもの救いだったと思う。双子の弟が慶福でなければ、ここまで理不尽な扱いに耐えられなかった。
心からそう思うから、今回の件も快く了承したのだ。
双子だという噂が広まると、困るのは将軍である慶福だ。自分がその妨げになりたくない。
幸い双子の事実を知っているのは、紀州藩内でもごくごく一部だ。慶福が生まれながらに跡目だったため、本当に最小限にしか伝えられていないのだ。
側近中の側近でなくば知らない事実。ちょうど良いではないか。
紀州は生まれ故郷であり思い出も多い。でも慶福の幸せには代えられない。
そう思うほど、綾は慶福が好きだった。


幾度となく気にしなくて良いと言ってきたのに、慶福は相変わらず色々考えては気落ちしているようだ。
それが良い所ではあるけれど、と綾は苦笑した。
優しすぎるのは長所であり短所でもある。冷酷にはなりきれない。常に誠実であろうとする。
いつかそれが慶福自身を追い詰め滅ぼさねば良いが。
嫌な予感に顔をしかめ、直ぐに妄想を取り払った。
今はそんなことを考えたくなかった。


「ありがとう」


綾は静かに笑った。
もうこれは折れるしかない。
基より拒否する理由もなければ、ありがたい気持ちもある。
本当に弟は誠実な男だ。


「大事にします」


あなたの代わりに、とは言わなかった。
それでも慶福は姉の言葉に嬉しそうに笑った。







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