五月雨 | ナノ










しんしんと冷え込む気温に、綾は思わず息を吐いた。
こうも寒い時は部屋に引き込もっていたいが、我侭は言っていられない。
人手不足の新選組では市中巡察は毎日のようにやってくる。
組長の平助と並んで歩きながら、手のひらに綾は息を吹きかけた。


師走も暮れてきたからだろうか、町は妙に忙しない。
昨年の今頃はまさか自分が新選組に混じって、巡察などやっているとは思わなかった。
そういえば、と綾は思う。そういえば昨年はまだ近藤の存在すら知らなかったのだ。今隣にいる平助達は江戸にいて、自分は会津の藩邸で引きこもっていた。
時の移ろいとは何とも不可思議なものである。


入隊以来、容保や染に会っていない。会津の姫という立場を捨て、一介の浪人になったのだ、当然だろう。近藤は容保に目通りしているようではあるが、ただの平隊士なのだから許される訳はない。
容保はともかく、染とこんなにも離れているのは初めてだと気付いた。そのような未来すらも、昨年は想像できなかった。


正月はこうして新選組と一緒に迎える。確かな未来である。
最近では永倉や原田とも親しくなった。流石に島原に同行することは出来ないが、四人で酒を酌み交わすことが増えた。お陰で隣室の土方に叱られるようにもなったのだが。
それでも綾は騒がしさが好きだった。
隠れた姫として厄介者として育ってきた綾にとって、三人との触れ合いは新鮮だった。毎日が発見である。
永倉と原田も、敏く努力家で少し頑固な綾を好ましく思い、妹のように可愛がってくれている。


今日は巡察の後、非番の原田と一緒に甘味を食べに行く約束をしている。原田は女性に人気なだけあって、評判の甘味処なんかをよく知っていた。楽しみだと、綾は素直に期待に胸を膨らませている。
早く巡察を終わらせて汁粉でも食べたい。そう思った時だった。


「きゃああああああ!」


突然女の悲鳴が聞こえて平助と顔を見合わせる。ただ事ではない。平助は来い!と怒鳴り、駆けだした。現場はすぐ近くだ。野次馬が群がり始めている。それを掻き分け、騒ぎの中心に飛び込んだ。


死体が三体。上手く斬られているようで時間が経っていないはずなのに、三人とも息がない。辻斬りの仕業だ。しかも複数犯。
険しい表情を浮かべ、平助は死番を呼ぶと先頭切って走る。後方を綾を始めとした残りの隊士で追った。


辻斬り犯は細い路地へと駆けこんでいった。平助を含めた先頭部隊は迷わず追う。即座に斬り合いに発展した。
綾が現場に踏み込むと浪士が数名。隊士と刀を交える。
流石に新選組の隊士とあって、浪士たちを問答無用に斬り捨てる。事情を聞かねばならない主犯格以外は斬り捨てている。
細い路地では逆に人が多すぎると身動きが取り辛くなる。綾は他の隊士たちを制止し、様子を窺った。


隊士たちは皆奮闘していたが、中でも平助は凄まじかった。すぐに彼の足もとに死体が転がる。目にも留まらぬ速さで斬り伏せている。
この調子ならば自分たちの助けは必要ない。綾は判断を下した。しかし。


「あぶねぇ!」


一人の隊士が浪士に押されている。平助は自分が今相手をしていた浪士に蹴りを食らわせると、隊士を助けるため間に割った。
平助が来たために隊士は助かった、が。


「藤堂組長!」


斬り合いを繰り広げる隊士の一人が半ば怒鳴り声のように叫ぶ。今しがた平助が蹴りを食らわせた浪士が立ち上がり、ふらふらしつつも事もあろうか平助の真後ろに迫っていた。
平助は別の浪士と鍔迫り合いを演じている。綾の顔から血の気が引く。平助が危ない。


そう思えば速かった。綾は無我夢中で浪士に駆け寄り、電光石火のごとく抜刀する。鍛え抜かれた神速の居合術で、浪士の喉を斬った。
致命傷を与えられた浪士は目を見開き、刀を取り落とすとよろよろ数歩退くが、耐えきれずにバタリと倒れた。


初めて人を斬った。綾は足元に転がる、自分が斬った浪士の死体を見つめた。的確に喉を斬ったため致命傷となったらしい。目を見開いて死んでいる。


伍長になり巡察に出た後でも、綾は斬り合い自体したことがなかった。今までは食い逃げに峰打ちをしたり、せいぜい乱暴狼藉を働く不逞浪士を捕まえて役人に突き出したくらいだった。問答無用で命を奪うほどの輩に遭遇していなかったのだ。


後始末の指示を出していた平助は、ふいに綾に目を向ける。彼女が未だ人を殺したことがないと、平助も知っていた。急いで指示を全て伝え綾の傍に寄った。


「雪之丞」


気遣わしげにそっと平助は綾の名を呼ぶ。呆然と死体を見ていた綾だったが、その声で我に返った。着物の袂から懐紙を取り出し血を拭うと、刀を仕舞う。血に染まった懐紙はひらひら浪士の死体の上に載った。


「平助」
「うん」
「解ったよ」


綾は顔を上げ、ゆっくりと平助に視線を移す。そして顔を顰める平助に、微笑んだ。


「私は人を斬る」


声音は随分しっかりしていた。強く意思が籠った、地に足がついた言葉だ。
綾は瞼を閉じた。人を斬るということが、ようやく解った。人を斬る理由が、人を斬る心構えが、意味が。


「殺したいからじゃない。守りたいから」


血の匂いがこびりつく。もう引き返せないのだろう。呑気に屋敷奥に籠っていたお姫様には、もう戻れない。


「大事なものを守りたいから、私は斬る」


綾は断言し、じっと平助を見つめた。
平助が死ぬかも知れないと思えば迷いはなかった。その時に解ったのだ。
自分の大事なものを守るためならば、人を殺すことすら厭わないのだと。


胸に誓いを立てる。
無闇な殺生はしないが、躊躇ったりはしない。自分が刀で人斬りする時は何かを守るためだ。
大事な人の命、大事な人の思想、大事な人の志。
解ったというより、悟ったの方が近いかも知れない。綾は実感していた。


平助は真っすぐ綾を見ていたが、ふいに微笑む。
死体が転がる場に似合わない、柔らかく優しい笑みだった。


「そっか」


後戻りはしない。
綾は平助と微笑みあって、踵を返した。
もう、迷わないだろう。


私は何かを守るため、刀を抜く。






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