綾は浅葱の羽織を着て、腰に打刀、脇差を差した。 鉢金を頭に巻きつけ部屋を後にする。
八番組の伍長として活動する。本日は初めての巡察だ。 まだ集合の刻限には余裕があるが、居ても立ってもいられず部屋を飛び出してしまった。 廊下を歩いていると、ふいに少し先の部屋の襖が開く。 顔を覗かせたのは原田だった。
原田は綾の姿を認め驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「よう、雪之丞。今日から巡察だっけ?」 「あ、はい」 「にしても時間早くねぇか」
痛いところを突かれ、ぐっと綾は言葉を詰まらせる。 その反応で全てを察したらしい。原田は苦笑した。
「緊張するのもいいけど、あまりしすぎると動けなくなるぜ」 「はい、それは解ってるんですけど…」 「ま、初巡察なら無理はねぇか」
さり気ない気遣いに、綾も強張った表情を僅かに崩した。 とはいっても今緊張している訳は巡察だけでなく、加えて原田と会話していることもある。
どこか余所余所しい幹部たちの中でも原田は親切な方だ。 しかし綾はやはり距離を感じずにはいられなかった。 無理もないことだと思う。自分の立場は良く解っている。所詮厄介者だ。 幹部で純粋なまでに普通に接してくれるのは、平助と近藤だけだ。 この二人は特殊なんだと、むしろ二人もいることを喜ぶべきだと重々承知していた。
解っているからこそ、こうして他の幹部と接する時は緊張する。 これ以上心象を悪くされたくない。 姫として生まれたことは、綾にとって劣等意識しかなかった。 仕方ないとはいえそれで敬遠される度、哀しさが募っていく。
原田はじっと綾を見つめていた。 女子供に優しい彼は身分のことを差し引いて綾に親切だったが、新選組の入隊自体は苦々しく思っている。 女の幸せは家庭にこそあれ、血生臭い場面に触れるべきではない。 会津の姫として嫁ぐ方が幸せだろうと、原田は心底考えている。
それでも一方で綾の努力は目にしていた。 綾の入隊から三月程になるが、彼女は本当に頑張っていた。 朝稽古を始め自主的な練習を欠かさなかったし、理不尽な活動制限も受け入れた。 当番の日に味噌汁を作っていたのには驚いたものである。 味はまずくない、といった程度の物だったが、それでも姫として育てられた人間が料理する姿には腰を抜かしかけた。 掃除や洗濯も、文句ひとつ言わずこなしていたのを原田は何度も目撃している。
原田はふいに視線を外し、綾の手を取った。 突然のことに驚き目を見開いた綾を尻目に、丹念に調べるよう綾の利き手を凝視する。 手には娘らしからぬマメやタコに加え、水仕事で出来た手荒れまである。とても姫様の手のひらではない。 しかし綺麗な傷ひとつない手よりも、努力の証であるこちらの方が好きだと思った。
「雪之丞」 「はい?」
訝しげな色を浮かべて自分を見上げる綾に、原田は優しく笑いかけた。 手のひらをそっと手放し、代わりに彼女の頭を撫でる。 目を丸くした綾だったが、嫌がらずにされるままになっていた。 今でも女が新選組にいるのは反対だ。女がいるべき場所ではない。 それでも、それでもと原田は思う。
「頑張れよ」
初めて投げかけられた言葉に、綾は驚きのあまり言葉を無くす。 しかしすぐにはい、とかすれた声で微笑んだ。 喉に詰まった熱い塊が、思わず目尻に浮かびそうになった涙が零れないよう、一層強く笑った。
続
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