五月雨 | ナノ










馴染みの甘味処で葛きりを口にしながら、綾は平助と向かい合っていた。
芹沢の死以来存在を隠す必要がなくなったことで、自由に動き回れるようになり、こうして平助と二人外出する機会が増えた。
京の町を歩く度、綾はやはり自分が一所に押し込められて平気な性質でないことを実感した。


今日も平助の非番を利用して甘味に舌鼓を打ちながら、昨晩の土方の話を切り出した。
平助は始終黙って話を聞いていたが、綾が口を閉ざすと途端に笑顔で頷いた。


「俺も土方さんから聞いた時は驚いた。けど、良かったじゃん」
「うん。ようやく巡察に同行出来るね」


綾は笑顔を隠すことが出来ない。
やっと自分も新選組の一員として認められ、浅葱の羽織を許されたのである。
近藤の為に働くことが出来る。
これほど嬉しいことはなかった。


「至らない伍長だけど、よろしくお願いします」
「よせよ、改まってさ。それに俺は総司や新八つぁんみたいに腕が立つわけじゃねぇから、お前を八番組に入れてくれたんだろうし」


平助は照れ臭そうに言い放つ。
褒められ慣れていないから、こういう時どうすれば良いのか解らないのだ。
本人が言うほど頼りない訳ではないし、むしろ幹部の中でも平助の腕前は保証されている。
天才の沖田と剣術馬鹿の永倉は極端な例なのだ。


負けん気が強く江戸っ子らしい無鉄砲な平助に比べ、綾は少々守りに入る癖がある。
連携を取るには抜群の組み合わせだろう。
確かに伍長達の中では綾は抜群の腕前だが、何も二人が組まされた理由はそれだけではなかった。

それに平助は綾が何故自分の所に配属されたのか、本当の理由を知っていた。
言うべきか戸惑う。が、真実を言っておく方が良いと思い、躊躇いがちに口を開いた。


「雪之丞」
「ん?」
「ちょっと、俺の話聞いてくれるか」


急に深刻そうな声音に変わった平助を見て訝しげな表情を浮かべたが、綾はどうしたの、と伺う。
葛きりを食べていた手が止まった。
平助は綾に真っすぐ目を向けると、恐る恐る話を切り出した。


「俺の生まれの話をしていなかったから」
「ああ、そういえばそうだね」


あっさりと綾は頷いた。
自分のことがあるから、彼女には人の出生を聞く癖がなかった。
平助が自分のことを話したがらないのは勘付いていたが、あえて聞かなかった。
綾も他人に自分のことをあれこれ突っ込まれるのが嫌いだし、許されない立場だったからだ。


平助は僅かに目を泳がせたが、すぐに視線を戻した。


「俺は津藩領内で生まれた。母は昔、城の女中を務めていたらしい。父親は解らない」
「解らない?」


綾が顔を顰めると、平助はおもむろに頷いた。


「というより探すなと言われている」
「…探すな?」
「本当かどうか解らねぇけど、どうやら俺は御落胤ってやつみたいだ」


伊勢国津藩は代々藤堂家が治めている。
当代は藤堂和泉守高猷。ということは彼が平助の父親ということだ。
本当ならば確かに軽々しく話せるものではない。


平助は自分の刀を綾に差し出した。
戸惑いながら受け取った彼女に、刀の銘を見るよう促す。
上総介兼重と銘打たれたそれを見て、綾は顔を上げた。
津藩お抱え刀工の銘であり、一介の浪人に買える代物ではない。
どこか自嘲混じりに、平助は笑った。


「老中だと名乗る侍に貰った。いい刀だろ」
「平助…」
「ま、刀に罪はねぇし、実際よく斬れるから有り難く使ってるけどさ」


平助の瞳には影が浮かんでいる。
綾は黙って平助を見つめた。心が痛い。気持ちは良く解った。
心配そうな綾に、平助は今度は明るく笑う。


「最初に雪之丞の話聞いた時、どこか俺に似てるって思ったんだ」
「そうだったんだ…」
「生まれだけはどうしようもないからさ、そんなんでゴチャゴチャ言われても仕方ねぇよな」


実感の籠った言葉だったから、綾は深く頷いた。
似ていると、彼女自身も思った。
親の名を言えない、生まれを隠さなければならない。関わってはならない。
自分の出生は変えられないからどうしようもなくて、何より暗闇の中手探りで歩いているようで。
不安で仕方ない気持ちは、たまに胸を潰しそうだった。


平助が初めから割と好意的だった訳が解った。
そして綾も平助の隊に配属された理由を悟った。


平助は藤堂家の御落胤。血筋では申し分ない。
きっと紀州徳川家の生まれである自分への配慮なのだろう。
身分を重んじる山南辺りの知恵なのかも知れない。
綾は静かに瞳を閉じた。


そんな理由であれ、平助と共に戦えるのは嬉しいことだ。
平助にならば背中を預けられる。
合理的な土方は出生だけでなく信頼関係も考慮しただろう。
良い方に考えなければ。綾は平助に笑いかけた。


「平助」
「ん?」
「よろしくね」
「こちらこそ」


平助も微笑み返し、残った葛きりを口に運ぶ。
甘さは胸の痛みを少し癒してくれるような気がした。







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