五月雨 | ナノ










綾は幹部との顔合わせの後、八木邸の幹部私室が並ぶ棟の一室に案内された。


「君の私室だ。狭くて悪いがね」
「そんなことないです!ありがとうございます」


心底申し訳なさそうな近藤に、綾は慌てて首を振った。
平隊士が相部屋と知っていたので覚悟はしていた。
が、やはり女の身では流石に心配だったのだ。
感謝の気持ちでいっぱいの綾を見て、近藤は優しく笑った。


「隣が私の自室、逆隣がトシの自室だ。その向こう側には山南くんの自室もある。困ったら訪ねなさい」
「はい!」
「うむ」


元気良い返事に、近藤は嬉しそうに頷く。
綾とは正体を知る前からの仲だし、元から近藤は利発な彼女に好感を抱いていた。
正体を知った後も、打ち合わせや藩邸で会う機会は多かった。
お陰で当初の戸惑いも消えていた。


「君は小姓だが朝稽古は参加してもらう。よろしいか?」
「勿論です。あ、近藤先生」
「ん?」
「今から稽古を見学したいのですが…」


綾の申し出に目を見開いたが、近藤はすぐに了承した。


「構わないよ。ただし俺は今から所用で出るが…」
「大丈夫です。場所さえ解れば」
「そうか。とは言っても初めての場所だからなぁ…。斎藤くんに頼んでみよう」


近藤は斎藤が本日の剣術指南の当番だったことを思い出した。
綾を連れ、道場に向かう。
近づくにつれて威勢の良い声と激しい音がする。
綾は胸を弾ませた。


道場には近藤の記憶通り斎藤と、後は沖田と藤堂がいた。
藤堂は当番ではないが暇つぶしに稽古をしているようだ。
近藤の姿を認め、一番に近寄ってきたのは沖田だった。


「近藤さん!稽古をつけてくれるんですか?」


期待の籠もった沖田の目に、近藤は眉を下げる。


「いや、今日は違うんだ。雪之丞くんを案内しただけだ」
「なぁんだ…」


あからさまにガッカリした沖田は、近藤の真横にいる綾に視線を移した。


「稽古じゃなくて見学なの?」
「はい」
「稽古したらいいじゃん」
「ですが…」
「君、田宮流の遣い手なんでしょ?僕の稽古に付き合ってよ」
「総司、雪之丞くんは本日入ったばかりだぞ」
「大丈夫ですよ。軽く打ち合うだけです」


戸惑う近藤に沖田は甘えた声で言い、にっこり笑って綾を見据える。
途端に綾は顔をしかめる。
好意的のようだが、沖田の目は笑っておらず、何かを探るようだったからだ。


「斎藤くんの一太刀目を払ったんだってね。ねぇ、僕にも見せてよ」
「ですが…」
「なに、自信ないの?」


しつこく食い下がる沖田についに綾は折れた。
稽古に付き合うまで諦めてくれそうになかったし、何より自信の程を言われてカッとなった。


「解りました。竹刀をお貸し下さい」
「あれ?聞いてない?」
「はい?」
「うちでは竹刀じゃなくて木刀を使うんだよ」


ほら、と指さされた先には、確かに大量の木刀が用意されている。
以前やたらと木刀が多い印象をもったが、そんな訳だったのか。
綾は表情を険しくしたが、一度だけ頷いた。


「解りました」
「総司!いかんぞ、木刀は…」
「近藤さん、軽くやるだけですって。そんなことより用事はいいんですか?」
「あっ、」
「早く行って下さいよ。雪之丞くんは責任もって預かりますから」


気がかりではあったが、沖田が言うように時間がない。
近藤は後ろ髪引かれつつも道場を後にした。


近藤の姿が見えなくなると、沖田は木刀を一本綾に寄越した。


「それじゃあやろうか」


好戦的な沖田の目に生唾を飲み、綾は了承した。


***


木刀と木刀が交わる音が響く。
綾は必死に沖田の剣を防いだ。


「どうしたの?まだやれるでしょ」


徐々に体力が減り動きが鈍くなる綾とは対称的に、沖田は余裕綽々だ。
綾は唇を噛み締める。
ぐい、と思い切り押し何とか後ろへ飛び退いた。
間合いを詰められぬよう警戒しながら下段に構える。
頬に汗が伝った。


沖田は予想以上に強かった。
手を防ぐので精一杯である。
しかも綾は木刀に慣れていなかった。
真剣よりも重いそれは、腕を鈍らせ動きを遅らせる。


先日試合をした斎藤以上に、沖田は苦手とする類であった。
身長が高く体格に恵まれた沖田に、女の身体では力で勝てない。
綾は今までに体力勝負の相手と戦ったこと自体はある。
その時は全て持ち前の技術と俊敏さで対処した。
綾は力がない代わりに小技が得意だ。
小柄な体格を逆手にとり、素早い動きで相手を翻弄するのが基本的な戦法だった。


しかし沖田は体格に加え、細かい技術まで持ち合わせている。信じれないほど器用だ。
一太刀一太刀が重い上に動きが速く、綾は防戦で精一杯になってしまう。


強い。
綾は柄を強く握りしめる。
天才と呼ばれる所以を見た。
沖田は剛と柔兼ね備えた剣士なのだ。


「仕掛けてきなよ」


沖田の口元が緩やかに弧を描く。
相変わらず目だけが鋭い。
隙なんて見つからない。
綾は短く息を吐き、一気に間合いに入った。


ガチン!
激しい音を立て、切っ先が重なる。
柔術に持ち込まれては適わない。
綾はとっさに身体を捻った。
離脱を図るが、沖田は容赦がない。
次の一手が槍のように降りかかる。


ギリギリと木刀が擦りあう。
綾の足は押されて広がる。
爪先に力を入れるが、間に合わない。
あっ、と思った時には綾は尻餅をついていた。
沖田は木刀を振りかざす。
叩かれる!
綾は目を見開いた。


「やりすぎだ」


黒い影が目の前に現れたかと思うと、沖田の剣が止められていた。
間に入ったのは斎藤である。
水を差され、沖田は不機嫌そうに顔を歪めた。


「斎藤くん、邪魔しないでよ」
「決着はついただろう」
「まだだよ」
「誰が見てもあんたの勝ちだ」


苛立つ沖田に動じた様子もなく、斎藤は淡々と返す。
一瞬の睨み合いの後、溜め息をつきながら沖田は木刀を下げた。


「あーあ。いいところだったのに」
「あんたは深追いしすぎだ。雪之丞をケガさせてどうする」
「本当に斎藤くんは真面目だよね」


呆然として二人を見ていた綾の目の前に、すっと手が差し出された。
驚いて顔を上げると、心配そうに顔を歪めた藤堂がいた。


「雪之丞、大丈夫か?」
「あ、はい」
「ほら、立てよ」


強引に手を掴み、藤堂は綾を立たせた。


「派手にやられたなぁ。痣になっちまう。冷やしに行こう」
「あ…」
「こっちだ」


そのまま引きずられるように道場を出た。
振り返った先で、沖田は不服そうな顔をしたままだった。







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