永倉、原田、平助の三人は部屋に酒を持ち込んで呑んでいた。 夜番が重ならないのは久しぶりである。 つまみも酒も大した物ではないが、気を抜いて飲み交わせるのは楽しい。
「なぁ、どう思う」 「昼間の話?」 「そう。徳川の姫様だって」
永倉は顔をしかめた。 赤らんでいるが、まだ酔いは浅い。 三人とも酒には強い方である。 その上衝撃的な話を聞いたばかりとあっては、簡単には酔えない。
「どうもこうも奇特な姫さんだろ」 「だよなぁ。なんだってこんな所に入りたいんだ」 「近藤さんに心酔したって話だけど」 「心酔しても男装して浪士に混じりたいと思うか?姫様だぞ」 「だから奇特なんだろ」
自分たちしかいないのをいいことに、三人は勝手なことを吐きあった。 容保の養女で、将軍の姉君。 どう考えても自分たちには縁のない、雲の上の存在だ。 そんな人が入ってくる。 嘘のような話だ。
「しかも敬語を使うな、呼び捨てしろってなぁ」 「なんだっけ、男装名は」 「雪之丞だろ。間違えたら拙いぞ。解っているのか?」 「解っているって!その日までには覚えるよ」
焦った平助を原田がからかう。 永倉も首ハネられるかも知れねぇぞ、なんて言うので、平助は身を乗り出して否定する。 良い反応をするからからかわれるのだと、当の本人は解っていないらしい。 そこが平助の良いところだと、原田は微笑んだ。
「しっかし、変わった姫だよなぁ」 「あ?新八つぁん、今まさにその話してただろ」 「違う、剣術のことだ」
剣術に傾倒し過ぎて脱藩した永倉は、余程綾の経歴が気になったらしかった。 紀州田宮流。 江戸三大剣術と呼ばれる北辰一刀流や神道無念流の類とは違うが、田宮流も著名な流派の一つである。 特に紀州田宮流は独自の路線を辿った剣術で有名だ。 ただし江戸で見る機会はそう多くない。
「斎藤の一太刀目を止めたんだろ?信じられねぇな」 「でも一くんや土方さんが嘘つく訳ねぇじゃん。総司じゃあるまいしさ」 「そりゃそうだが」
女ながらにそれ程の腕前とは。 ますます掴めない存在である。 女で剣を取ること自体珍しい話だ。 どういった訳で紀州田宮流を極めることになったのか解らないが、変わり者なのは確かだった。
「でもそんな偉い生まれの人、受け入れんの難しいな」
お猪口を煽りつつ永倉が言う。 ふいに平助の表情が曇る。 気づいた原田が平助の頭を乱暴に掻き回した。
「お前はそういうのを鼻にかけてないだろ」
ハッ、と永倉も気づく。 罰の悪い顔になった。 平助の生まれをようやく思い出したらしい。
「平助のことは好きだぞ」 「そういうこった。俺らはお前を必要としてる」 「な、なんだよ。気持ち悪りぃな」
口は悪いが、平助は真っ赤になってそっぽを向いた。 耳まで赤くなっているところを見るに、酒だけのせいではない。 永倉と原田は顔を見合わせて笑った。
「だいたい平助は育ちは完全に庶民じゃねぇか」 「そうだ。それでお偉いさんを気取ってちゃ世話ねぇしな」
カラカラと笑う二人に、平助の表情も明るくなる。 生まれのことは平助が唯一深刻になる部分だ。 あまり口にしないが、だからこそ気にしている。 それを知っているから、永倉と原田は明るく笑い飛ばした。
「ま、とにかく姫さんが鼻持ちならない奴じゃねぇことを祈るってだけだ」 「なんだよ、その締め。まとめ方雑だなぁ」 「平助!てめぇ俺様の言葉にケチつけんのか!」 「うわ、いってぇな!殴るなよ!」
賑やかに騒ぎ始めた二人を眺めながら、原田は酒を煽った。 今度来る姫様が平助のような奴だといいが。 そんなことを考えながら、彼は空になった銚子を隅に寄せた。
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