五月雨 | ナノ









時はひと月程前に遡る。
この日近藤派の幹部は、内密に集められていた。
訝しげな彼らの前で土方は重い口を開く。


「今度うちに新入隊士が入る」


幹部は皆首を傾げる。
新入隊士が入ることなど珍しくはない。
わざわざ集めて話す必要はない。
訳ありでなくば。
黙って話を聞く幹部に、土方は言葉を繋いだ。


「察しの通り厄介な身の上だ。複雑過ぎて驚く」
「土方さん、どう厄介っていうんだよ」


口を挟んだのは赤髪が特徴的な原田だ。
せっかちな促しに土方は一瞬眉を寄せたが、すぐ元の表情に戻った。


「これから話すことは、本来ならば俺たちのような身が知ってはならないことだ。まず知ってしまっても良いかをお前らに問いたい」


重苦しい言葉に幹部たちは顔を顰めたが、誰一人として立ち上がり出て行く気配はない。
静まった部屋に、庭先の蝉の鳴き声がした。
いいぜ!と沈黙を破ったのは永倉だった。


「水くせぇな。江戸を出る時約束したじゃねぇか。これからは苦楽を共に、ってな」
「そうだよ!俺らにはそんな気遣いいらねぇよ。遠慮しないでくれ」


永倉の言葉に藤堂も同調する。
言葉にせずとも、試衛館以来の仲間は皆同じように真っ直ぐな目をしていた。
土方は仲間たちの顔を見渡し、すまねぇと言った後本題に入った。


「今度入隊する隊士の歳は十八。名は綾」
「綾?」
「女だ」


一同が驚いて土方を見る。
普段冷静な斎藤ですら目を見開いていた。
浪士組に当然女などいない。
面々は戸惑うが、山南が諫めて話を進めた。


「彼女は会津藩主松平容保様のご息女です」
「…え」
「ただし、容保様の実のお子ではない。養女として入っています」


あまりにも意外過ぎて、今度は誰も声を上げない。
話の次元が違いすぎる。
世情に興味のない沖田さえ、信じられないといった目で見ていた。
突拍子のない話だ、仕方のないことだった。
だが驚くには早い。


「ここからが本題だ」
「な、なんだよ。まだあるのかよ…」
「彼女の実家の話をせねばなりません」


静まり返った空間に、土方の重々しい声だけが響く。


「実家は紀州の高家、久松松平家。母親は実成院様だ」
「はぁ?」


一番に真相を察したのは永倉だった。
永倉は元々松前藩士の身分だったが脱藩し、この近藤派試衛館組に属している。
故に世情には明るかった。
一方原田は意図が解らず眉間に皺を寄せた。


「おい、新八。一体どういうことだよ」
「実成院様といえば、将軍様の御生母じゃねぇか」
「あ…、そういやそうだっけ」
「お前なぁ…。しかも姫君は十八。将軍様は現在御歳…」
「十八、だ」


さっと原田の顔も青ざめた。
永倉の解説で全員理解出来てしまい硬直する。
あまりにも次元が違う。
姫が双子であることは容易に察した。
双子生まれは民衆の間でも悪評であり、裕福な家庭では養子に出したり寺に預け、貧しい農村では間引かれることもある。
なぜ松平家に養女に出されたのか、聞かずとも解った。


「この話は他言無用。漏らせば命どころか一族もないと思え」
「あ、ああ…」


土方の言葉は決して大袈裟ではない。
全員が険しい表情になる。
不満も言えずに、ただ重苦しい空気だけが漂った。


そんな身分の人が、なぜうちに?
全員の脳裏に疑問が駆け巡った。
いくら隠された姫だとはいえ無茶苦茶だ。


「その姫様は刀を使えるのか?」
「相当の手練れだ」
「なんで斎藤が知ってるんだよ」


意外なところからの言葉に驚いた永倉に、手合わせをしたのだと斎藤は淡々と告げた。


「田宮流の構えだった。紀州の出身ならば違わないだろう。腕は立つ」
「へぇ、斎藤くんが言うなら凄いんだろうね」


沖田の軽口に、土方は苦々しげに頷いた。


「斎藤の一太刀目を防いだ」
「えっ」
「正式にどこかの道場に入門したわけではないらしいが、恐らく腕前だけならば目録辺りはある」


女の身だから道場には通えなかった。
綾はそう言ったが、実力だけならばその辺の浪士よりも上だった。
彼女自身腕に自信がある。
土方は溜め息をついた。


「剣術を理由にして断るのは無理だった。それに一応この件は容保様も了承済みだ」
「本人も浪士組に入るため、表では出家したことにするそうです。既に髪は落とされていますし」


綾の髪を思い出しながら山南は言う。
ここを訪ねた時、結っていたが肩ほどまでの長さしかなかったはずだ。
近藤と同じ髷にしていたのだ、間違いない。


それを聞いて、あまりの型破りに一同は唖然とした。
剣が強い、将軍の姉、浪士組に入りたがる。
常識を超越している。
脳内では処理し切れぬほど、訳が分からない話だった。


「それで、姫はどういう扱いになるんだ」


まさか公にするわけじゃねぇだろう、と原田が問う。
一同気になるところだ。
土方は当たり前だと頷いた。


「まずは小姓にする。ちょうど近藤派には小姓がいねぇしな」
「ああ、まぁ妥当だな」


誰も反論せずに頷いた。
立場上綾を死なせる訳にはいかない。
だが任務の最中では彼女だけに気を配ることは不可能だ。
故に小姓。
小姓ならば巡察に出る必要はないし、危険は格段に下がる。


それに加え土方にはもう一つ意図があった。
芹沢派に比べ、近藤派はやや求心力がない。
近藤勇という人物は尊敬に値する立派な男だが、何分欲がなく地味である。
対して芹沢の方は天才的に人の心を掴む。
皆が彼の破天荒にいつしか魅せられる。
派手な魅力を持つ男に、日に日に人は集まった。


このままでは拙いと土方は思った。
控えめで人の良い近藤は呑気なことばかり言うが、それでは困る。
自分を始め、試衛館の人間は皆近藤に賭けたのだ。芹沢ではなく近藤に。
特に土方は自分の人生を近藤勇という男を大名にするために費やすと誓った。今でも気持ちは変わらない。
故に芹沢の横暴には辟易していた。


そこでまずは小姓だ。
身分の高い侍には小姓がいるものだという印象が強い。
綾を配置し箔をつけようと考えた。


しかも綾は松平容保の養女である。会津藩の忠誠心は有名だし、元々容保は家茂の姉を気遣っているはずだ。
いざ芹沢派と近藤派が対立した際に、綾が近藤の小姓であればどんなに芹沢が人の心を掴むといっても、確実に会津藩は味方である。
綾が近藤を敬愛しているのもちょうど良い。もしもの時綾の剣は芹沢派にも劣らないし苦戦させる。近藤を死なせる真似はしないはずだ。


卑怯だろうと使えるものは使う。それが俺の遣り方だ。
近藤の志を守るためならば自分は汚れても構わない。
土方は心から思っていた。


「とにかく近藤さんの小姓に配置するから、お前らも芹沢派や平隊士たちが余計なことしねぇよう見張っておいてくれ」
「土方さん、名前はどうするんだ?」
「あ?」
「流石に松平とか徳川を名乗るわけにはいかないじゃん。名前もさ、いかにも女だし」


口を挟んだのは藤堂だ。
もっともな疑問である。
松平姓や、まして徳川姓はそうそう名乗れるものではない。
確かに綾が会津の関係者と見抜かれる可能性は高かった。
芹沢は馬鹿ではない。
どちらかといえば近藤より世に通じているし、側近の新見も頭が回る。
だからこそ上役三人は事前の打ち合わせで取り決めをしていた。


「近藤雪之丞。近藤さんの親戚筋の若者だ」
「えっ」
「宮川家よりも近藤家にしたのは、入ったばかりの平隊士にもすぐ解るように。更に近藤家の親戚ならば近藤さんと顔つきが似てなくても問題ない」


土方と山南で考えた身分だ。
小姓であることで、余計なちょっかいをかけられるかも知れない。
そんな時に近藤家の身内となれば、牽制になる。
また小姓の地位を贔屓だとか言われることもない。
少々幹部が構っても、局長の身内とあらば納得されるであろう。
そのための苗字だ。


近藤勇は天然理心流の宗家近藤家に養子として入っており、元々は宮川家の生まれである。
綾を宮川姓にしなかったのは、宮川では無知な新人は近藤の親類だと勘付いてくれない。
それでは困るので、敢えて近藤姓を選んだ。


「ただ、紛らわしいし本人も近藤姓は慣れていない。だから呼ぶ時は雪之丞と呼べ」
「雪之丞…」
「本人が元々使っていた男装名だ」


男装名。
なんでそんなのがあるんだ。
全員唖然とした。
一体どんな姫君か解らないが、破天荒なのは疑いようがなかった。


「注意点ですが」


驚く一同に、山南が静かに、強く言葉を投げる。


「雪之丞くんをくれぐれも“姫”と呼んだりしないように。敬語も厳禁です」
「でも…」
「幹部が敬語なんか使ってみろ。すぐに怪しまれる」


それに。
土方は言葉を切って見渡した。
全員の視線が土方に集まる。


「それに本人も普通の平隊士として扱われるのを望んでいる」
「あくまで身分は捨てて入隊するそうです」


その言葉に目を見開いた面々だった。
さまよっていた土方の視線が止まる。
ただ一人浮かない顔をしている沖田が妙に気になる。
しかし特別何も尋ねず、代わりに全員に向かって頼む、とだけ言った。






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