五月雨 | ナノ









それはつい先日のことだったという。千鶴は綾の気持ちを知って動揺していた。以前沖田の本心を聞いた。綾のことが好きだから離れるという本心だった。その時も動揺したが、今回は更に動揺した。互いに気付いてなどいないが二人が相思相愛と知ってしまったからだった。
二人は好きあっているのに、互いに互いを想いすぎる故に一緒になる道を選ばなかった。沖田は身分や病のことを上げ、綾も己に課せられた宿命を取る。傍から見ていればもどかしいばかりで、歯がゆかった。


特に千鶴は平助と今生の別れを遂げたばかりだ。想い合っても傍に居られないこともあるのに、なんということなのだろう。せめて二人は一緒になってほしいと彼女は思った。特に綾には随分励まされた。恩返しをしたいという気持ちもあった。
それほど千鶴は二人のことが好きで、だからこそ悔しかった。


どうにかしたいという想いが募った千鶴は、それから土方に相談した。土方は初め放っておけと言ったが、千鶴のあまりの熱意についに折れた。とはいっても綾のことは土方単独ではどうしようもない。山崎と共に会津屋敷の篠山染を訪ねることにした。


「そうした訳で私の元へやってきた千鶴から話を聞き、更に容保様にお伝えして今回の件が計画なされたのです」
「では…」
「申し訳ありません、綾様。全ては茶番。あなた様と沖田殿の気持ちを確かめたいと、騙すようなことをいたしました」


頭を下げた染を、綾は茫然と見つめる。怒ることなどできようはずもない。胸に競り上がる感情の波を抑えられず、言葉を紡ぐことができなかった。それは沖田も同じようで、彼も同じく呆気に取られている。


「そういう訳です。ですので薩摩の件も元よりない。ご安心なさいますよう」


微笑む容保は、少しだけ面白がるような顔をしていた。そんな彼に綾はゆっくり焦点を合わせる。


「養父上、良いのですか?」
「何がですか」
「私は会津の姫。大名家の娘です。それなのに全てを捨てて、沖田さんの傍にいたいと願っている。それでも許されるのですか」


震える声音で綾が問いかける。初めから計画していたということは、つまりそういうことだ。綾を好いた男と添い遂げさせる気だったとは。恋愛結婚など武家どころか商家でもありえない。だというのによりによって武家の中でも最高峰の身分を有した綾に認めるとはあまりに異例だった。


千鶴が雪村家の娘ということを容保は知らない。というより雪村家のことも鬼のことすら知るはずがない。会津と組む鬼がいないことなど、綾はとうの昔に知っていた。
だから容保にとって千鶴はただの新選組の一小姓であり、庶民ということになる。とてもではないが、そんな者の願いを聞き届けるとは思えない。
だとすれば何故容保は許可をする気になったのだろうか。


怪訝な顔をする綾に容保は軽く笑みを落とす。そして彼は文箱を差し出し、開けるように促した。


言われるままに綾は文箱を開く。そこには一通の文が納められていた。宛名に“会津中将”とだけ走り書きされており驚く。この日の本において容保のことをそう呼べるのは限られていた。
文に触れる指が震える。筆跡には覚えがあった。


「それをいただいたのはお亡くなりになる半年ほど前のことでした。自分にもしものことあらば頼むと、そう言われました」


容保の静かな声が響く。その文は紛れもなく、家茂から送られたものだった。
短い文で直ぐに読み終わる。だというのに綾は何度も何度もそれを読んだ。理解は出来るのに納得できなかった。


いつか綾が本気で添い遂げたいと願う人を見つけたら、それを叶えて上げて欲しい。
そう記された文だった。


「家茂様はあなたの行く末を大層案じておられた。自分は偶々一緒になった相手が良かったが、姉のあなたはそうはいかぬのではないだろうか。生まれが生まれで良家という家には嫁ぎ辛いのではないか。そう案じていらした」
「あの子が、そんなことを…」
「文にはないが、あの方は仰った。どうやら姉に慕う人がいるらしい、もしその人を生涯の伴侶と為したいとのことであらば、どうか頼むと、そう仰った」


お優しいお方だった。容保は呟く。綾は頷くことすら出来ず、心の中で同意した。
優しくて姉思いの自慢の弟。そうは思っていたが、まさかこんなことまで頼んでいたとは。胸がいっぱいになる。薄く唇を噛み締めた綾の手を、沖田がそっと握った。


「家茂様にお願いされただけではありません。私自身も同意です、綾殿。あなたには幸せになってほしい」


容保は柔らかく微笑む。まるで実の父のように、慈しむ目をしていた。
その言葉に綾は驚く。自分は勝手ばかりをしていた。容保を始め会津にとって、自分は厄介者のはずだった。強引に押し付けられた姫の養育に頭を悩ませたはずだ。
しかもその姫は浪士に混じって刀を取る道を選んだ。破天荒にも程がある。いわば問題児を抱え続けてきた。
だからせめて会津の役に立って欲しいと思うのが道理であろうに。それなのに姫君として嫁ぐ必要もないという。


綾が揺れる瞳で見つめると、容保は深く頷いた。
それで良いのだと目が語っている。


「あなたは好きに生きて良いのです。それこそがあなたに託された願いですから」


継承されたのだ。願いを、自由な生き様を自分は託された。
綾は深く一礼する。隣で沖田もそれにならって頭を下げた。
何だか泣きたくなったのに泣かなかったのは、繋いだ手が温かかったからだった。
涙の代わりに彼女は、ありがとうございますと何度も何度も呟いた。





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