五月雨 | ナノ









篠山染が屯所を訪れたのは、その三日後のことであった。
例によってお忍びとして一人で訪れた彼女は、近藤以下、土方、原田、永倉、そして沖田を場に呼ぶよう依頼する。
突然の訪れに困惑しつつ幹部たちは集合した。


最後にやってきた沖田が着座すると同時に、染は綾を見据える。次の瞬間、彼女に深く頭を下げた。


「恐れながら蓮尚院様、お話がございます」
「…近藤雪之丞ではなく、蓮尚院に、なのですね」
「左様です。どうぞ、上座に」


綾が立ちあがると、さっと近藤と土方は脇に避けた。この瞬間が綾にとって一番胸が痛い。この二人が自分より下座と思ったことなどない。
染は綾の真正面で彼女を見据えた。誰よりも綾を知る理解者がこのような真似に出るということは、相応のことであろう。綾は黙って動向を見た。


「いかがいたしましたか、染」
「単刀直入に申し上げます。綾姫様に、縁談がございます」


一瞬にして場が静まり返る。近藤と土方は既に事情を聞いていたらしく平然としているが、残りの面々は目を見開いた。
今まで染が縁談を運んできたことなど一度もなく、綾は事の次第に眉を顰める。


「私は昔から縁談を断っていました。俗世を捨て戒名を授かっています。新選組に入隊した時の決意も未だ揺るぎない。それを承知の上なのですか」
「はい、姫様。これは容保様、そして会津の意向でございます」


来たか。綾は瞼を閉じる。遠まわしに命令と言われている。断ることが許されぬ前提の話だ。
物言わぬ綾を、染は真っ直ぐ見据えた。


「お話、続けてもよろしいですか?」
「続けなさい」
「お相手のお名前は、島津茂久様」
「島津、ですって?」


目を見開いたのは綾だけではない。染以外の場にいる誰もが驚いていた。
島津の名を冠し、かつ会津の姫と釣り合う家柄など、国に一つしかなかった。
沢山の視線を集めても染は動じず、静かな口調で紡ぐ。


「お気づきの通り、薩摩藩島津家のお方です。しかも、現藩主であられます」
「薩摩の、藩主…」
「藩の実権は父君である久光公がお持ちですが、藩主にあることはお変わりなく、徳川の血を引かれる姫様とはお似合いであると存じます」


染の言葉は耳に半分しか入らなかった。
薩摩藩は賢君である斉彬の死後、甥の茂久が相続している。薩摩にはこんな言葉がある。島津に暗君なし。島津家は戦国の歴代から、暗君、所謂愚鈍な当主を排出したことがなかった。それを誇りとしてきた家柄である。
それだけに幕府の体制とは度々衝突している。先代の斉彬や現在の実権者久光もあまり良好とは言い難い。


会津と薩摩の間には同盟があるが、それもいつまで持つのか。特に綾は新選組として市中に出たり情報を得ることが多い為、会津藩士達より危機感を感じていた。


この縁談は念押しなのだろう。綾は思案した。会津藩主の娘である綾を嫁がせ薩摩との間に姻戚関係を築きあげる。とても価値のあることだ。薩摩藩は雄藩であり、幕府側から逃すのは得策とは言えない。しかも島津家は朝廷内にも顔が効く。有力公家である近衛家と親密な関係がある。朝廷工作の点でもかなり優れた一族だ。


いくら考えたところで、確かに縁談が成功すれば会津にとっては勿論、幕府方にとっても有益な縁談である。持ち込んだのが容保自身なのか幕府なのか、はたまた島津なのかは綾には解らない。それでも縁談の重要性だけはしかと理解していた。


「お染」
「はい」


染としっかり目を合わせ、綾は静かに微笑む。その瞳には決意が宿っていた。


「私も、腐っても会津の姫。育まれた恩を忘れるほど愚鈍ではないつもりです」
「では…」
「喜んでお受けいたしましょう。会津の為に嫁ぎます」


がた、と大きな物音が響く。染の後ろで原田が中腰になっていた。彼は鋭い視線を綾に投げかける。


「綾!馬鹿なこと言うな!お前、薩摩がどんなのか解ってるだろ!」
「原田!止めろ!」
「土方さん、アンタ何も思わねぇのかよ!薩摩に嫁ぐなんて、敵地に丸腰で向かうようなものなんだぞ!俺は世情なんかこれっぽっちも解らねぇけどな、これだけは確かだ。あいつら信用ならねぇ」


土方の制止に逆らい、原田はいきり立つ。真っ直ぐな言葉を綾はあくまで静かに聞いていた。


「いつ殺されるかも解らねぇってのに、行かせる訳にはいかねぇだろ。考え直せ。四面楚歌の体現のような場所に行かなくてもいい」
「止めろ、左之」
「新八!お前もどうしてそんなに冷静なんだよ!いつもだったら真っ先にお前が怒鳴り出す癖に!こいつを行かせてもいいっていうのか!」
「良い訳ないだろ!」


原田に怒鳴り返した永倉の表情には、やるせなさが浮かんでいる。思わず気圧され原田は目を見開いた。
そんな彼から目を逸らし、永倉は吐き捨てる。


「でもどうしようもねぇんだ。綾は姫だ。姫様なんだよ」
「姫様の前に一人の女だろ!」
「女の前に姫なんだよ!いいか、これは私情だけでどうなる訳でもねぇ。綾が姫である以上、一人の問題じゃねぇんだ。婚姻に藩の命運が懸っているんだよ!」
「新八!」
「俺だって止められるものなら…っ」


永倉の擦れた声が部屋中に響き渡る。強く拳を叩きつけて俯いた彼の横顔を、原田が茫然と眺めた。
どちらの気持ちも良く解る、と綾は思った。直球で案じてくれた原田と、背景や事情が見えるだけに安易に反対することが出来ない永倉。二人とも自分のことを真剣に考えてくれている。
その気持ちだけで嬉しかった。


「左之さん、新八さん。ありがとうございます」
「…綾」
「お言葉の数々、とても嬉しく頂戴いたします」


頭を下げた綾に、二人は掛ける言葉を失くした。
重い空気が蔓延する。綾は緩々と決意を固めることしか出来ない。


沖田は一度も言葉を発しなかった。





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