五月雨 | ナノ







平助が屯所に戻ると、庭掃除をしていた千鶴が駆け寄ってきた。
千鶴は僅かに眉を下げ不安そうな顔をしていた。


「平助くん。綾さんは…」
「駄目だ、いつも通り。朝飯ほとんど手をつけてねぇし、心ここにあらずって感じ」
「そっか…」


千鶴はあからさまに落ち込んだ。多忙な幹部よりも綾に接する機会が多いので、余計に思うところがある。
千鶴はあの後、染から事情を聴いた。隊士を誤魔化せても千鶴はどうしようもない。そう判断した土方が染に頼んで綾の出生のことを話して貰った。
沖田から何となく聞いていた千鶴はそこまで驚かなかったが、一方で唯一の弟を亡くした綾の心情を思うと胸が痛かった。


「私たちにしてあげられることは、ないのでしょうか…」


千鶴の言葉に平助も項垂れた。何かしてあげたい。そう思うのは本心からなのに、実際何もすることは出来なかった。こればかりはどうしようもない。励ましても励ましても綾の弟を生き返らせることなど出来ようはずもない。綾自身が立ち上がらない限り、解決しないのだ。


「お前まで落ち込むなって」
「あ、原田さん…」


いつの間にかやってきた原田が千鶴の頭を軽く叩く。本日原田率いる十番組は夜間の見廻りだ。
家茂の死以来、社会情勢は大きく変貌している。失墜した幕府の威信をあざ笑うよう幕府が長州を朝敵と記した札が引っこ抜かれる事件が起きていた。今までは考えられなかったことだ。
札を守るために会津藩は新選組に札の警護をするよう命じていた。


不逞浪士との斬り合いならまだしも札の警護とあっては、やる気の出ない者も続出している。隊士たちからは不満の声も上がっていた。
表立って口にしないが平助や永倉は幹部だけの時に愚痴を吐いている。いつまで経っても札抜きの犯人が捕まらないことが、余計に苛々を加速させていた。


「ま、こればかりは時が解決してくれねぇと、仕方ないんじゃねぇか」


原田の隣に並んだ永倉が言う。何人顔を突き合わせて相談しても解決しない。時だけが頼りだった。
そうですねと俯く千鶴の頭を無造作に撫で、原田は小さく苦笑する。こんな時に本当に無力だと彼は息を吐いた。


「あれ、皆さんお揃いで何しているんですか?」


手を擦り合せながら現れたのは沖田だ。暦の上では秋であるが、まだ暑い日が続く。そのためか病人のはずの彼も薄着だった。
千鶴が顔を青くして駆け寄った。


「起きていいんですか!」
「大丈夫だよ、千鶴ちゃん。君は大げさだね」
「でも…」
「今日は調子いいんだ。たまには外の空気吸わせてよ」


顔を顰めた千鶴に軽く手を振ると、沖田は輪の中に入った。
そこに漂う微妙な空気に一瞬にして事態を悟る。空を仰げば、どこまでも青い空が広がっていた。ここ数日部屋に籠っていた沖田は空の高さに目を細め、味わうようにじっくりと呼吸を繰り返した。


「綾ちゃんも外に出ないと腐っちゃうかもね」


誰かに言うというより独り言を呟くような口調だった。釣られて皆空を見上げる。
表に出なければ解らない空模様。雲の流れゆく様を、静かに見送った。





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