沖田に付き添われ、綾は随分久しぶりに屯所に姿を現した。 驚く隊士たちを尻目に脇目を振らず幹部私室が並ぶ廊下の奥を目指した。 部屋の前で沖田は立ち止り見送る。 頷きを一つ返すと綾は中に声を掛けた。
「雪之丞」
目を見開いた近藤は、驚愕の声を上げる。 瞳に映る案ずる色に綾は小さく微笑んだ。尊敬して止まない大事な人を随分心配させてしまったのだと、胸が痛い。
「お久しぶりです、近藤先生」 「もう良いのか、その…」 「ご心配をおかけしました。大丈夫です」
軽く頷き、それから綾は頭を下げた。 どうして忘れてしまっていたのだろう。この優しい恩人の為に働こうと心に決めていた。それは嘘ではないはずなのに。 ひと月以上部屋に籠りきりでどうしようもなかった自分を悔いた。何の役にも立たず、それどころか心配をかけてしまうなどあってはならなかった。 綾が頭を下げたまま謝罪をすると、近藤は困ったように微笑んだ。
「そのようなことはどうでも良い。身内を亡くせば誰でも悲しいものだ」 「でも…」 「それよりお前が立ち直ってくれて、俺は嬉しいぞ」
優しい言葉に綾は顔を上げた。近藤は立ち上がると彼女の目の前まで歩み寄る。 大きな手のひらが綾の頭を掻き撫でた。まるで小さな子供を褒めるように、近藤は笑って頷いた。
「大事な弟君だったのだ。俺はお前がどれだけ彼の御方のことを大事にしていたのか知っている。よく乗り越えたな」 「近藤、先生…」 「頑張った」
自分を真っ直ぐ見詰めた近藤を、綾もまた見つめ返す。近藤は娘を見るような慈しみの籠った目をしていた。 綾の胸が熱くなる。本当に近藤は素晴らしい人だ。自分の人を見る目に誤りはなかった。
「近藤先生」 「ん?」
すっ、と近藤から少し距離を取り、綾は再び頭を下げる。 綺麗に揃えた指の先にまで力が入っていた。
「八番組伍長、近藤雪之丞。これからは誠心誠意籠め、先生のために働く所存でございます」
凛とした綾の声が、静かな部屋に響き渡る。 冷静なのに熱を帯びた強い声に近藤は目を見開くが、直ぐに口元を緩めると力強く頷いた。
「頼んだぞ」
感激で緩んだ涙腺を押しとどめようと、綾は瞼を閉じる。 真っ暗な視界の先に光が見えたような気がした。
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