残された綾の頭を原田は軽く叩いた。見上げた彼女に、原田は柔らかく口元を緩めてみせた。 無言のまま歩いて境内の階段に腰掛けた。数段しかない階段は広々としていて、隊士達の憩いの場と化している。 綾も意図を心得て、その隣に座った。 そよそよと微弱な風が吹く。梅が強く香る。 原田の長い前髪は弄ばれていた。男前と評される彼だからこそ、無造作加減が面立ちを引き立てる。 酷く絵になる人だと、思わず綾は息を漏らした。 「お前が解ってるっつーことを、承知で言うんだがな」 ゆっくり沈黙を壊し、原田が口を開く。視線は綾ではなく、遙か遠くを見ていた。 綾が無言のまま頷くと、その気配を察したらしく静かに微笑んだ。 「新八が元々良いところのお坊ちゃんだったって話は、お前も知ってるな?」 「あ、はい。以前平助から訊きました」 「じゃあ話は早ぇな。とにかく名家と呼んでも良い家に生まれたんだが、アイツはまだ若ぇ頃に家を飛び出した。浪人って身分になったのは上京するほんの少し前だが、家自体は既に飛び出て何年もしていたらしい」 俺も聞いた話なんだが、と原田は付け加えた。どうやら永倉が家を出たのは、原田と出会う前らしい。 なんとなく二人は幼馴染のような気がしていた綾は、原田が常に永倉と一緒にいた訳でないことに驚く。 しかし試衛館に入る前と考えると、それも当り前かと綾は思い直した。 原田が伊予の出身ということもまた、情報の一つとして把握していた。 「新八さんは剣術の稽古に専念するため、脱藩したのだと伺いました」 綾が生真面目に答えれば、原田は苦笑する。その笑みに綾は顔を顰めた。認識違いだろうかと思ったのだ。 すると原田はいや、正しいぜと肯定した。 「ただ全てじゃねぇってだけで。本当はまだ理由があるんだ」 「他の理由、ですか?」 そうだと原田は静かに頷いた。 「肌に合わなかった、んだと」 「え?」 瞬きを繰り返す。肌に合わなかった。綾は口の中で繰り返した。 何のことかと一瞬思ったが、直ぐに思い当たる。永倉家は藩内でも良家といって差し障りのない家柄という。伊東に対する態度と照らし合わせて考えるに、恐らく彼本来の気質が上流の家柄とは合わなかったということなのだろう。 実家だけならまだしも、同じような家柄と付き合うことが多い。それが我慢ならなかったのだ。 だからなのかと、綾は納得した。永倉の異常な上流階級嫌いである。 家が嫌で飛び出したのにそうした家柄の人間と出会うことが、そもそも許せないのだ。 俯いた綾の頭を、原田は再度ポンと叩いた。 「ま、でも、アイツは単純で真っすぐなところがあるから、色眼鏡に掛けて見ていても、意地になって認めねぇみたいな姿勢を取ることはないだろ?お前のことも今では実の妹のように思ってるぜ」 言い聞かせるように優しい口調で原田は言った。それが本心からの言葉であり、また真実から違わないことを綾も知っている。永倉はどうでも良い相手に器用に愛想を振りまけるような性格ではない。どちらかといえばそうしたことが面倒だと、一刀両断してしまう性質なのだ。 流石に二年以上の付き合いなので良く解っていた。 綾は原田に笑って頷いてみせる。大丈夫だと口に出さずとも、瞳で語った。 その気持ちは伝わったのか、原田は僅かに目を見開いて、それから穏やかに微笑んだ。 「お節介だったな」 軽口のようにそう言った原田の表情は、随分明るかった。 伸びた大きな手のひらは綾の頭の上に載って、掻き混ぜるように撫でた。
[←] [→] [栞をはさむ]
back
|