近藤、土方、山南の三名は八木邸の奥の間に腰掛けていた。 客人が来るとの達しを受けたのは数日前。 容保直々の書状で、近藤と幹部数人は同席して欲しいと書かれていた。 今まで会津藩の人間が全く訪れなかったわけではないが、にしてもここまで徹底して指定されたことはない。 三名とも訝しがっていた。
「副長」
静かに戸が開き、現れたのは長髪を右側で括り、白い襟巻きと藍色の着流しを纏った青年。 一見女性かと見紛うほど細身で小柄だが、立ち振る舞いに全く隙がない。 斎藤一、副長助勤であり土方の信頼する部下だ。
「おいでになりました」 「解った」 「こちらにお通しいたします」 「頼む」
土方の言葉に一礼し、彼は戸を閉め立ち去った。 三者が訝しがったのは書状に書かれた内容が特異であったからだ。 訪れる者はお忍びなので、来客をふれ回ってはならない。 面談中は人払いをして欲しい。 そして最大の謎は、
「剣術の相手をして欲しい、か」
土方は呟いた。 上記二つはまだしも、剣術の件は全くもって不可解である。 確かに近藤は天然理心流の宗家四代目だ。 だが正直いって天然理心流は著名な剣術とは言い難い。それをわざわざ会津藩士が所望するのか。 それに書かれ方から察するに特別近藤を指名しているわけでなく、手練れならば誰でも良いように思われる。
三名は話し合った結果、近藤か山南かのどちらかが相手をすることにした。 山南は北辰一刀流の免許皆伝である。相手には不自由ない。
それに、と土方は考えていた。 それに元々山南は武士の身分である。 今回の使者がどのような人間であるか解らないが、近藤が農民の出であると嫌がる可能性があった。 近藤は仕方ないと笑って引き下がりそうだが、だからこそ悲しい想いはさせたくなかった。 彼は人一倍武士でありたいと思っている。 それを知っているのに、誇りを傷つけるような真似は見過ごせない。 もし使者にそのような兆候が見られれば、山南が相手する。 土方と山南は近藤には内密にそう結論付けた。
平穏に済めば良いが。 土方が嘆息した直後、足音が聞こえた。 三つ、三名こちらに向かっている。 一つは案内を頼んだ斎藤のものであるから、使者は二名ということになる。
「失礼致します」 「どうぞ」
山南の声で戸が開いた。 脇に寄った斎藤に一礼し、青年が部屋に踏み入れた。 背丈は小柄であり、自分たちの最年少幹部よりも低い。 年の頃は十代後半だろうか。 月代にはせず総髪で後ろに髷を形作っている。
奇妙なのは青年の後ろに着座したのが女であることだ。 武家らしく島田髷にした彼女は、黙って控えていた。 なぜ使者が女性を連れてくるのか。 土方は顔をしかめた。 それにこの青年は…。
「雪之丞殿!」
考えを巡らせていた土方の隣で、近藤が素っ頓狂な声を上げる。 これには土方ばかりか山南も驚いたようで、目を丸くした。
「近藤先生、こんにちは」 「いやぁ、君だったのか」 「おい、近藤さん。知り合いか」
二人の親しげな雰囲気に面食らった土方が尋ねると、近藤は深く頷いた。
「そうだ、蕎麦やうどんやら食べに行く仲でね」 「蕎麦やうどん?」
山南は顔をしかめた。 酒ではなく軽食とは不思議な関係だと思ったのだが、山南の様子は気に留めず近藤は笑った。
「紹介しよう。会津藩士、松平雪之丞殿。歳は十八であられる」 「初めまして」
にこり、と微笑むと青年は頭を下げた。 愛想が良いし好意的である。 その点は安心したが、未だ土方の表情は晴れない。 疑問ばかりなのだ。
「私がご存知、局長の近藤だ。こちらが副長の土方くんと山南くん」
嬉々として紹介を始めた近藤の言葉に、青年は頷いた。 土方と山南は会釈を返す。 目の前の彼は軽く口の中で名前を繰り返した。
「土方さんと山南さんですね。お話はかねがね」 「は?近藤さん、アンタ何話したんだ」
ギョッとした土方に、近藤は大したことはないと手を振る。 本当に些細なことしか話してはいないが、土方は急に罰が悪くなった。 知らない人に自分のことを話されるのは居心地悪い。 近藤のことだ、土方を褒めたに違いない。 恥ずかしさと気まずさで、土方は僅かに顔を歪めた。
「本日はどのようなご用件なのですか」
妙な空気になった流れを変えるべく山南が穏やかに問いかける。 だが流れは良い方には動かなかった。
「皆様にお願いしたきことがあり参上いたしました」 「願いとは?」 「はい」
すっ、と青年は突如頭を下げた。 驚く三人の耳に入ったのは、信じられない言葉だった。
「私を壬生浪士組に入れて下さい」
流石の土方も、こればかりは予想外だった。
「うちに入りたい?」 「はい」 「本当に?」 「一片の曇りもなく」
きっぱり綾は言い放った。 目の前の三人は瞠目している。 会津藩のお預かりになったのはほんの数ヶ月前。 しかも現在、芹沢一派の奔放な行動で評判は最悪である。 そんな自分たちの組に会津藩士の若者が入りたいという。 三人とも困惑顔を浮かべた。
無理もないと後ろで控えている染は思った。 長年共にいる自分でも驚いたのだ。 綾はいつも突拍子もない。 だが驚くのはまだ早い。彼らは目の前に座っているのが“雪之丞”だと思っている。
「なぜ我が組に?」 「近藤先生の志とお人柄に感銘を受けました」 「私の…」 「左様です。どうか傍において下さい」
再び綾は頭を下げた。 どうしても壬生浪士組に入り、近藤の傍にいたかった。 近藤が目指すものを自分も追いたかった。 幼少の頃から周りに翻弄されて生きてきた綾にとって、夢を追う近藤は憧れだった。 これからは自分の足で歩きたい。 その時は近藤の役に立つために生きたい。
近藤は不思議な男だと綾は思っていた。 一緒にいると気が楽になり穏やかになる。 希望に満ち溢れ、未来が明るく見える。
絶望していた自分に灯をくれた近藤の、その役に立ちたい。 それで頭がいっぱいだった。
「そんな風に言っていただけるとは!勿論、」 「近藤さん、ちょっと待ってくれ」
歓迎しよう、と言いかけた近藤を土方が遮る。 瞳は鋭く綾に向けられている。
「失礼を承知で尋ねたいことがある」 「なんでしょうか」 「アンタ、本当に男か」
弾かれたように近藤は顔を上げ、土方を凝視した。
「な、何を言い出すのだ!」 「雪之丞さんは女じゃねぇのか」
慌てふためく近藤をよそに、土方は冷静だった。 青年を見た時から違和感を感じていた。 会津藩士であるのに月代を剃らず総髪である。 浪人身分の自分たちと違って、城勤めをするのであれば元服の際月代を剃るのではないか。 特にこの青年は“松平”姓である。家臣団の中でも有力な家柄のはず。 元服前なのかとも思ったが、腰には立派な大小を差している。元服済みの証だ。
それに最大の違和感はやはり容姿だった。 昔から女に不自由せず、よく遊んだ土方ならではの勘。 コイツは女だ。 土方は確信していた。
綾は土方の視線から逃れることなく、真っ直ぐ見つめていた。 が、笑みを零した。
「解りましたか」 「雪之丞殿!」 「てことは…」 「はい、女です」
綾はあっさりと認めた。 そもそも隠すつもりはなかった。 一緒に生活していればいつかはボロが出る。 上層部の人間には初めから教えておいた方が便利だ。 綾は袴を握り締めた。 ここからが大勝負である。
「雪之丞殿が女…」
目を見開いた近藤は、綾を凝視する。 チクリと胸が痛んだ。 他の誰を騙そうとも構わないが、近藤に嘘をついていたのは後ろめたい。 唇を噛み締め、それから頭を下げた。
「申し訳ございません」 「あ、そんな!頭を上げて下され」 「ですが話を聞いていただきたい」
戸惑った様子の近藤だったが、真剣な綾に頷いて了承する。 綾は瞳を閉じ落ち着くと、口を開いた。
「私の名は綾。会津藩主松平容保の娘です」 「容保様の…、姫君!」
これは予想外だったのだろう、近藤ばかりでなく土方と山南も驚愕の色を浮かべた。 しかしすぐに山南の瞳が細められる。 彼は険しい表情をした。
「あなた様は本当に綾姫だとおっしゃいますか」 「はい」 「失礼ですが、母君はどなたでしょうか」
頭が良く世間に通じている山南は、会津藩のこともそれなりに知っていた。 特に壬生浪士組が会津のお預かりになってからは、何か粗相があってはならないと調べたのだ。 だから綾姫などという記載がなかったことを覚えている。 容保の娘、綾。 聞いたことがなかった。それに容保は近藤や土方より若い。 いくらなんでもこんなに大きな子がいる訳がなかった。
ただでさえ近藤を騙していた前科がある。 重ねて主君に当たる容保の娘と偽るならば、許してはおけない。 間者の可能性が高くなる。でなくとも仇なすものは排除すべきだ。
土方も山南の言葉を受け、綾に鋭い眼差しを寄越す。 重苦しい空気が漂った。
「山南殿、疑問は尤もです」 「では…」 「私は容保殿と血縁関係にはない。養女ですので」
静かに綾は告げた。 未だ山南たちの表情は崩れない。 藩主が養女を貰うことは珍しいことではない。 跡目以外であれば女の方が良いのは武家では当然である。 他家に嫁がせて姻戚関係を広げる。 女ならばいくらでも欲しいから、よく養女を貰う話は聞いた。
それでも山南が訝しがるのは、公式記録に綾の存在がないことである。 実の子でなくとも、養女になったからには娘。記録は残るはずだ。 なのに綾という姫君はいない。
綾は山南の考えは当たり前だと思った。 自分でも考えるだろう。 ここから、だ。
「今からお話しすることは内密にしていただきたい」 「…内密に?」 「口外はなりません」 「解りました」
近藤が頷くのを見届け、綾は息を吐いた。 生まれを話すのは、少しだけ怖かった。
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