夕方に平助は戻ってきた。 隊士の指導を行っていた綾はちょうど井戸で汗を拭い、着替えに戻るところだった。 悠々と屯所に入っていた伊東達から離れ、平助は一人逆の方向へ行く。 顔を強張らせ、綾は後ろからついていった。 平助は懐に手を当てそのまま裏に回る。 全く綾の気配には気付いていないらしい。元より敏感な方ではないが、今は何やら浮かれているようだ。 足取りが心なしか軽く見受けられる。 角を曲がったところで、綾はようやく合点がいった。 平助は一人の少女に話しかけている。 箒を片手に掃除をしているのは、雪村千鶴だった。 懐から何か竹皮の包みを取り出し、平助は千鶴の手に載せた。 どうやら土産らしい。 慌てる千鶴に照れたように笑うと、平助は軽く手を振る。 その瞳は遠目から見ても優しくて、見ている方を笑顔にした。 綾は頬を緩めた。 伊東と親しくしていようと、平助は平助だ。 こうして千鶴への土産を忘れず買ってきて、真っ先に届ける。 真っすぐでお人よしの平助のままだ。 喜ぶ千鶴を見ていた平助は、不意に視線を這わせる。 そのまま綾と目があって、平助はあっと声を上げた。 それに驚いた千鶴も反射的に振り返る。 見つかってしまった綾は苦笑しながら、物陰から出た。 「ごめんごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど」 綾のからかいに、平助と千鶴は赤面する。 特に千鶴は耳まで真っ赤になっていた。 おや、と綾は目を細める。 これではもしや平助の想いは、無謀ではないということなのだろうか。 「そういうお前は何してんだよ」 「道場稽古の帰りだよ。ああ、そういえば、戸棚に良いお茶があったよ。何でも近藤先生が頂いたものらしい。二人とも今から飲んだら?」 「それ、頂いていいんですか?」 千鶴は興味深げに綾を見遣る。 目を輝かせた彼女に、綾も自然と微笑んだ。 「皆で飲むようにって。私は昼間に斎藤さんと頂いたから、千鶴は平助と一緒に頂きなよ。ちょうど茶請けも持っているみたいだし」 千鶴は平助を窺う。 どこかで部外者だから、という気持ちがあるのだろう。平助の判断を仰いでいる。 平助はそんな彼女に笑ってみせた。 「そういうことなら遠慮なく頂こうぜ。今日は俺も千鶴も夕飯の当番じゃねぇしさ」 「うん、そうだね」 嬉しそうに頷いた千鶴は、早速勝手場へ急ぐ。 その後ろ姿を見ながら、綾は平助の背を叩いた。 突然叩かれて平助は素っ頓狂な声を上げる。 「うわ、何すんだよ!」 「隅に置けないね、平助」 「はぁ?」 「千鶴に贈り物なんて」 綾が小突くと、平助は耳まで真っ赤になる。 そんな素直な反応で安心する自分に気付いた。 平助はどこまでいっても平助だ。何も変わらないし、それが真実である。 「平助」 「なんだよ」 「…いや、あ、明日、一緒に蕎麦食べに行こうよ」 私たち友達だよね。 本当は綾はそう言いたかった。でも言うことは出来なかった。 代わりに出た唐突な言葉に、平助は訝しげに眉を寄せる。 しかし深く追及することなく、いいぜ、と彼は笑った。 「明日は夜の巡察だったよな。そんじゃ、昼は食いに行こうぜ」 「うん、千鶴も誘ってね」 「え?あ、千鶴も?」 「勿論、後は左之さん辺りも。私一人になったらつまらないし」 動揺する平助の背に手を振り、綾は息を吐いた。 千鶴との関係、平助との関係、沖田との関係。全てが難しいものだ。 されど大切にしたいならば大切にしたら良い。 その言葉を噛み締めて綾はようやく顔を上げた。
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