障子を開け、斎藤と二人茶を啜る。 土方がくれたかりんとうは、二人で食べるにも十分なほどあった。 窓から見える紅葉の木は真っ赤に染まり、風が吹く度はらはらと流れるように落ちていく。 風流な景色をこうして落ち着いてみるのも良いと、綾は嘆息した。 「綾」 静かに斎藤が呼びかける。 両手で包むように持っていた湯呑みを、彼は床に置いた。 相変わらず深い瞳は、躊躇なく綾を見据えている。 吸い込まれそうなほど透き通った目が美しいと、綾は心の中で呟いた。 「どうしましたか?」 尋ねれば、斎藤は僅かに眉を歪めた。 「それはこちらの台詞だ。何か嫌な事でもあったか」 「なぜ…」 「お前は感情を隠すのが上手いが、それ故何かあった時に露見しやすい。少しでも表情が変わるのは大事なのだろう」 事もなく言い放った斎藤は、再び湯呑みを手にした。 既に茶は残り僅か、底の方に水を張っている状態だ。 いつもであればお代りを尋ねるところであるのに、現在の綾にはその余裕が無かった。 表情を隠すのが上手いからこそ、少しでも表情が変わればそれは一大事。 斎藤の言葉には舌を巻く。 普段あまり口数のない人だが、他人の動向を見るのに秀でている。 その表情に案じる心が見てとれて、綾は薄らと笑った。 素直に嬉しいと思った。 「斎藤さんには隠し事が出来ませんね」 「そうか?」 「そんな風にすぐ気づいてくれるのは、斎藤さんくらいですよ」 綾は視線を再び庭に投げかける。 赤や橙、黄色に染まった木々が風に吹かれて揺れる。 落葉が敷き詰められた小石の上に散って、まるで錦のような色合いを見せていた。 伊東であれば和歌、土方であれば俳句を詠みそうな風景だ。 しかし生憎綾にはそうした趣味がないので、ただ美しいと息を漏らすのみだった。 「もし、もしもの話なんですが、自分の生家が大事な人の人生を変えていたとしたら、どうしたらいいと思いますか」 唐突な言葉に斎藤は微かに眉を寄せるが、何も言わず庭に目を向ける。 二人して互いに向き合わずに美しい風景を眺めた。 斎藤は何も言わない。黙って話を促している。 綾はそっと目を伏せた。 「自分は大事にしたいと思っているのに、その大事な人を酷い目に遭わせたのが自分の実家だとしたら、その大事にしたいという想いすら白々しいものなのでしょうか」 話しながら考えがまとまっていくと感じた。 そうだ、つまり自分はそう思っていたのだと、綾は気付いた。 千鶴に優しくしたり千鶴と仲良くしたいと思うのは、最早許されないことなのか。そういう感情を未だ抱いていることはただ徳川が行った仕打ちを無かったことにしたいだけなのか。 自分で自分のことが解らないなど情けない。 されど綾には自分の感情も、世間一般の考えも何一つ掴めなかった。 緩々と立ちあがり、そのまま斎藤は窓辺に寄る。 風が吹いて彼の艶のある黒髪を揺らし、弄んで去っていった。 「大事にしたいと思うことが何故悪いことなのか、俺には解らぬ」 「え?」 顔を上げた綾は、あからさまに驚愕の表情を浮かべている。 しかしそれには目を留めず、斎藤は淡々と言葉を紡いだ。 「あんたの言うように仮に何かの負い目があるから親切にしたとして、それは何か問題があるのか?大事にするに相違ないならば、特に支障はないと思うのだが」 「でも…」 「実家が何かその者に危害を加えたとする。あんたは特に手出しが出来なかったのだろう。ならば終わってしまったことをとやかく言うのは賢いとは言い難い」 ゆっくり斎藤は振り返る。 彼の口元は和らぎ、瞳には優しさと気遣いが湛えられていた。 「それよりも大切にしたいという今の気持ちを尊重し、自分の出来うる限りで大事にすれば良いのではないか」 「…許されるのでしょうか、そんなこと」 「許す許さぬは相手が決めること。あんたは自分が出来ることをこなすしかあるまい。何もせぬ方が問題だと俺は思う」 真っすぐな言葉だと、綾は思った。 だからこそこんなにも胸に響く。 曲がったことを許さない斎藤らしい助言だった。 確かにそうだ。 千鶴に対して遠慮ばかりしていても、千鶴は嬉しくないだろう。むしろ何故敬遠されているのか解らずに、困惑してしまうだけだ。 それよりも大切にしよう。 今まで以上に千鶴を大切に想って、彼女を守ろう。 風間達のような鬼の襲来からも千鶴が望まぬ限りは守り続けよう。 綾はそっと胸に誓う。 そしてありがとうと微笑んだ。
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