五月雨 | ナノ









屯所に戻って土方に報告する。無論、勝との話の内容はある程度隠す。
鬼の存在は新選組どころか会津に知らせることも許されていない。
代わりに幕府首脳陣の動きなどを話した。機密事項ではあるが、勝は綾が責任を持つなら話しても構わないと言った。


黙って報告を受けた土方は険しい表情を浮かべる。
しかし直ぐに僅かながら微笑んだ。


「御苦労。全く幕府のお偉いさん達の考えにはついていけねぇな」


本日の話題は長州征伐についてだ。新選組は出動を命じられておらず、密かに土方は気を揉んでいた。
どうやら勝は戦を好まぬらしい。綾の口ぶりから察し、土方は息を吐く。
今回の戦に勝が加わっていないのは幸か不幸か。


「本日も土方さんの別宅使用の許可を下さいまして、ありがとうございました」
「礼には及ばねぇ。こちらだって幕府側の情報が手に入るんだ、有り難てぇ話だよ」


現在蟄居中とはいえ、勝は幕府の要人である。本来ならばそんな人からの話が新選組に流れるはずはない。
それだけに綾の存在は有り難いものなのだ。


勿論その前提に綾に対する信頼は含まれている。新選組入隊から二年。もう誰も彼女を姫様の気紛れだと詰らなくなった。


一礼した綾は頬を緩ませたが、その表情に土方は眉を吊り上げる。
感じ取った違和感に口を開きかけ、しかし代わりに目を閉じた。


「お前は本日非番だったな。これをやるから茶でも淹れて飲め」


そう言って渡されたのは、懐紙に包まれたかりんとうだった。


「良いのですか?」
「島田が買ってきたモンだが、生憎と俺は甘ぇのは好まねぇんだよ。好きなヤツが食った方が作った人の苦労に報いるってモンだ」


解ったなら退室しろ、と言わんばかりの態度に、綾は目を見開く。
そして土方の気遣いに胸を熱くした。
鬼副長などと呼ばれ敬遠される人だが、その実は心配りの行き届いた優しい人だ。
もう一度、今度は心を籠めて一礼し、綾は部屋を辞した。


懐にかりんとうを仕舞い、自室に戻る。
千鶴を誘おうと思った。千鶴も甘いものを好んでおり、二人で茶を飲むのは日課のようになっていた。
かりんとうを取り出した時の千鶴の表情まで想像し微笑むが、不意にそれは硬直する。


『雪村千鶴は、雪村の娘だろうよ』


勝の言葉が甦った。
無意識のうちに袂を握り締める。
五月に家茂から話を聞いて以来、考えなかった訳ではない。むしろずっと考え続けた。
千鶴の家族を殺したのは恐らく、徳川家なのだ。


まだ決まった訳ではない。この話には矛盾もある。
千鶴は雪村綱道の娘と名乗っていた。綱道自身も江戸に娘を置いてきたと語っていたそうなので、双方の主張に相違ない。
そもそも千鶴は未だに父の行方を追っているのだ。心配する様を度々見かけたし、あれが演技というなら大役者である。
千鶴は嘘をついていないと、綾は自信を持って思っている。


だがそれでも雪村の娘と推察しているのは、勝の助言だった。
千鶴は幼少期の記憶を失った娘である。引き取って育てた前後の記憶がなければ、育ての親を実の親と認識しても致し方あるまい。
その見地に綾は納得している。綱道も雪村姓を名乗っているのだ、一族の人間だろう。
とすれば雪村の棟梁の娘を落ちのびさせるくらい、当然やってのける。


この過酷な話を自分の口からする勇気はなかった。
されど千鶴を見るたび罪悪感が募っていく。
こうまですると、千鶴が綱道を探して京にやって来て挙句新選組に捕えられていることすら、徳川の責任だと思えた。
全ての元凶は徳川家。綾の実家である。


綾は踵を返し、千鶴の部屋から遠のいた。
今何事もなかったかのように、千鶴と談話することなど出来そうもない。
少し心を落ち着けねばならない。悟られてはならないのだ。まだ時期ではない。


「綾」


考え込んでいるところ声を掛けられ、柄にもなく肩を震わせた。
俊敏に振り返った綾の瞳に映ったのは、目を丸くした斎藤だった。
斎藤もまさかこんなに驚かれるとは思わなかったらしい。彼らしくなくあからさまな表情をしている。


「いかがした、このようなところに突っ立って」
「え?」


ハッと綾は息を呑んだ。
いつの間にか幹部の私室が並ぶ辺りに辿りついていた。しかも立っているのは斎藤の部屋の前だ。
慌てて襖の前から飛びのいた。


「すみません!お邪魔いたしました」
「そう焦るな。俺は何も怒っている訳ではない」


斎藤は眉を寄せて困惑していた。
その澄んだ瞳で綾をじっと見る。斎藤にはこうして他人を真っすぐ見据える癖がある。無遠慮というよりもその人の真意を見透かそうとしているのだろう。


何かを言いかけて、斎藤は止まった。
そして代わりに襖を開ける。


「今から茶を飲む。良ければ綾、あんたも付き合え」
「え、でも…」
「無理にとは言わんが」


何の感情も浮かべず、静かに斎藤は見遣った。
綾は戸惑うが、直ぐに頷く。
断る理由はなかったし、何より今は一人になりたくなかった。


了承したのを確認すると、斎藤は僅かに口元を緩ませる。
それから部屋に入るよう促し、茶を持ってくるから待っておれと言って、部屋を出た。





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