土方邸の帰り道、綾は暗い顔をしていた。 自身の宿命ならば、もうずっと前に受け入れていた。 女らしさとは無縁だった幼少の頃、唯一姫らしかったのは、お伽草紙が好きだったことだ。 落窪物語、かぐや姫、鉢かつぎ。 空想の世界の話なれど、憧れた。 いつか自分も見目麗しい貴公子が、迎えに来るのだと。 それが非現実だと知ったのは、いつの頃だったか。 きっかけなどなかった。されどそれは徐々に知れたところになった。 姫として崇められたのは、家中の繁栄のため。 自分の生涯唯一の仕事は藩の為に嫁ぐこと。 領民の未来を一身に請け負って生きていかねばならない。 姫として生まれた行く末は戻ることを許されない一本道だった。 『良いですか、綾様。あなた様は誇り高き徳川のお血筋。なればこそ民草の為に心を砕かねばなりませぬ』 甦ったのは、乳母の言葉。染の母である彼女は、幼い綾に懇々と言い聞かせた。 『良き姫君とは内助の功を行える、良き妻たる素質をもった女子です。生家と嫁ぎ先の為に動く。それこそが姫様に求められるもの』 今まで生かされたのは、家中の為に。 賢く、なれど前に出過ぎず。夫を支え癒す良き妻であれ。子に知識と愛情を与え育てる良き母であれ。そして常に領民のことを考え尊ぶ良き姫君であれ。 「私はその為に生きて参った。それが私の宿命」 一人呟いた言葉は秋風に吹かれる。 町中に出た為か騒々しさが増している。されど綾には騒がしさは気にならなかった。 思い起こすのは勝が言ったことだった。 『上様は姫様には自由に生きて欲しいと思っているようだ』 本当に、そうなのだろうか。 自由に生きて良いと思ってくれているのだろうか。 誰よりも自由のない弟だからこそ、姉に願っていてくれたのだろうか。 しかしそうはいかぬものだと綾は首を振る。 例え家茂が良いと言っても叶わぬが道理。自分が何故大切にされてきたのか。我侭が通ってきたのか。 答えを知っているからこそ、関係ないと打ち払うことは出来ない。 暗い顔をして立ち止まった綾は、不意に顔を上げる。 見知った者たちが少し離れた場所を通っていく。向こう側は話に夢中で綾に目もくれなかった。 先頭を行くは伊東甲子太郎。後に服部や篠原と続く。 隊服を着ていないので、恐らく空き時間に伊東が飲みに連れている、ということだろう。 それはよくあることだから気にならない。 問題は後方の人だった。 「平助…」 加納や三樹三郎に挟まれ談笑しているのは、間違いなく自分の相方で親友の藤堂平助だった。 平助に嫌がる素振りはない。それどころか穏やかに笑っている。 時折何か冗談でも言っているのか、どっと笑い声さえ上がっていた。 今までの悩みも忘れ、綾は呆然と立ち尽くした。 平助が伊東道場に師事していたことは知っていた。その縁で伊東は加盟したのだ、知らぬはずがない。 なれどどこかで平助は伊東と一線引いているのでは、と思っていた。 いくら同門とはいえ、平助は近藤派の方を選んだのではないかと。 思い違いだったのだろうか。 平助は未だに伊東を師として仰いでいるのではないか。 持ちあがった疑惑は心を縛り付ける。 そんなはずはないと、平助を信じなければならないと自分に言い聞かせる。 それでも暗雲は払われるどころかむくむくと大きくなっていく。 自分を凝視する綾に気づくこともなく、平助は伊東達と共に姿を消した。
[←] [→] [栞をはさむ]
back
|